『東京朝日新聞』大正3(1914)年5月18日(月曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第二十九回
(二十九)
先生の談話(たんわ)は、此犬と小供のために、結末迄進行する事が出來なくなつたので、私はつひに其要領を得ないでしまつた。先生の氣にする財產云々の掛念(けねん)は其時の私には全くなかつた。私の性質として、又私の境遇からいつて、其時の私には、そんな利害の念に頭を惱ます餘地がなかつたのである。考へると是は私がまだ世間に出ない爲でもあり、又實際其塲に臨まない爲でもあつたらうが、兎に角若い私には何故か金の問題が遠くの方に見えた。
先生の話のうちでたゞ一つ底(そこ)迄聞きたかつたのは、人間がいざといふ間際に、誰でも惡人になるといふ言葉の意味であつた。單なる言葉としては、是丈でも私に解らない事はなかつた。然し私は此句に就いてもつと知りたかつた。
犬と小供が去つたあと、廣い若葉の園(その)は再び故(もと)の靜かさに歸つた。さうして我々は沈默に鎖ざされた人の樣にしばらく動かずにゐた。うるはしい空の色が其時次第に光を失なつて來た。眼の前にある樹は大概(たいがい)楓であつたが、其枝に滴るやうに吹いた輕い綠の若葉(わかは)が、段々暗くなつて行く樣に思はれた。遠い往來を荷車を引いて行く響(ひゞき)がごろごろと聞こえた。私はそれを村の男が植木か何かを載せて緣日へでも出掛けるものと想像した。先生は其音を聞くと、急に瞑想から呼息(いき)を吹き返した人のやうに立ち上つた。
「もう、徐々(そろ/\)歸りませう。大分日が永くなつたやうだが、矢張(やつぱ)り斯う安閑としてゐるうちには、何時の間にか暮れて行くんだね」
先生の脊中には、さつき緣臺(えんたい)の上に仰向(あふむき)に寐た痕が一杯(はい)着いてゐた。私は兩手でそれを拂ひ落した。
「ありがたう。脂(やに)がこびり着いてやしませんか」
「綺麗に落ちました」
「此羽織はつい此間拵らへた許りなんだよ。だから無暗に汚して歸ると、妻に叱られるからね。有難(ありかた)う」
二人は又だら/\坂(ざか)の中途にある家の前へ來た。這入る時には誰も氣色の見えなかつた緣に、御上さんが、十五六の娘を相手に、絲卷へ糸を卷きつけてゐた。二人は大きな金魚鉢の橫から、「どうも御邪魔をしました」と挨拶した。御上さんは「いゝえ御構ひ申しも致しませんで」と禮を返した後(あと)、先刻小供に遣つた白銅の禮を述べた。
門口を出て二三町來た時、私はついに先生に向つて口を切つた。
「さき程先生の云はれた、人間は誰でもいざといふ間際(まきは)に惡人になるんだといふ意味ですね。あれは何ういふ意味ですか」
「意味といつて、深い意味もありません。―つまり事實なんですよ。理窟ぢやないんだ」
「事實で差支ありませんが、私の伺ひたいのは、いざといふ間際といふ意味なんです。一體何んな場合を指すのですか」
先生は笑ひ出した。恰(あたか)も時機の過ぎた今、もう熱心に說明する張合がないと云つた風に。
「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ惡人になるのさ」
私には先生の返事があまりに平凡過ぎて詰まらなかつた。先生が調子に乘らない如く、私も拍子拔けの氣味であつた。私は澄ましてさつさと步き出した。いきほひ先生は少し後れ勝になつた。先生はあとから「おい/\」と聲を掛けた。
「そら見給へ」
「何をですか」
「君の氣分だつて、私の返事一つですく變るぢやないか」
待ち合はせるために振り向いて立ち留まつた私の顏を見て、先生は斯う云つた。
[♡やぶちゃんの摑み:本回には上の通り、最後の縦罫がない。
♡「脂」松脂。縁台が松材で出来ていたのであろう。
♡『私には先生の返事があまりに平凡過ぎて詰まらなかつた。先生が調子に乘らない如く、私も拍子拔けの氣味であつた。私は澄ましてさつさと歩き出した。いきほひ先生は少し後れ勝になつた。先生はあとから「おい/\」と聲を掛けた』「私」が先生に対して面白くないという不満を実際の行動に移してでも見せ付けなくてはならないと感じる極めて珍しい場面である。次章の冒頭でそれは頂点に達する。――しかしこれ、何だか、何かに似てないか?――(明日の注へ続く)]
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――明日の摑みは、ちょいとオリジナリティに自信がある。さてもさても乞うご期待!――