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2010/05/08

『東京朝日新聞』大正3(1914)年5月8日(金曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第十九回

Kokoro12_10   先生の遺書

   (十九)

 始め私は理解のある女性(によしやう)として奧さんに對してゐた。私が其氣で話してゐるうちに、奧さんの樣子が次第に變つて來た。奧さんは私の頭惱に訴へる代りに、私の心臟(ハート)を動かし始めた。自分と夫の間には何の蟠(わだか)まりもない、又ない筈であるのに、矢張(やは)り何かある。それだのに眼を開けて見極めやうとすると、矢張り何にもない。奧さんの苦にする要點は此處にあつた。

 奧さんは最初世の中を見る先生の眼が厭世的だから、其結果として自分も嫌はれてゐるのだと斷言した。さう斷言して置きながら、ちつとも其處に落ち付いてゐられなかつた。底を割ると、却つて其逆を考へてゐた。先生は自分を嫌ふ結果、とう/\世の中迄厭になつたのだらうと推測してゐた。けれども何う骨を折つても、其推測を突き留(とめ)て事實とする事が出來なかつた。先生の態度は何處迄も良人(をつと)らしかつた。親切で優しかつた。疑ひの塊りを其日/\の情合(じやうあひ)で包んで、そつと胸の奧に仕舞つて置いた奧さんは、其晩その包みの中を私の前で開けて見せた。

 「あなた何う思つて?」と聞いた。「私からあゝなつたのか、それともあなたのいふ人生觀とか何とかいふものから、あゝなつたのか。隱さず云つて頂戴」

 私は何も隱す氣はなかつた。けれども私の知らないあるものが其處に存在(ぞんざい)してゐるとすれば、私の答が何であらうと、それが奧さんを滿足(まんそく)させる筈がなかつた。さうして私は其處に私の知らないあるものがあると信じてゐた。

 「私には解りません」

 奧さんは豫期の外れた時に見る憐れな表情を其咄嗟に現はした。私はすぐ私の言葉を繼ぎ足した。

 「然し先生が奧さんを嫌つてゐらつしやらない事丈は保證します。私は先生自身の口から聞いた通りを奧さんに傳へる丈です。先生は噓を吐(つ)かない方でせう」

 奧さんは何とも答へなかつた。しばらくしてから斯う云つた。

 「實は私すこし思ひ中(あた)る事があるんですけれども‥‥」

 「先生があゝ云ふ風になつた源因に就いてですか」

 「えゝ。もしそれが源因だとすれば、私の責任丈はなくなるんだから、夫丈でも私大變樂になれるんですが、‥‥」

 「何んな事ですか」

 奧さんは云ひ澁つて膝の上に置いた自分の手を眺めてゐた。

 「あなた判斷して下すつて。云ふから」

 「私に出來る判斷なら遣ります」

 「みんなは云へないのよ。みんな云ふと叱られるから。叱られない所丈よ」

 私は緊張して唾液(つばき)を呑み込んだ。

 「先生がまだ大學にゐる時分、大變仲の好い御友達が一人あつたのよ。其方が丁度卒業する少し前に死んだんです。急に死んだんです」

 奧さんは私の耳に私語くやうな小さな聲で、「實は變死したんです」と云つた。それは「何うして」と聞き返さずにはゐられない樣な云ひ方であつた。

 「それつ切りしか云へないのよ。けれども其事があつてから後なんです。先生の性質が段々變つて來たのは。何故其方が死んだのか、私には解らないの。先生にも恐らく解つてゐないでせう。けれども夫から先生が變つて來たと思へば、さう思はれない事もないのよ」

 「其人の墓ですか、雜司ケ谷にあるのは」

 「それも云はない事になつてるから云ひません。然し人間は親友を一人亡くした丈で、そんなに變化できるものでせうか。私はそれが知りたくつて堪らないんです。だから其處を一つ貴方に判斷して頂きたいと思ふの」

 私の判斷は寧ろ否定の方に傾いてゐた。

Line_16

 

やぶちゃんの摑み:

 

「理解のある」理性的な。理知的な。

 

♡「情合」思いやりと愛情。

 

「底を割る」本心を隠さず明かす。

 

「もしそれが源因だとすれば、私の責任丈はなくなるんだから、夫丈でも私大變樂になれるんですが、‥‥」というこの謂いによって、先生が仮に靜に自身の苦悩を告白出来たとしても、その核心は永遠に靜には理解出来ない、と私は思う。あなたも思わないか? 靜に責任は『ある』し、その責任を自覚出来ない以上、先生の苦悩を共有することは出来ない!

 

「みんなは云へないのよ。みんな云ふと叱られるから。叱られない所丈よ」以下の、「それつ切りしか云へないのよ」「「それも云はない事になつてるから云ひません」という言辞に着目せよ! これは一般的な不特定多数への先生の靜への禁則では、ない。先生は恐らく、「私」が頻繁に先生の宅を訪れるようになった極めて早い時点で、靜に『Kのことに於いては決して仔細をあの青年に語ってはいけない』という禁則を厳しく明言していたことが明らかになる。それは何故かを考えよ!

 

「實は變死したんです」このKの自死がほぼ明確に示される印象的なシーンは、「私の耳に私語くやう」に「私」の方に乗り出すのである。作中「私」と靜が最も肉体的に接近する印象を与えるように仕組まれたシーンでもあることに着目せよ!

 

「私の判斷は寧ろ否定の方に傾いてゐた」これは重要な心内表現である。私は、一般論として友人の死で人格は変容しない、なんどということを思っている、『のではない』! 提示された靜の質問は直前にある(勿論、先生が変わった原因として友人の死を語ったのは、それより数分前ではあったが)。にも拘わらず、「私」がまるでじっくりと考えたかのように「私の判斷は寧ろ否定の方に傾いてゐた」と記すのは、実は直前の「私」の「其人の墓ですか、雜司ケ谷にあるのは」と密接に関わりを持つからだ。即ち、ここで「私」は「魔物」――(十五)を確認せよ!――であるあの墓の主に無意識に嫉妬を抱いているのである。「私」は無意識下に於いて、幽冥に在りながら、今も心において親密に先生と繋がっているあの『忌まわしい』墓の主と、『愛する』先生とを切り離してしまいたいと願望しているのである。でなくてどうして、性急な「私の判斷」が下せよう!]

 

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