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2010/06/13

「心」第(七十九)回 ♡やぶちゃんの摑み メーキング映像 又は フランケンシュタイン「先生」或は現代のプロメテウス

「私は何を措いても、此際彼を人間らしくするのが專一だと考へたのです。いくら彼の頭が偉い人の影像(イメジ)で埋まつてゐても、彼自身が偉くなつて行かない以上は、何の役にも立たないといふ事を發見したのです。私は彼を人間らしくする第一の手段として、まづ異性の傍に彼を坐らせる方法を講じたのです。さうして其處から出る空氣に彼を曝した上、錆び付きかゝつた彼の血液を新らしくしやうと試みたのです」今回、ここを読みながら私が連想したのは、あの怪物であった。――

――Kの身長は高い。先生が見上げるほどに、である。

 

――「Kはしばらくして、私の名を呼んで私の方を見ました。今度は私の方で自然と足を留めました。するとKも留まりました。私は其時やつとKの眼を眞向に見る事が出來たのです。Kは私より脊の高い男でしたから、私は勢ひ彼の顏を見上げるやうにしなければなりません。私はさうした態度で、狼の如き心を罪のない羊に向けたのです。」(第(九十六)回=「こゝろ」「下 先生と遺書」四十二)。

 

――先生はK「の頭が偉い人の影像(イメジ)で埋まつて」いるだけ――魂の入っていない智の機械に過ぎないのだ気付き(=と思い込み)、その「彼自身」を「偉く」=「人間らしくする」「第一の手段として、まづ異性の傍に彼を坐らせる方法を講じた」。「さうして其處から出る空氣に彼を曝した上、錆び付きかゝつた彼の血液を新らしくしやうと試みた」(!)――

――「罪のない羊」を「心」を持った
人間にすること


――それは美事に『成功』しましたね!

 

――そうですね? 先生?! Dr.Victor Frankenstein?!――

 

 

 

 

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