耳嚢 巻之二 寺をかたり金をとりし者の事
「耳嚢 巻之二」に「寺をかたり金をとりし者の事」を収載した。
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寺をかたり金をとりし者の事
駒込にて越中屋とて有德の者あり。或夏の暮に門へ床机(しやうぎ)を並べ、あたりの者四五人一同涼みて咄居たりしが、菩提所出家壹人來りて門口へ見廻り、越中屋を見て大きに肝を潰し、御身は死し給ふ由故、頭剃(かうぞり)に來りたりと言ければ、越中屋大きに驚き、扨/\忌はしき坊主哉とて、其所に有し者も、仔細こそ有らんとて大に笑ひ、いづれ唯にても歸されず、酒にても呑て參るべしと、何れも祝ひ直しに一盃呑めくと、其席の者を皆々呼入て酒など呑ける上にて、彼出家を尋しに答けるは、昨日の晝過(すぎ)て一僕連し侍來りて御身の一類の由、御身病死に付家内は上下歎き沈みぬれば取しきり世話する者なし、我等ゆかりゆへに來りて寺の取置の事も談じ侍る、是より歸りには何か調物(ととのへ)もいたしける由をいひけるにぞ、人の死せしに僞りもなきものなれば、誠の事と心得、右侍に支度など出し饗應しけるに、物くひ酒呑みて硯紙など借りて、金子二三兩懷中より出し、色々勘定の躰(てい)故、何ぞ用(よう)有(あり)哉(や)と和尚尋ねければ、是々の品をも調候積りなるが、少し金子不足と思へば勘定いたし申也、何れにも今晩申付ざれば明日の葬送も調ひがたし。若(もし)手元に有合(ありあへ)ば二三兩借し給へといひし故、其樣疑ふべき人品(じんぴん)にもあらざれば、金子三兩借(かし)遣しけるが、扨は右金子はかたられ、馳走は仕損(しぞん)也とかたりけれは、一座大笑ひをなせしと、その最寄の人語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:特に連関を感じさせない。先行する話柄にもしばしば見られた奇略の詐欺犯罪シリーズである。
・「越中屋」「有德の者」とあるからには豪商であろうが、不詳。
・「頭剃(かうぞり)」これは出家して僧となるために剃髪することを言うが、また、しばしば死者に戒をさずけると同時に髪を剃ることをも言った。
■やぶちゃん現代語訳
寺を騙してまんまと金を奪取した者の事
駒込に越中屋という豪商がいる。
ある夏の夕暮れ時、門口の辺りに床机を並べ、近所の者四、五人と涼んで世間話なんど致いておったところへ、越中屋菩提寺の僧が、一人袈裟を抱えて汗だくになりながらやって来、床机に座った越中屋を見るやいなや、吃驚仰天、
「……お、御身は……ご逝去なされた由……聞き及ぶによって、今日は……頭剃(こうぞり)に参ったのじゃが?……」
と言うので、越中屋も吃驚り。
「さてさて! 縁起でもない冗談を申す坊主じゃ!」
それを受けて、その場におった者どもも、
「はっ! はっ!……こりゃまた、何やらん、仔細があろうってもんだぜ!」
と大笑い。越中屋も、
「ともかくも、非礼なる振る舞い。いずれこのまま、ただでは帰されんぞ!……まあ、酒でも呑んで行かれるがよかろうぞ。……いずれにせよ、験(げん)直しの祝い直しじゃ! 皆の衆! 宅(うち)へ入(い)って一杯呑んでっておくんな!」
とそこにおった僧や男どもを、みんな呼び入れ、酒なんど酌み交わしつつ、かの僧に謂れを訊くと――
「……昨日の丁度、昼過ぎ、下僕を一人連れた侍が当寺を訪れたんじゃ。……そうして御身の親類の由申し、
『越中屋儀、急の病いにて、これ卒(しゅ)っして御座った……越中屋家内(いえうち)は火の消えた如、すっかり嘆き沈んで御座れば、葬儀万端、これ、取り仕切り世話する者とて御座らぬ。……我ら越中屋が縁なる者なれば、取り急ぎ越中屋へ参り、とりあえず、寺への埋葬の段等も御相談致そうと存じて参った。……(独白ながら僧に聞えるように)これより帰る途中は……そうそう、何かと葬儀のために買い調えておくものも御座ったのぅ……』
とのこと。……いや! 人が死んだと言うを……まさか、偽りなんどとは思いもせねば……当然、誠のことと思うて……昼も食せず取り急ぎ参ったというこの侍に、膳などを出だいて饗応致した。……すると、この侍、早朝、遠方より徒歩(かち)立ちにて出で、いっさんに参ったればとか何とか申しての、……まあ、食うわ食うわ、呑むわ呑むわ、……鱈腹食うた後、……硯と紙を所望、金子二、三両を懷から出だいて……何やらん、いろいろ勘定し思案致いている様子なれば、
『……御仁、どうか致されたか?』
と拙僧が訊ねたところ、
『……いやさ、これこれの葬儀の物、これより買い調えて帰らんとするものなれど、……少々、金子が足らぬように思うに付、勘定致いており申した。……何れにせよ、今晩申し付けて用意致さねば、明日の葬送も間に合いそうも御座らぬ。……もし、和尚、手元にあらばの話しで御座るが……二、三両、都合して頂けると助かるので御座るが……』
と申す故……いや! もう、その立ち居振る舞いから人品、卑しからざる風体(ふうたい)にて御座ったれば、……金子三両を貸した――
――糞! さてはかの金子、騙し取られた! 出した馳走も! 糞! 食われ損じゃが!!」
と糞にされた坊主は糞踏むように地団駄踏んで、一座の者ども、大笑い致いたとのこと。
その越中屋の近隣に住む者の話しで御座る。
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