『東京朝日新聞』大正3(1914)年5月6日(水曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第十七回
(十七)
私はまだ其後(そのあと)にいふべき事を有つてゐた。けれども奧さんから徒らに議論を仕掛ける男のやうに取られては困ると思つて遠慮した。奧さんは飮み干した紅茶茶碗(こうちやちやわん)の底を覗いて默つてゐる私を外(そ)らさないやうに、「もう一杯上げませうか」と聞いた。私はすぐ茶碗を奧さんの手に渡した。
「いくつ?一つ?二ツつ?」
妙なもので角砂糖(かくさたう)を撮(つま)み上げた奧さんは、私の顏を見て、茶碗の中へ入れる砂糖の數(かぞ)を聞いた。奧さんの態度は私に媚びるといふ程ではなかつたけれども、先刻(さつき)の強い言葉を力(つと)めて打ち消さうとする愛嬌に充ちてゐた。
私は默つて茶を飮んだ。飮んでしまつても默つてゐた。
「あなた大變默り込んぢまつたのね」と奧さんが云つた。
「何かいふと又議論を仕掛けるなんて、叱り付けられさうですから」と私は答へた。
「まさか」と奧さんが再び云つた。
二人はそれを緖口(いとくち)に又話を始めた。さうして又二人に共通な興味のある先生を問題にした。
「奧さん、先刻(さつき)の續きをもう少し云はせて下さいませんか。奧(お)さんには空(から)な理窟と聞こえるかも知れませんが、私はそんな上の空で云つてる事ぢやないんだから」
「ぢや仰やい」
「今奧さんが急に居なくなつたとしたら、先生は現在の通りで生きてゐられるでせうか」
「そりや分らないわ、あなた。そんな事、先生に聞いて見るより外に仕方がないぢやありませんか。私の所へ持つて來る問題ぢやないわ」
「奧さん、私は眞面目ですよ。だから逃げちや不可ません。正直に答へなくつちや」
「正直よ。正直に云つて私には分らないのよ」
「ぢや奧さんは先生を何(ど)の位(くらゐ)愛してゐらつしやるんですか。これは先生に聞くより寧ろ奧さんに伺つていゝ質問ですから、あなたに伺ひます」
「何もそんな事を開き直つて聞かなくつても好(い)いぢやありませんか」
「眞面目腐つて聞くがものはない。分り切つてると仰やるんですか」
「まあ左右(さう)よ」
「その位(くらゐ)先生に忠實なあなたが急に居なくなつたら、先生は何うなるんでせう。世の中の何方を向いても面白さうでない先生は、あなたが急にゐなくなつたら後で何うなるでせう。先生から見てぢやない。あなたから見てですよ。あなたから見て、先生は幸福になるんでせうか、不幸になるでせうか」
「そりや私から見れば分つてゐます。(先生はさう思つてゐないかも知れませんが)。先生は私を離れゝば不幸になる丈です。或は生きてゐられないかも知れませんよ。さういふと、已惚(うぬぼ)れになるやうですが、私は今先生を人間として出來る丈幸福にしてゐるんだと信じてゐますわ。どんな人があつても私程先生を幸福にできるものはないと迄思ひ込んでゐますわ。それだから斯うして落ち付いてゐられるんです」
「その信念が先生の心に好く映る筈だと私は思ひますが」
「それは別問題ですわ」
「矢張(やつぱ)り先生から嫌はれてゐると仰やるんですか」
「私は嫌はれてるとは思ひません。嫌はれる譯がないんですもの。然し先生は世間が嫌ひなんでせう。世間といふより近頃では人間が嫌ひになつてゐるんでせう。だから其人間の一人(いちにん)として、私も好かれる筈がないぢやありませんか」
奧さんの嫌はれてゐるといふ意味がやつと私に呑み込めた。
[♡やぶちゃんの摑み:
♡「外らさないやうに」話をそこで終わらせないように、「私」をこの話から逃さないようにするために、「もう一杯上げませうか」と話を継いだ、という意味である。
♡「妙なもので角砂糖を撮み上げた奧さんは、私の顏を見て、茶碗の中へ入れる砂糖の數を聞いた。」というのは、通常、彼女が淹れる紅茶には既に砂糖が溶かされているのが普通であったのに(先刻の紅茶がそうであったと推定される)、ここではわざわざ入れる角砂糖の数を訊いてきたことに対する「妙な」である。やや黙って堅くなっている「私」を和ませようとして、アプローチをかけた靜のポーズなのであるが、この靜に何とも言えぬ幽かな、それでいて魅力的な年上の女のどきどきするようなコケティシュさを覚えるのは……私だけだろうか?]