『東京朝日新聞』大正3(1914)年5月30日(土曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第三十八回
(三十八)
私は母を蔭へ呼んで父の病狀を尋ねた。
「御父さんはあんなに元氣さうに庭へ出たり何かしてゐるが、あれで可(い)いんですか」
「もう何ともないやうだよ。大方好(よ)く御なりなんだらう」
母は案外平氣であつた。都會から懸け隔たつた森や田の中に住んでゐる女の常として、母は斯ういふ事に掛けては丸で無知識であつた。それにしても此前父が卒倒した時には、あれ程驚ろいて、あんなに心配(しんばい)したものを、と私は心のうちで獨り異な感じを抱いた。
「でも醫者はあの時到底六づかしいつて宣告したぢやありませんか」
「だから人間の身體ほど不思議なものはないと思ふんだよ。あれ程御醫者が手重(ておも)く云つたものが、今迄しやんしやんしてゐるんだからね。御母さんも始めのうちは心配して、成るべく動かさないやうにと思つてたんだがね。それ、あの氣性だらう。養生はしなさるけれども、强情でねえ。自分が好(い)いと思ひ込んだら、中々私のいふ事なんか、聞きさうにもなさらないんだからね」
私に此前歸つた時、無理に床を上げさして、髭を剃つた父の樣子と態度とを思ひ出した。「もう大丈夫、御母さんがあんまり仰山過ぎるから不可ないんだ」といつた其時の言葉を考へて見ると、滿更母ばかり責める氣にもなれなかつた。「然し傍(はた)でも少しは注意しなくつちや」と云はうとした私は、とう/\遠慮して何にも口へ出さなかつた。たゞ父の病の性質に就いて、私の知る限りを教へるやうに話して聞かせた。然し其大部分は先生と先生の奧さんから得た材料に過ぎなかつた。母は別に感動した樣子も見せなかつた。たゞ「へえ、矢つ張り同なじ病氣でね。御氣の毒だね。いくつで御亡くなりかえ、其方は」などゝ聞いた。
私は仕方がないから、母を其儘にして置いて直接父に向つた。父は私の注意を母よりは眞面目に聞いてくれた。「尤もだ。御前のいふ通りだ。けれども、已(おれ)の身體は必竟已の身體で、其已の身體(からだ)に就いての養生法は、多年の經驗上、已が一番能く心得てゐる筈だからね」と云つた。それを聞いた母は苦笑した。「それ御覽な」と云つた。
「でも、あれで御父さんは自分でちやんと覺悟丈はしてゐるんですよ。今度私が卒業して歸つたのを大變喜こんでゐるのも、全く其爲なんです。生きてるうちに卒業は出來まいと思つたのが、達者なうちに免狀を持つて來たから、それで嬉しいんだつて、御父さんは自分でさう云つてゐましたぜ」
「そりや、御前、口でこそさう御云ひだけれどもね。御腹のなかではまだ大丈夫だと思つて御出(おいで)のだよ」
「左右でせうか」
「まだ/\十年も二十年も生きる氣で御出なのだよ。尤も時々はわたしにも心細いやうな事を御云ひだがね。おれも此分ぢやもう長い事もあるまいよ、おれが死んだら、御前は何うする、一人で此家に居(ゐ)る氣かなんて」
私は急に父が居なくなつて母一人が取り殘された時の、古い廣い田舍家を想像して見た。此家から父一人を引き去つた後(あと)は、其儘で立ち行くだらうか。兄は何うするだらうか。母は何といふだらうか。さう考へる私は又此處の土を離れて、東京で氣樂に暮らして行けるだらうか。私は母を眼の前に置いて、先生の注意―父の丈夫でゐるうちに、分けて貰ふものは、分けて貰つて置けといふ注意を、偶然思ひ出した。
「なにね、自分で死ぬ/\つて云ふ人に死んだ試はないんだから安心だよ。御父さんなんぞも、死ぬ死ぬつて云ひながら、是から先まだ何年生きなさるか分るまいよ。夫よりか默つてる丈夫の人の方が劒呑(けんのん)さ」
私は理窟から出たとも統計から來たとも知れない、此陳腐なやうな母の言葉を默然と聞いてゐた。
[♡やぶちゃんの摑み:
♡「手重く」重大である、容易でない、の意。
♡「已」父の台詞に現われるこれら4箇所は総て「己」の誤植。
♡「御腹のなかではまだ大丈夫だと思つて御出(おいで)のだよ」単行本「こゝろ」もママであるが、ここは恐らく「こゝろ」で校正漏れした箇所と思われる。ここは恐らく次の次の母の台詞「まだ/\十年も二十年も生きる氣で御出なのだよ」から考えて、「御腹のなかではまだ大丈夫だと思つて御出(おいで)なのだよ」の「な」の脱落である。
♡「尤も時々はわたしにも心細いやうな事を御云ひだがね。おれも此分ぢやもう長い事もあるまいよ、おれが死んだら、御前は何うする、一人で此家に居る氣かなんて」という母の台詞からは、本来なら「私」は先生と靜との最後の相同的会話を直ちに想起するはずである。しない方がおかしい。にも拘らず、ここで「私」の意識はそこに繋がらない。ここに凡庸な父と先生とを人間として同列に置いたり同一視出来ない私の無意識的な自己思考の遮断が垣間見られる。
♡「默つてる丈夫の人の方が劒呑さ」この母の不吉な謂いがツボに当たることとなる。先生は正に実に「默つてる丈夫の人」であった。]
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