耳嚢 巻之二 好む所左も有べき事
「耳嚢 巻之二」に「好む所左も有べき事」を収載した。
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好む所左も有べき事
予が知れる人に山本左七といへるあり。飽迄酒を好みける。人の進めによりて、屋鋪(やしき)の地面藤によかるべしとて、藤を植て棚などよく拵けるが、藤は酒を根へかけて土かひぬれば格別によしと人のいひける故、酒を取寄せけるが先(まづ)一盃呑て、かゝる酒を藤に呑せんも無益也、隨分あしき酒を取て可然とて、又別段に酒壹升價ひ鐚(びた)にて五六十文の酒を取寄、藤に懸(かく)べしと思ひしが、去にても百文の内の酒も香るものやとて、則(すなはち)先少給見(たべみ)しに、百文の内には下料(げりやう)なる物なり、是にても酒は酒なりとて壱升を何の事なく呑て、迚も酒にては藤に振廻(ふるまひ)がたしとて、酒の糟を買ひて土に交(まぢへ)て、藤の根かひしけると也。
□やぶちゃん注
○前項連関:「飽迄かたましき」不受不施派は気持ち悪いが、こんな「飽迄かたましき」者はちと可愛いで連関。
・「山本左七」諸注注せず、不詳。
・「藤は酒を根へかけて土かひぬれば格別によし」岩波版長谷川氏注に『水に酒を加えて活けると長くしおれず、しおれた藤に酒を注ぐと生きかえる。また、実を煎って酒に入れると腐らぬなどという。』とあり、ネット上にも現在でも藤の肥料として酒粕を実際に用いて効果がある由、記載がある。
・「鐚」鐚銭(びたせん)。室町から江戸初期にかけての永楽銭以外の銭又は一文銭の寛永鉄銭の称。ここでは銭単位の一文。ここから本邦では「鐚」は粗悪な、最低の金の意となった。宝暦明和年間(1751~1771)は小売価格で米一升100文、掛蕎麦一枚が16文であった。
・「なる物なり」底本には右に『(尊經關本「成奴なるが」)』とある。これで採る。
・「藤の根かひしける」底本では「かひ」の右に『(飼)』と注す。
■やぶちゃん現代語訳
好きで好きでしようがない事にはさもあらんという事
私が知っている人に山本左七という者がおる。あくまで酒が好きな男である。
人が、彼の住む屋敷の土地には藤がよい、と薦めるので、藤を植えて棚なんども上手く拵えたりして御座った。
また、藤は酒を根へかけて土を肥やせば格別によい、と人が言うので、ある時、酒を取り寄せてはみたものの、まずはと、一杯呑んで見たところが、左七、独白(ひとりご)ちて、
「……!……このような良き酒、藤に呑ますこと、これ、無益な! もっと悪い酒を取り寄せて撒くに若くはなし!……」
と、また別に、一升当り鐚銭(びたせん)五、六十文という安酒を取り寄せて藤にかけることと致そうと思った。
さて、その酒が来たところが、左七の独白ちて、
「……それにしても……百文もせぬ酒というものにても……これ、酒の香の、あるものにても御座ろうか?……」
とて、そこはまずは、と少しばかり呑んで見たところが左七の独白ちて、
「百文もせぬ酒とは、これ、安物なるもの……もの乍ら……これにても、酒は、酒じゃ!」
とて、その一升、何なく呑みてからに、
「……さても酒は藤に振る舞えんのう……」
と、酒糟を買(こ)うて土に混ぜ、藤の根の肥やしと致いた、という話。