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2010/05/09

耳嚢 巻之二 非情の者恩を報ずる事

「耳嚢 巻之二」に「非情の者恩を報ずる事」を収載した。

 非情の者恩を報ずる事

 駿河臺に梅やしきとて、殊の外梅の鉢植多く愛し翫(もてあそ)ぶ山中平吉と言る人有。其(その)石臺(せきだい)抔のやういと大造成(たいさうなる)事也しが、或年平吉以の外大病にて久く引込けるが、次第に重き心持にて惱煩しに、或夜の夢に壹人の童子來りて、我等毎年厚恩の養ひを受しもの也、しかるに此度御身の病は誠に定業(じやうごふ)にて死を待に近しといへども、我數年の厚恩を思ひて御身の天年に代るべし、去ながら今用ひ給ふ醫師の藥にては宜しからず、同役勤ぬる篠山吉之助方へ賴て醫師を招き、服藥し給はゞ癒ゆべしとかたりて夢覺ぬ。不思議の事には思ひしかども、誠に夢うつゝなれば取用る事なけれど、是迄の醫師の藥もしかとなければ、親しき事ゆヘ吉之助へ賴み醫者の相談もせんと手紙認ける處に、表に案内ありて吉之助來る由通じければ、大きに驚き早速に臥所(ふしど)に招き、今使して申さんと思ひし由申ければ、吉之助も御身の病氣久々の事故我等も相談の爲に來ぬ、其譯は夜前(やぜん)夢に誰(たれ)ともなく御身の病を訪ひて藥用の相談いたし候やうと思ひて、驚きぬる故尋訪(たづねと)ひしと語りければ、平吉も彌(いよいよ)驚きてしかじかの夢を夜前見し譯かたりけるにぞ、兼て篠山へ出入醫師を差越療治願けるに、段々快(こころよく)て本服なしけるに、不思議なる哉、平吉追々快(こころよき)に隨ひ、數多(あまた)ある梅の内にもわけて寵愛せし鉢植の梅、段々樣子を損じ終に枯朽(かれくち)にけると也。

□やぶちゃん注

○前項連関:畜生の狐の人への復讐から非情の梅の人への報恩で逆直連関。

・「非情」仏教では山川草木土石は人間のような感情を持たないとする。

・「駿河臺」現在の東京都千代田区御茶ノ水駅南方一帯。本来は北方の本郷辺りから伸びた台地の南端に当たっていたが、江戸開府後の神田川開削によって分離されて高台となった。

・「山中平吉」山中鐘俊(かねとし 享保6(1721)年~寛政7(1795)年)山中保俊の男。元文2(1737)年遺跡を継ぎ、延享2(1745)年西丸御書院番、同3年中奥番士に転じ、明和3(1766)小十人頭。安永5(1776)年には徳川家治に従って日光山詣、西丸御先弓頭となり、寛政7(1795)年7月に老齢を理由に辞す。

・「石臺」石盆。箱庭。植木鉢の一種。木や素焼で作った長方形の浅い箱状・盆状のもので、石を配し、草花を植えて山水の景を作ったり(盆景)、盆栽を植えたりする。

・「定業」前世から、現世で受けることが定まっている善悪の果報。またはその果報を受ける時期が決定(けつじょう)している業。

・「篠山吉之助」篠山光官(こうかん/みつのり 享保元(1716)年~寛政2(1790)年)幕臣。第十代将軍徳川家治に近侍、明和6(1769)年に御徒頭、安永2(1773)年に西丸目付、、安永4(1775)年に西丸御先弓頭、天明7(1787)年に新番頭を歴任した。山鹿流兵法・一刀流剣法・渋川流柔術・大島流槍術等、武術全般に通じたが、特に槍術では八百人を超える門弟を擁したという。「同役」とあるので西丸御先弓頭時代の話であろうから、本話柄は山中平吉鐘俊が御先弓頭に就任した安永5(1776)年以降、「卷之二」の下限である天明6(1786)年迄の十年以内(この「耳嚢」執筆下限時には篠山は御先弓頭)に絞ることが出来る。さればこそ冒頭「山中平吉と言る人有」という現在時制がよく生きてくると言えよう。

・「御身の病を訪ひて藥用の相談いたし候やうと思ひて」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『御身の病を訪ひて薬用の相談申(もうし)候様申(もうす)と思ひて』とある。これを採る。

■やぶちゃん現代語訳

 本来非情と思って御座った者が恩を報いた事

 駿河台に「梅屋敷」と言うて、陸続と並ぶ梅の鉢植えを、殊の外賞玩して止まぬ山中平吉と言う人がある。

 彼の用いている石台そのものが、並外れて大きく且つ豪華なもので御座った。

 ある年のこと、平吉以ての外の大病に罹り、久しく屋敷内に引込んで御座ったが、病、次第に重くなりゆく気配にて、平吉、すっかり塞ぎ込んで御座った。

 そんなある夜の夢で御座った。

――一人の見目麗しい童子が夢中に来たって言う、

「……我ら、永い間貴方様の厚い御恩を受けて養はれて参った者にて御座います。……然るに、お見受け致すに……この度の貴方様の御病いは誠に定業(じょうごう)の成す業(わざ)にて御座いますれば……実に、死を待つに近い、と言わざるを得ませぬ。……我、数年の御厚恩を思い……貴方様の天命に代わらんと思いまする。……然り乍ら、今、懸かっておられる御医者の薬にては、この病い、宜しく御座らぬ。……貴方様と同役を勤めておられまする篠山吉之助様方へ賴んで医師をお招きになられ、その医師の調合する薬を服薬なさったならば癒ゆるはずに御座います……」

と語ったかと思うと、夢から醒めた。

 不思議な事もあるものじゃと思ったけれども――いや、本来、夢現(うつつ)のことなれば殊更に気にするまでもなきことなれど――これまでの医師の処方も一向に効く気配もなければとて、ともかくも親しい間柄故、まずは吉之助へ医者の相談なりと致そうと手紙を認(したた)めて御座ったところが、屋敷表から家来の者の伝令これあり。それが何と、かの吉之助本人が来訪致いたる由にての伝言なれば、大いに驚き、早速に臥所に招き入れ、今使者をして消息申し御来駕賜わらんと思うておったところの由申したところが、吉之助も、

「御身の病い、引き込んでからかなり経つこと故、我らも養生の相談の役に立てばと思うての……いや、その訳はと言えばじゃ……昨夜の夢に、誰(たれ)とも分からぬ者の現われ、『……御身の病を訪いて薬用の御相談方なされまするように……』と申したかと思うたところで……ふっと目覚めた……さればこそ尋ね訪うたというわけじゃ……。」

と語ったので、平吉もいよいよ驚き、実は、我もしかじかの夢を昨夜見て御座ったればこそ、と語り合わす。

 早速に、かねてより篠山宅へ出入するさる医師をさし寄越させ、療治を願ったところが、徐々に心地よくなり、遂に本服致いた……。

……ところが……

……如何にも、不思議なことじゃ!……

……平吉が……だんだんに心地よくなるに随って……數多御座った梅の内にも……殊の外寵愛致いて御座った鉢植えの梅が……だんだんに容姿を損ない……遂には枯れ朽ちてしもうたということじゃ……。

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