『東京朝日新聞』大正3(1914)年6月30日(火曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第六十八回
(六十八)
「私は御孃さんの立つたあとで、ほつと一息するのです。夫と同時に、物足りないやうな濟まないやうな氣持になるのです。私は女らしかつたのかも知れません。今の靑年の貴方がたから見たら猶左右見えるでせう。然し其頃の私達は大抵そんなものだつたのです。
奥さんは滅多に外出した事がありませんでした。たまに宅を留守にする時でも、御孃さんと私を二人ぎり殘して行くやうな事はなかつたのです。それがまた偶然なのか、故意なのか、私には解らないのです。私の口からいふのは變ですが、奥さんの樣子を能く觀察してゐると、何だか自分の娘と私とを接近させたがつてゐるらしくも見えるのです。それでゐて、或場合には、私に對して暗に警戒する所もあるやうなのですから、始めて斯んな場合に出會つた私は、時々心持をわるくしました。
私は奥さんの態度を何方(どつち)かに片付て貰ひたかつたのです。頭の働きから云へば、それが明らかな矛盾に違ひなかつたからです。然し伯父に欺かれた記憶のまだ新らしい私は、もう一步(ほ)踏み込んだ疑ひを挾(さしはさ)まずには居られませんでした。私は奥さんの此態度の何方かゞ本當で、何方かゞ僞(いつはり)だらうと推定しました。さうして判斷に迷ひました。ただ判斷に迷ふばかりでなく、何でそんな妙な事をするか其意味が私には呑み込めなかつたのです。理由(わけ)を考へ出さうとしても、考へ出せない私は、罪を女といふ一字に塗り付けて我慢した事もありました。必竟女だからあゝなのだ、女といふものは何うせ愚なものだ。私の考へは行き詰(つま)れば何時でも此處へ落ちて來ました。
それ程女を見縊(みくび)つてゐた私が、また何うしても御孃さんを見縊る事が出來なかつたのです。私の理窟は其人の前に全く用を爲さない程動きませんでした。私は其人に對して、殆ど信仰に近い愛を有つてゐたのです。私が宗敎だけに用ひる此言葉を、若い女に應用するのを見て、貴方は變に思ふかも知れませんが、私は今でも固く信じてゐるのです。本當の愛は宗敎心とさう違つたものでないといふ事を固く信じてゐるのです。私は御孃さんの顏を見るたびに、自分が美くしくなるやうな心持がしました。御孃さんの事を考へると、氣高い氣分がすぐ自分に乘り移つて來るやうに思ひました。もし愛といふ不可思議なものに兩端(りやうはじ)があつて、其高い端(はじ)には神聖な感じが働いて、低い端(はじ)には性慾が動いてゐるとすれば、私の愛はたしかに其高い極點を捕(つら)まへたものです。私はもとより人間として肉を離れる事の出來ない身體(からだ)でした。けれども御孃さんを見る私の眼や、御孃さんを考へる私の心は、全く肉の臭(にほひ)を帶びてゐませんでした。
私は母に對して反感を抱くと共に、子に對して戀愛の度を增して行つたのですから、三人の關係は、下宿した始めよりは段々複雜になつて來ました。尤も其變化は殆ど内面的で外へは現れて來なかつたのです。そのうち私はあるひよつとした機會から、今迄奥さんを誤解してゐたのではなからうかといふ氣になりました。奥さんの私に對する矛盾した態度が、どつちも僞りではないのだらうと考へ直して來たのです。其上、それが互違に奥さんの心を支配するのでなくつて、何時でも兩方が同時に奥さんの胸に存在してゐるのだと思ふやうになつたのです。つまり奥さんが出來るだけ御孃さんを私に接近させやうとしてゐながら、同時に私に警戒を加へてゐるのは矛盾の樣だけれども、其警戒を加へる時に、片方の態度を忘れるのでも翻へすのでも何でもなく、矢張依然として二人を接近させたがつてゐたのだと觀察したのです。たゞ自分が正當と認める程度以上に、二人が密着するのを忌むのだと解釋したのです。御孃さんに對して、肉の方面から近づく念の萌さなかつた私は、其時入らぬ心配だと思ひました。しかし奥さんを惡く思ふ氣はそれから無くなりました。
[♡やぶちゃんの摑み:先生の遺書世界に最初に登場する重要な思想アイテムの提示部である。但し、その核心である4段落目以外、その前後を挟む叙述部分は『先生の阿呆さ加減』が著しい。聞き飽きたところのこうしたことにかけては単細胞生物である漱石由来の偏狭な「私は女らしかつた」という“Misogyny”(ミソジニー・女性蔑視・女性嫌悪) に始まり、『当り前田のクラッカー』状態の奥さんの接近と警戒の『フツーの態度が分からない人格障碍』である先生が美事である。まずは一章の2/3も費やして、この『分かり切った内容が何となくフツーに分かるようになるまでの自分』を細述する先生は、殆んどの読者が『フツーでない』と思ったということは認識すべきではあろう。その上で、アイテムを整理しよう。これが授業ならまずは板書で、
[先生の人生観(恋愛観)]
◎先生の御嬢さんへの「愛」は「信仰に近い愛」である。
◎この時点での先生の御嬢さんへの「愛」は“Platonic love”(プラトニック・ラヴ)である。
◎先生にとっての一般概念としては「本当の愛は宗教心とそう違つたものでない」。
◎神聖←――――――愛――――――→性欲
「私の愛はたしかに其高い極点を捕まえたもの」だという鮮やかな言明。
と押えるところだ。
またしても二極分化・二項対立である。恋愛という混沌(カオス)なればこそに全きものであるものを、先生は崇高な属性を付与させた「神聖」と忌むべき不潔なるものとしての属性の烙印を押してしまった「性欲」の二項に分化させて、さらにそれを鋭く対置させて、それで秩序的宇宙(コスモス)が出来ると幻想している。しかしそれは、先生の遺書世界(先生の世界ではない! 「先生の遺書世界」と私が言っていることに注意されたい!)にあって弁証法的な定立と反定立のようにアウフヘーベン(止揚)はしないのである。鋭く対置されたままに、引き裂かれ、遂には互いに互いを刺し貫いてしまうのだ。先生の悲劇はここに始まる、と言ってよい、と私は思うのである。
因みに私は旧来、授業では「……ここで脱線すると……」と言いながら、“Platonic love”=プラトン哲学の愛=ソクラテスの考えた愛=「パイドロス」の「愛」とは何かを語ってきた。本来、真の“Platonic love”とは「精神的愛」なんどという薄っぺらい日本語で示し得るものではない、男女の肉体的欠損部を結合するだけの愛は不完全であり、男性同士の愛こそが至高の“Platonic love”であることをソクラテスは「パイドロス」で語っていることを声を大にして言ってきた。「パイドロス」を是非読みなさいとも言ってきた。――しかし、それが“Platonic love”の真理であり、私は「ヘンな先生」でも「アブナイ先生」でもなければ、況や本作の「脱線」でさえもなかった――ということに是非とも気づいて欲しいのである。]
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