贋作・或阿呆の一生 時代
時 代
それは或高校の三階だつた。五十三歳の彼は教壇に登つて「竹取物語」を教へてゐた。くらもちの皇子、玉の枝、接続詞「ば」の順接の確定條件、縁語、掛詞、吉本興業よりダサい洒落、………
そのうちに授業の黄昏(たそがれ)は迫り出した。しかし彼は熱心に古への物語を語り續けた。そこに開陳されてゐるのは空想の物語といふより寧ろ世紀末其自身を皮肉つた現實の比喩そのものだつた。民を考へぬ政治家、贋作の國宝、インデヰ・ヂヨウンズばりの譃八百の國外移設、何れ直に止まつてしまふ文殊の知惠、この暑くむさ苦しい日に制服着用を命ずる官憲…………
彼は魂の薄暗がりと戰ひながら、かうした自分の敵の名前を一つ一つ數へて行つた。が、其等はかぐや姫が日暮れと共に暗くうち沈んでゆくのと同じくおのづからもの憂い影の中に沈みはじめた。チヤイムの音と同時に彼はたうとう根氣も盡き、教壇を下りようとした。すると丁度、くらもちの皇子の偽造が暴かれた結果、かぐや姫の身の内の光輝が、丁度彼の空ろな胸の中(うち)に突然ぽかりと火をともした。彼は教壇の上に佇んだまま、教室の机に動めいてゐる缺伸(あくび)をする女生徒の開かれた淫靡な脣(くちびる)や不貞寢(ふてね)する男子生徒のだらしない涎(よだれ)を見下(みおろ)した。彼等は妙に小さかつた。のみならず如何にも見すぼらしかつた。
「人生は1オンスのパリの空氣にも若かない。」
彼は暫く教壇の上からかう云ふ彼等を見渡してゐた。………
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