『東京朝日新聞』大正3(1914)年5月7日(木曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第十八回
(十八)
私は奧さんの理解力に感心した。奧さんの態度が舊式の日本(にほん)の女らしくない所も私の注意に一種の刺戟を與へた。それで奧さんは其頃流行り始めた所謂新しい言葉などは殆んど使はなかつた。
私は女といふものに深い交際をした經驗のない迂濶な靑年であつた。男としての私は、異性に對する本能から、憧憬(どうけい)の目的物として常に女を夢みてゐた。けれどもそれは懷かしい春の雲を眺めるやうな心持で、たゞ漠然と夢みてゐたに過ぎなかつた。だから實際の女の前へ出ると、私の感情が突然變る事が時々あつた。私は自分の前に現はれた女のために引き付けられる代りに、其塲に臨んで却つて變な反撥力(はんばづりよく)を感じた。奧さんに對した私にはそんな氣が丸で出なかつた。普通男女(なんによ)の間に橫はる思想の不平均といふ考も殆ど起らなかつた。私は奧さんの女であるといふ事を忘れた。私はたゞ誠實なる先生の批評家及び同情家として奧さんを眺めた。
「奧さん、私が此前何故先生が世間的にもつと活動なさらないのだらうと云つて、あなたに聞いた時に、あなたは仰やつた事がありますね。元はあゝぢやなかつたんだつて」
「えゝ云ひました。實際彼(あ)んなぢやなかつたんですもの」
「何んなだつたんですか」
「あなたの希望なさるやうな、又私の希望するやうな賴もしい人だつたんです」
「それが何うして急に變化なすつたんですか」
「急にぢやありません、段々(たんたん)あゝなつて來たのよ」
「奧さんは其間(あひだ)始終先生と一所にゐらしつたんでせう」
「無論ゐましたわ。夫婦ですもの」
「ぢや先生が左右(さう)變つて行かれる原因がちやんと解るべき筈ですがね」
「それだから困るのよ。あなたから左右云はれると實に辛いんですが、私には何う考へても、考へやうがないんですもの。私は今迄何遍あの人に、何うぞ打ち明けて下さいつて賴んで見たか分りやしません」
「先生は何と仰しやるんですか」
「何にも云ふ事はない、何にも心配する事はない、おれは斯ういふ性質になつたんだからと云ふ丈で、取り合つて吳れないんです」
私は默つてゐた。奧さんも言葉を途切らした。下女部屋にゐる下女はことりとも音をさせなかつた。私は丸で泥棒の事を忘れて仕舞つた。
「あなたは私に責任があるんだと思つてやしませんか」と突然奧さんが聞いた。
「いゝえ」と私が答へた。
「何うぞ隱さずに云つて下さい。さう思はれるのは身を切られるより辛いんだから」と奧さんが又云つた。「是でも私は先生のために出來る丈の事はしてゐる積なんです」
「そりや先生も左右認めてゐられるんだから、大丈夫(たいぢやうふ)です。御安心なさい、私が保證します」
奧さんは火鉢の灰を搔き馴らした。それから水注(みづさし)の水を鐵瓶に注した。鐵瓶は忽ち鳴りを沈めた。
「私はとう/\辛防(しんばう)し切れなくなつて、先生に聞きました。私に惡い所があるなら遠慮なく云つて下さい、改められる缺點なら改めるからつて、すると先生は、御前に缺點なんかありやしない、缺點はおれの方にある丈だと云ふんです。さう云はれると、私悲しくなつて仕樣がないんです、淚が出て猶の事自分の惡い所が聞きたくなるんです」
奧さんは眼の中(うち)に淚を一杯溜めた。
[♡やぶちゃんの摑み:
♡「あなたの希望なさるやうな、又私の希望するやうな賴もしい人だつたんです」この靜の謂いは、薄っぺらいものではない。靜が「私」が内心希望している先生像を十全に認知していることを示している。靜は「私」自身や読者である我々が考えるのと案に相違して、「私」の内実を想像以上につらまえているという事実に注意すべきである。
♡「私は女といふものに深い交際をした經驗のない迂濶な靑年であつた」以下によって「私」が童貞である事実が駄目押しで確定する。「私」は所謂「少年」である点をつらまえよ。
♡「普通男女の間に橫る思想の不平均」この理性的な謂いを言い換えれば、それは「必竟女だからあゝなのだ、女といふものは何うせ愚なものだ」という偏見と相同である(相似ではなく相同である)。勿論、これは勿論、先生の遺書に現われる謂いである(単行本の「下」の十四)。そこにある「私」のそれではなく、筆者漱石の女性蔑視という限界性としてつらまえる必要がある。
♡「下女部屋」(十六)の「♡やぶちゃんの摑み」の図を参照されたい。]
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