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2010/05/19

『東京朝日新聞』大正3(1914)年5月19日(火曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第三十回

Kokoro13_9   先生の遺書

   (三十)

 其時の私は腹の中で先生を憎らしく思つた。肩を並べて步き出してからも、自分の聞きたい事をわざと聞かずにゐた。しかし先生の方では、それに氣が付いてゐたのか、ゐないのか、丸で私の態度に拘泥(こだわ)る樣子を見せなかつた。いつもの通り沈默がちに落付き拂つた步調をすまして運んで行くので、私は少し業腹(ごうはら)になつた。何とかいつて一つ先生を遣つ付けて見たくなつて來た。

 「先生」

 「何ですか」

 「先生はさつき少し昂奮なさいましたね。あの植木屋の庭で休んでゐる時に。私は先生の昂奮したのを滅多に見た事がないんですが、今日は珍らしい所を拜見した樣な氣がします」

 先生はすぐ返事をしなかつた。私はそれを手應(てごたへ)のあつたやうにも思つた。また的が外れたやうにも感じた。仕方かないから後は云はない事にした。すると先生がいきなり道の端へ寄つて行つた。さうして綺麗に刈り込んだ生垣の下(した)で、裾をまくつて小便をした。私は先生が用を足す間ぼんやり其處に立つてゐた。

 「やあ失敬」

 先生は斯ういつて又步き出した。私はとう/\先生を遣り込める事を斷念した。私達の通る道は段々賑やかになつた。今迄ちらほらと見えた廣い畠の斜面や平地(ひらち)が、全く眼に入らないやうに左右の家並が揃つてきた。それでも所々宅地の隅などに、豌豆(ゑんどう)の蔓(つる)を竹にからませたり、金網で鶏を圍ひ飼ひにしたりするのが閑靜に眺められた。市中(しちう)から歸る駄馬が仕切(しき)りなく擦れ違つて行つた。こんなものに始終氣を奪られがちな私は、さつき迄胸の中にあつた問題を何處かへ振り落して仕舞つた。先生が突然其處へ後戾りをした時、私は實際それを忘れてゐた。

 「私は先刻(さつき)そんなに昂奮したやうに見えたんですか」

 「そんなにと云ふ程でもありませんが、少し‥‥」

 「いや見えても構はない。實際昂奮するんだから。私は財產の事をいふと屹度昂奮するんです。君には何う見えるか知らないが、私は是で大變執念深い男なんだから。人から受けた屈辱や損害は、十年立つても二十年立つても忘れやしないんだから」

 先生の言葉は元よりも猶昂奮してゐた。然し私の驚ろいたのは、決して其調子ではなかつた。寧ろ先生の言葉が私の耳に訴へる意味そのものであつた。先生の口から斯んな自白を聞くのは、いかな私にも全く意外に相違なかつた。私は先生の性質の特色として、斯んな執着力(しふぢやくりよく)を未だ嘗て想像した事さへなかつた。私は先生をもつと弱い人と信じてゐた。さうして其弱くて高い處に、私の懷かしみの根を置いてゐた。一時(じ)の氣分で先生にちよつと盾を突いて見やうとした私は、此言葉の前に小さくなつた。先生は斯う云つた。

 「私は他(ひと)に欺むかれたのです。しかも血のつゞいた親戚のものから欺むかれたのです。私は決してそれを忘れないのです。私の父の前には善人であつたらしい彼等は、父の死ぬや否や許しがたい不德義漢(ふとくぎかん)に變つたのです。私は彼等から受けた屈辱と損害を小供の時から今日(けふ)迄(まで)脊負(しよ)はされてゐる。恐らく死ぬ迄脊負(しよ)はされ通しでせう。私は死ぬ迄それを忘れる事が出來ないんだから。然し私はまだ復讐をしずにゐる。考へると私は個人に對する復讐以上の事を現に遣つてゐるんだ。私は彼等を憎む許りぢやない、彼等が代表してゐる人間といふものを、一般(はん)に憎む事を覺えたのだ。私はそれで澤山だと思ふ」

 私は慰藉(ゐしや)の言葉さへ口へ出せなかつた。Line_9

 

[♡やぶちゃんの摑み:先生が自身の過去を始めて具体的に開示する場面である。先生が自身の口から具体的な過去を語るのは実はここだけで、後は遺書まで待たねばならぬ。そういう意味で、この章は重要視されてきた。しかし、今回、私はその台詞のプレ場面に着目した。例えば、こんなのはどうだ?

   *
 その時の僕は胸の内で彼女を憎らしく思ったさ。だから仲良く肩を並べて歩き出してからも、少し意固地になって僕の聞きたい事をわざと聞かずにいた。だけど彼女の方は、それに気づいてるのか、いないのか、まるで僕の不機嫌な態度に拘る様子すら見せないんだ。彼女はいつもの通り言葉少なに、ちょっとつんとしたような、何でもないわといった感じの歩調を、すましたまんま運んで行く――僕は少し腹が立ってきたんだ。何とか何か言いかけて、一つ、彼女を困らせてみたくなったんだ。
 「ねえ、君?」
 「何?」
 「君、さっき少し――昂奮――したよね。ほら、あの植木屋の庭で休んだ時さ。僕は君の昂奮するのってさ――滅多に見たこと、ないよ。――今日は珍らしいところを見せてもらったよ。……」
 彼女はすぐには返事をしなかった。僕はそれを――手応えあったか? とも思った。また、こいつもいつもと同(おんな)じで的が外れちまったのかなあ? とも感じた。――だからやっぱり、張り合いがないので、仕方ないから後はもう何にも言わないことにしたんだ。

   *
これはもう、少しばかり拗ねてしまった恋人同士の会話以外の何ものでも、ない。そうして先生の放尿を経て、「私」にとって驚天動地の開示が始まるのである。先生に開示を促したのは何であったか? それは、とりも直さず、この今まで従順だった「私」の掟破りの意地悪い行動と言辞に触発されたものと見なくてはならぬ。さらにそこに挟まる形の立小便が開示の覚悟の禪機となっていることにも着目せねばならぬ。
 即ち、先生はここで求めようとするものを与えてくれない拗ねた「私」に、逆に、真に自分(先生)を『愛している「私」』を確認し得たのではなかったか?
 そして先生は考えたのだ。
――真に『愛する』ということをこの「私」に教えねばならない!――
――『愛する』ということはそんな拗ねた意地悪な会話によっては決して成就せぬ!――
――そのためには――真に人を『愛する』ためには――私がこれからするように、誰も知らない自身のおぞましい過去を語る『覚悟』がなくてはならぬ!――
と。でなくて、どうして先生は過去を開示しよう!
 勿論、親戚の者に裏切られた結果、更に『何かがあったために』人間全体を憎悪するようになったというそれは半公的に知られた過去が大半を占めるのではあるが、お分かりの通り、「然し私はまだ復讐をしずにゐる。考へると私は個人に對する復讐以上の事を現に遣つてゐるんだ。私は彼等を憎む許りぢやない、彼等が代表してゐる人間といふものを、一般に憎む事を覺えたのだ」という言明(ディスクール)部分こそがここでの核心・摑みなのである。そこで先生は「私」に『何かがあったために』の部分を意味深長に暗示的に開示したのである。これは先生が「私」を、「私」だけには過去を語ってよいであろう(ここでは未だ可能性可・可能性大の初期レベルではあるが)と決意した証し以外の何ものでもない。
 そして、そう考えた時、「すると先生がいきなり道の端へ寄つて行つた。さうして綺麗に刈り込んだ生垣の下で、裾をまくつて小便をした。私は先生が用を足す間ぼんやり其處に立つてゐた。」『「やあ失敬」』「先生は斯ういつて又歩き出した。私はとう/\先生を遣り込める事を斷念した」の部分は禪の公案のスタイルであることが判明する。即ち、それ風に言うなら、

   *
 弟子曰く、
「師、既に昂奮す、作麼生(そもさん)、之れ、如何。」
と。
 師、默して道側に寄り、墻下(せうか)に放尿す。
 弟子、膝下に拜せり。

   *
である。この小便の「びゅっ」と飛ぶ勢い、「じゃあじゃあ」という音、その濛々たる湯気――いや、これこそ禪気ならぬ禪機なのである。師の過去を知ることは師の生死更には弟子の生死をも支配することを、この立小便は一瞬にして示した――。
 嘗て、私はこれをフロイト的に解釈しようと試みたことがある。即ち、見えざる先生の男根(ファルス)の出現である。放尿は性行為と創造の象徴であり、ここで父権的超自我存在としての先生が「私」をレイプし、性的社会的人生的な意味での処罰と支配が行われ、その代償として、支配者(神)とまぐわった者の特権として過去の開示の占有が示されるという図式であるが、フロイトへの興味が薄れつつある今の私には、これは、小便が臭うぐらいに如何にも臭いという気がしている。今私はここを矢張り、禪機ととるのである。以下、言いたいことはほぼ言ってしまったので、個々の「摑み」は簡単に済ませる。


♡「君には何う見えるか知らないが、私は是で大變執念深い男なんだから。人から受けた屈辱や損害は、十年立つても二十年立つても忘れやしないんだから」という部分では、先生の自己評と「私」の先生の性格の認識の落差を押さえておく必要がある。この台詞の後で「私」が語るように、この先生の自己観察は、「私」にとって意外中の意外であって、私は先生を「もつと弱い人と信じて」おり、その「弱くて高い處に」一種の共感を持っていたのだと言う。ということは先生は殊更に、自己の性情を「私」に隠していたということになるのだが、そうではない。先生は「大變執念深い男」としての自分を生来の自分とは認識していない。「私」の前では、いや、「私」の前だけで、先生は本来の自身の「弱くて高い」性質(たち)を安心して示し得たのであった。

 

♡「個人に對する復讐以上の事を遣つてゐる」この意味不明の文句、更にそこから脈絡不明の「人間といふものを」憎むようになったという言説が示され、吐き捨てるように「私はそれで澤山だと思ふ」が来る(この語気は先生の台詞の中で最も憎悪に満ちた部分で朗読では最も注意を有するところだ)。これが美事に本作を推理ドラマに仕立て上げる。「こゝろ」の「上」パートはあらゆるシークエンス・シーンが典型的な探偵小説の手法を用いていると言ってもよいと思われる。]

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