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2010/06/24

『東京朝日新聞』大正3(1914)年6月24日(水曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第六十二回

Kokoro14_2   先生の遺書

   (六十二)

 「私は今迄伯父任せにして置いた家の財產に就いて、詳しい知識を得なければ、死んだ父母(ちちはは)に對して濟まないと云ふ氣を起したのです。伯父は忙がしい身體だと自稱する如く、每晩同じ所に寢泊りはしてゐませんでした。二日家へ歸ると三日は市の方で暮らすといつた風に、兩方の間を往來して、其日其日を落付のない顏で過ごしてゐました。さうして忙がしいといふ言葉を口癖のやうに使ひました。何の疑も起らない時は、私も實際に忙がしいのだらうと思つてゐたのです。それから、忙がしがらなくては當世流ではないのだらうと、皮肉にも解釋してゐたのです。けれども財產の事に就いて、時間の掛る話をしやうといふ目的が出來た眼で、この忙がしがる樣子を見ると、それが單に私を避ける口實としか受取れなくなつて來たのです。私は容易に伯父を捕(つら)まへる機會を得ませんでした。

 私は伯父が市の方に妾(めかけ)を有つてゐるといふ噂を聞きました。私は其噂を昔し中學の同級生であつたある友達から聞いたのです。妾を置く位(くらゐ)の事は、此伯父として少しも怪しむに足らないのですが、父の生きてゐるうちに、そんな評判を耳に入れた覺のない私は驚ろきました。友達は其外にも色々伯父に就いての噂を語つて聞かせました。一時事業で失敗しかゝつてゐたやうに他から思はれてゐたのに、此二三年來又急に盛り返して來たといふのも、その一つでした。しかも私の疑惑を强く染め付けたものゝ一つでした。

 私はとう/\伯父と談判を開きました。談判といふのは少し不穩當かも知れませんが、話の成行からいふと、そんな言葉で形容するより外に途(みち)のない所へ、自然の調子が落ちて來たのです。伯父は何處迄も私を子供扱ひにしやうとします。私はまた始めから猜疑の眼で伯父に對してゐます。穩やかに解決のつく筈はなかつたのです。

 遺憾ながら私は今その談判(だんはん)の顚末を詳しく此處に書く事の出來ない程先を急いでゐます。實をいふと、私は是より以上に、もつと大事なものを控へてゐるのです。私のペンは早くから其處へ辿りつきたがつてゐるのを、漸(やつ)との事で抑へ付けてゐる位です。あなたに會つて靜かに話す機會を永久に失つた私は、筆を執る術(すべ)に慣れないばかりでなく、貴い時間を惜むといふ意味からして、書きたい事も省かなければなりません。

 あなたは未(ま)だ覺えてゐるでせう、私がいつか貴方に、造り付けの惡人が世の中にゐるものではないと云つた事を。多くの善人がいざといふ場合に突然惡人になるのだから油斷しては不可ないと云つた事を。あの時あなたは私に昂奮してゐると注意して吳れました。さうして何んな場合に、善人が惡人に變化するのかと尋ねました。私がたゞ一口金と答へた時、あなたは不滿な顏をしました。私はあなたの不滿な顏をよく記憶してゐます。私は今あなたの前に打ち明けるが、私はあの時此伯父の事を考へてゐたのです。普通のものが金を見て急に惡人になる例として、世の中に信用するに足るものが存在(ぞんざい)し得ない例として、憎惡と共に私は此伯父を考へてゐたのです。私の答は、思想界の奧へ突き進んで行かうとするあなたに取つて物足りなかつたかも知れません、陳腐だつたかも知れません。けれども私にはあれが生きた答でした。現に私は昂奮してゐたではありませんか。私は冷かな頭で新らしい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な說を述べる方が生きてゐると信じてゐます。血の力で體(たい)が動くからです。言葉が空氣に波動を傳へる許りでなく、もつと强い物にもつと强く働き掛ける事が出來るからです。

Line_2

 

やぶちゃんの摑み:ここでも先生の感じ方は冷静に読んでみると、おかしい。叔父が「忙がしい身體だと自稱する如く、毎晩同じ所に寢泊はしてゐ」なかった、「二日家へ歸ると三日は市の方で暮らすといつた風に、兩方の間を往來して、其日其日を落付のない顏で過ごしてゐ」た、また常日頃「忙がしいといふ言葉を口癖のやうに使」ったというのは、明らかに叔父が先生の実家を管理し始めた当初からのことで、今に始まったことではない。叔父は実家を管理する承諾をした際、「然し市の方にある住居も其儘にして置いて、兩方の間を往つたり來たりする便宜を與へて貰はなければ困るとい」(五十九)っているからである。そこは先生も「何の疑も起らない時は、私も實際に忙がしいのだらうと思つてゐた」「忙がしがらなくては當世流ではないのだらうと、皮肉にも解釋してゐた」と述べている。「何の疑も起らない時」とは即ち、3年前に実家管理を叔父に任せてから今日までの3年弱の期間を指していることは明白である。また過去2回の夏期休暇の限定された帰郷を通して観察してみて、時間的な余裕を持った中で総合的に解釈して、始めてその忙しがり方が「當世流」であるという「解釋」は下し得るのであるから、これもやはり『実家管理を叔父に任せてから今日までの3年弱の期間』の中で形成された見方と考えざるを得ない。私がくどく書いている理由がお分かり頂けるだろうか? 即ち、これらを『今心付いた』叔父が財産を横領していたから、ここで急に先生を避けているのではないか、という疑惑の理由として掲げるのは聊か『おかしい、ずれている』のである。叔父の態度は財産を手にした際、その直後の1回目の帰郷の時と2回目で、そうした態度は一貫して変わっていないのである――ところが、我々は巧妙な先生の語り口の罠(トラップ)に引っ掛かってしまうのだ。この直後に「けれども財產の事に就いて、時間の掛る話をしやうといふ目的が出來た眼で、この忙がしがる樣子を見ると、それが單に私を避ける口實としか受取れなくなつて來た」「私は容易に伯父を捕まへる機會を得」られなかった、という作中内現在時制を持ち込まれると、――あたかも「忙がしい身體だと自稱する如く、每晩同じ所に寢泊りはしてゐ」なかった、「二日家へ歸ると三日は市の方で暮らすといつた風に、兩方の間を往來して、其日其日を落付のない顏で過ごしてゐ」た、また常日頃「忙がしいといふ言葉を口癖のやうに使」う叔父はこの3度目の帰郷の際の叔父の、「掌を返」したような態度変容である――かのように読めるよう、巧妙に作られているのである。そして先生はその直後に「私は伯父が市の方に妾を有つてゐるといふ噂を聞きました」という決定的に『見える』疑惑の傍証を挙げてもいるのである。しかし、当時、畜妾は小金持ちのステイタス・シンボルみたようなものであって、怪しむに足らぬものである。皮肉ではなく、この精力的な叔父が、当時にあって妾の一人も持っているのは男の甲斐性だったはずだ、と現代の私(やぶちゃん)でさえ(知識としては)思うのである。ところがここでも多くの人がトラップに美事にかかるのではあるまいか。――『最近』この叔父が「二日家へ歸ると三日は市の方で暮らすといつた風に、兩方の間を往來して、其日其日を落付のない顏で過ごしてゐ」たのは「伯父が市の方に妾を有つてゐ」たからだ、だって「父の生きてゐるうちに、そんな評判を耳に入れた覺」はなかったんだから!――という時間軸を不当に圧縮して、正に『最近』の出来事――先生の財産の横領が半端でない大金に及んだ『最近』若しくはその横領分が更に金を生んだ『最近』の出来事――として読者に誤読させる方向を狙って書かれていると私は思うである。私は叔父はもう先から妾を持っていたものと私は思う。趣味人で叔父を買っていた先生の父親がそんな評判を息子に話すはずもなく、先生の叔父が先生の親代わりになる以前、先生の友人がこの叔父に特に興味関心を持つとも思われないし、妾を持っていることを知り、それをわざわざ先生に話すとも思われない。話す必要性がその時点ではないからである。逆に先生が叔父に疑惑を持って友人に根掘り葉掘り聞き始めれば、友人が財産管理以前から畜妾していたという時間軸を無視して語ってしまうことも大いにあり得るであろう。

 

 それでも先生が最後に放つ「一時事業で失敗しかゝつてゐたやうに他から思はれてゐたのに、此二三年來又急に盛り返して來たといふのも」中学の友人から聞いた叔父の財産横領「疑惑を强く染め付けたものゝ一つ」だったという叙述は確かに疑うには足るものである。と言うか、疑うに足るのはこれ一件と言ってもよいのである(細かいことを言うなら、ここでその友人は「此二三年來」と言っている。先生の財産の代理管理を叔父が本格的に受け持つようになったのはこの時点からは早くても3年弱前である。腸チフスの流行時機は夏から秋であるが、高等学校入学直前として父母の死は3年前の7~8月、法的措置が正式に取り交わされたのが郷里を立つこの時であるとすればである)。微妙な時機である。これが疑惑の決定的証拠とはやはり言えないのではないかという言いも決して排除は出来ないことになる(まるで叔父に雇われたやくざな弁護士が「疑わしきは被告人の利益に!」と主張しているようになって来たな)。天邪鬼に言えば、読者には灰色となるように設定されている痕跡さえ明らかと言えるようにも思えるのである。

 

「遺憾ながら私は今その談判の顚末を詳しく此處に書く事の出來ない程先を急いでゐます。實をいふと、私は是より以上に、もつと大事なものを控へてゐるのです」こうしたコマ落しは、次の章でも突如現われる。ここで我々は次章冒頭で明言される叔父の財産横領の事実を立証する弁論を全く提示されずに読み進めざるを得ないこととなる。私が裁判員であれば、意義を唱えるところである。何故なら、後はただ、先生の側の一方的な心理変容の叙述を読まされるだけで、そもそも叔父による現実の違法な財産横領があったのかなかったのか、あったとすればそれがどの程度のものであり、その民法上の有責性はどの程度のものであったのかを知ることは、遂に全く出来ないからである。この叙述のブレイクはその点、如何にも『先生』が疑わしい、と言わざるを得ない。私には決して看過出来るものではない。そういう意味で、本テクストの先生の叔父に関わる陳述部分を、私という裁判員が極めて疑いを持って読むこと、再審議の提案をここで強く請求することを、先生も漱石も拒否出来ないと言ってよいのである。

 

「思想界の奧へ突き進んで行かうとするあなた」そう、それが読者である、そう、あなたなのだ!

 

「私は冷かな頭で新らしい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な說を述べる方が生きてゐると信じてゐます。血の力で體が動くからです。言葉が空氣に波動を傳へる許りでなく、もつと强い物にもつと强く働き掛ける事が出來るからです」「現に私は昂奮してゐたではありませんか」から引き出されるこの言葉は奇しくも(既に遺書を読んだ「私」が書いているんだから奇しくもないんだが)田舎に帰った「私」の第(二十三)章の以下の部分を髣髴とさせる。

 

 私は心のうちで、父と先生とを比較して見た。兩方とも世間から見れば、生きてゐるか死んでゐるか分らない程大人しい男であつた。他に認められるといふ點からいへば何方も零であつた。それでゐて、此將棋を差したがる父は、單なる娯樂の相手としても私には物足りなかつた。かつて遊興のために往來をした覺のない先生は、歡樂の交際から出る親しみ以上に、何時か私の頭に影響を與へてゐた。たゞ頭といふのはあまりに冷か過ぎるから、私は胸と云ひ直したい。肉のなかに先生の力が喰ひ込んでゐると云つても、血のなかに先生の命が流れてゐると云つても、其時の私には少しも誇張でないやうに思はれた。私は父が私の本當の父であり、先生は又いふ迄もなく、あかの他人であるといふ明白な事實を、ことさらに眼の前に並べて見て、始めて大きな眞理でも發見しかたの如くに驚ろいた。

 

更にここで着目したいのは、「血の力で體が動く」という時の「血」である。これは霊としての魂としての「血」である。「言葉が空氣に波動を傳へる許りでなく、もつと强い物にもつと强く働き掛ける」という時、これは物理的な波動ではなく不可視の「霊波動」、「言霊」の意である。先生は「熱した舌で」語る時、そこには霊や魂が宿る、そうして語られた「平凡な說」は、最早言葉上の陳腐「平凡」を越えて霊の輝きを持っている、そうしてそれを捉(つら)まえた時、人間は真に「生きてゐる」と言えるのだ、と語っている。先生の内なる神秘主義的霊性が語られているところである。しかし、あの会話の文脈の中で「金」のことだ、と言われると……俄然、「私」同様、ぷいっと、したくなる。そうして、このように遺書で詳細に告白されても……私(やぶちゃん)は、やっぱり、ぷいっと、したくなるのである。]

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