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2010/05/20

『東京朝日新聞』大正3(1914)年5月20日(水曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第三十一回

Kokoro13   先生の遺書

   (三十一)

 其日の談話も遂にこれぎりで發展せずにしまつた。私は寧ろ先生の態度に畏縮(ゐしゆく)して、先へ進む氣が起らなかつたのである。

 二人は市(し)の外れから電車に乘つたが、車内では殆んど口を聞かなかつた。電車を降りると間もなく別れなければならなかつた。別れる時の先生は、又變つてゐた。常よりは晴やかな調子で、「是から六月迄は一番氣樂な時ですね。ことによると生涯で一番氣樂かも知れない。精出して遊び玉へ」と云つた。私は笑つて帽子を脫つた。其時私は先生の顏を見て、先生は果して心の何處で、一般(ぱん)の人間を憎んでゐるのだらうかと疑つた。その眼、その口、何處にも厭世的の影は射してゐなかつた。

 私は思想上の問題に就いて、大いなる利益を先生から受けた事を自白する。然し同じ問題に就いて、利益を受けやうとしても、受けられない事が間々(まま)あつたと云はなければならない。先生の談話は時として不得要領に終つた。其日二人の間に起つた郊外の談話も、此不得要領の一例として私の胸の裏(うら)に殘つた。

 無遠慮な私は、ある時遂にそれを先生の前に打ち明けた。先生は笑つてゐた。私は斯う云つた。

 「頭が鈍くて要領を得ないのは構ひまんせんが、ちやんと解つてる癖に、はつきり云つて吳れないのは困ります」

 「私は何にも隱してやしません」

 「隱してゐらつしやいます」

 「あなたは私の思想とか意見とかいふものと、私の過去とを、ごちや/\に考へてゐるんぢやありませんか。私は貧弱な思想家ですけれども、自分の頭で纏(まと)め上げた考(かんが)へを無暗に人に隱しやしません。隱す必要がないんだから。けれども私の過去を悉くあなたの前に物語らなくてはならないとなると、それは又別問題になります」

 「別問題とは思はれません。先生の過去が生み出した思想だから、私は重きを置くのです。二つのものを切り離したら、私には殆ど價値のないものになります。私は魂の吹き込まれてゐない人形を與へられた丈で、滿足は出來ないのです」

 先生はあきれたと云つた風に、私の顏を見た。卷烟草を持つてゐた其手が少し顫へた。

 「あなたは大膽だ」

 「たゞ眞面目なんです。眞面目に人生から教訓を受けたいのです」

 「私の過去を訐(あば)いてもですか」

 訐くといふ言葉が、突然恐ろしい響を以て、私の耳を打つた。私は今私の前に坐つてゐるのが、一人(ひとり)の罪人であつて、不斷から尊敬してゐる先生でないやうな氣がした。先生の顏は蒼かつた。

 「あなたは本當に眞面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果で、人を疑りつけてゐる。だから實はあなたも疑つてゐる。然し何うもあなた丈は疑りたくない。あなたは疑るには餘りに單純すぎる樣だ。私は死ぬ前にたつた一人で好(い)いから、他(ひと)を信用して死にたいと思つてゐる。あなたは其たつた一人になれますか。なつて吳れますか。あなたは腹の底から眞面目ですか」

 「もし私の命が眞面目なものなら、私の今いつた事も眞面目です」

 私の聲は顫へた。

 「よろしい」と先生が云つた。「話しませう。私の過去を殘らず、あなたに話して上げませう。其代り‥‥。いやそれは構はない。然し私の過去はあなたに取つて夫程有益でないかも知れませんよ。聞かない方が增(まし)かも知れませんよ。それから、―今は話せないんだから、其(その)積(つもり)でゐて下さい。適當の時機が來なくつちや話さないんだから」

 私は下宿へ歸つてからも一種の壓迫を感じた。

Line

 

やぶちゃんの摑み:先生が「私」に過去を語ることを約束する重要なシーンであるが、3段落目から4段落目へのジョイントはかなり強引で唐突、全体も如何にもコマ落としの感を免れぬ。おまけに漱石は二人の会話の背後の景色を一切描いていない。読者には勢い、「今私の前に坐つてゐる」辺りからも、件の会話が先生の宅で行われたと思うしかない。にも拘らず、室内を全く描かず、カメラは先生の煙草を持つ手の震えのアップのみというのも、先の郊外の植木屋でのシーンが極めて情景描写に富んでいただけに、如何にも植木屋の潅木に竹製の煙管を接いだみたような妙な感じである。第一、ここが先生の宅である以上、「私」の急迫と先生の過去の秘密の暴露に関わる言明を、靜や下女が『聞いていない』ということ(要は靜や下女が屋内にいないこと)を示す描写設定が実は必要不可欠であるはずである。それが全くない。どうも漱石は、短気で辻褄合わせが大嫌いな漱石は、読者にこうした肝心の部分を説明するのが、最早、面倒になってしまったのではなかろうか? この日は連載から丁度ぴったり、一箇月目なのである。漱石はもしかするとこの時まだ、複数短編でこの「心」構成するという予定を実行する気でいたのではなかったか? そんなくだくだしい説明をしていたら何時まで経っても終わらん、早いとこ切り上げないとオムニバスにならんぞ、と焦ったのかも知れないという気さえしてくるのである。

 

「二人は市の外れから電車に乘つた」若草書房2000年刊藤井淑禎注釈「漱石文学全注釈 12 心」の当該注及び「電車を降りると間もなく別れなければならなかつた」の注が明解に物語ってくれている。染井が前段の同定地として正しければ、染井通りを山手線を跨ぐ染井橋まで戻って右折、中山道に出れば『白山方向から来た市営の路面電車に乗ることができ』る。「電車を降りると間もなく別れなければならなかつた」という表現は二人の自宅の『最寄りの停車場が同じであったらしいことがわかる』。「私」が帝国大学近くに下宿していることは昼飯を食いに帰った箇所で述べたから(藤井氏同様に私もそう考えた)、『先生宅も本郷周辺ということがここからも推定できる。巣鴨からの路線だとすると、春日町かその一つ手前あたりで降りれば、本郷通りまでは歩いても五分とかからない。』と記されておられる。

 

「裏(うら)」のこの「う」のルビは上を左にして転倒している。

 

「話しませう。私の過去を殘らず、あなたに話して上げませう。其代り‥‥。いやそれは構はない。然し私の過去はあなたに取つて夫程有益でないかも知れませんよ。聞かない方が增かも知れませんよ。それから、―今は話せないんだから、其積でゐて下さい。適當の時機が來なくつちや話さないんだから」先生が「私」に自己の過去を完全に開示することを言明する大切な台詞であるが、私は永くこの「其代り‥‥」のリーダー部分が気に掛かってしょうがないのである。このリーダーの復元は思ったより簡単ではない。何故なら、まず直後の「いやそれは構はない」の「それ」が指示する内容の問題がある。普通に読み過せば『過去をこの「私」に総て告白すること』は「構はない」のだと読んでしまう。しかし、果してそうか? 「然し」以下の文脈は「私」が圧迫を感ずるほどに、強い不分明な警告として読者に示されるものの、本作をこの後、読み解いてゆくことになる読者にはさほど「不得要領」なもの、総てを読み終えた読後にも残るような不可解さとして残るようなものではなく、寧ろ遺書の提示によって分明なものとなるはずのものである。しかし、今の私はそこで立ち止ってみたいのだ。そうしてこの瞬間の先生の心の底の『顔』を見極めてみたいのだ。この「其代り‥‥」の部分は、直に「其代り、私の過去はあなたに取つて夫程有益でないかも知れませんよ」と繋がるものでは、ない、と言いたいのである。ここで、先生はもっと別なある謂い・表現を言わんとしたのではなかったか? 即ち、ある驚天動地の言明である。例えば(これはあくまで指示語の関係を示すための例であって私の考える復元案ではない)「其代り、――其代り私はこの自身の命を絶たねばならないことになります。いやそれは構はない。……」といった文脈である。私が言いたいのは、この「いやそれは構はない」に現われた「それ」が指す内容が、例えば「私はこの自身の命を絶たねばならないことにな」る、を指すという可能性である。そこのあるのは先生の過去を知ることによって生じる未来の「私」の決定的な人生行路の変容予言かも知れない。何らかの自身の死に拘わる言明やそれを暗示する比喩かも知れない。いや、遺書の最後に示されるのと類似した何か具体的なある種の禁止を含む命令(それは不作為を命じるものかもしれないし、作為を命じるものなのかも知れない)。「其代り‥‥」のリーダー部分にこそ、「それ」の指示内容が隠されている、それを受けたモノローグのようなものが「いやそれは構はない」という台詞である、という読みが可能であるということを言いたいのである。そうすると、この「‥‥」の復元が、ここでの一つの先生の覚悟の決定的本質を復元する作業になる、ということを言いたいのである。何も出てこないかも知れない。何かが垣間見えるかも知れない。それは分からぬ。しかし、そうした推察の作業を疎かにした時、私は遂に先生がKの「覺悟、――覺悟ならない事もない」の台詞を読み違えた失敗を、あの瞬間のKの『顔』を先生が見逃したのと同じ痛恨の失敗を、我々自身が繰り返す虞れがある、と言いたいのである。]

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