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2010/06/11

『東京朝日新聞』大正3(1914)年6月11日(木曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第五十回

Kokoro13   先生の遺書

   (五十)

 父の病氣は最後の一擊を待つ間際迄進んで來て、其處でしばらく躊躇するやうに見えた。家のものは運命の宣告が、今日下るか、今日下るかと思つて、每夜床に這入つた。

 父は傍(はた)のものを辛くする程の苦痛を何處にも感じてゐなかつた。其點になると看病は寧ろ樂であつた。要心のために、誰か一人位づゞ代る代る起きてはゐたが、あとのものは相當の時間に名自の寢床(ねども)へ引き取つて差支なかつた。何かの拍子で眠れなかつた時、病人の唸るやうな聲を微かに聞いたと思ひ誤まつた私は、一遍半夜(よなか)に床を拔け出して、念のため父の枕元迄行つて見た事があつた。其夜は母が起きてゐる番に當つてゐた。然し其母は父の橫に肱(ひぢ)を曲げて枕としたなり寢入つてゐた。父も深い眠りの裏(うち)にそつと置かれた人のやうに靜にしてゐた。私は忍び足で又自分の寢床へ歸つた。

 私は兄と一所の蚊帳の中に寢た。妹の夫だけは、客扱ひを受けてゐる所爲(せゐ)か、獨り離れた座敷に入つて休んだ。

 「關(せき)さんも氣の毒だね。あゝ幾日も引つ張られて歸れなくつちあ」

 關といふのは其人の苗字であつた。

「然しそんな忙がしい身體(からだ)でもないんだから、あゝして泊つてゐて吳れるんでせう。關さんよりも兄さんの方が困るでせう、斯う長くなつちや」

 「困つても仕方がない。外の事と違ふからな」

 兄と床を並べて寢る私は、斯んな寢物語りをした。兄の頭にも私の胸にも、父は何うせ助からないといふ考があつた。何うせ助からないものならばといふ考へもあつた。我々は子として親の死ぬのを待つてゐるやうなものであつた。然し子としての我々はそれを言葉の上に表すのを憚かつた。さうして御互に御互が何んな事を思つてゐるかをよく理解し合つてゐた。

 「御父さんは、まだ治る氣でゐるやうだな」と兄が私に云つた。

 實際兄の云ふ通りに見える所もないではなかつた。近所のものが見舞にくると、父は必ず會ふと云つて承知しなかつた。會へば屹度(きつと)、私の卒業祝ひに呼ぶ事が出來なかつたのを殘念がつた。其代り自分の病氣が治つたらといふやうな事も時々付け加へた。

 「御前の卒業祝ひは己(や)めになつて結構だ。おれの時には弱つたからね」と兄は私の記憶を突ツついた。私はアルコールに煽(あふ)られた其時の亂雜な有樣を想ひ出して苦笑した。飮むものや食ふものを强ひて廻る父の態度も、にがにがしく私の眼に映つた。

 私達はそれ程仲の好(い)い兄弟ではなかつた。小さいうちは好く喧嘩をして、年の少(すく)ない私の方がいつでも泣かされた。學校へ這入てからの專門の相違も、全く性格の相違から出てゐた。大學にゐる時分の私は、殊に先生に接觸した私は、遠くから兄を眺めて、常に動物的だと思つてゐた。私は長く兄に會はなかつたので、又懸け隔つた遠くに居たので、時から云つても距離からいつても、兄はいつでも私には遠かつたのであるそれでも久し振に斯う落ち合つてみると、兄弟の優しい心持が何處からか自然に湧いて出た。場合が場合なのもその大きな源因になつてゐた。二人に共通な父、其父の死なうとしてゐる枕元で、兄と私は握手したのであつた。

 「御前是から何うする」と兄は聞いた。私は又全く見當の違つた質問を兄に掛けた。

 「一體家の財產は何うなつてるんだらう」

 「おれは知らない。御父さんはまだ何とも云はないから。然し財產つて云つた所で金としては高の知れたものだらう」

 母は又母で先生の返事の來るのを苦にしてゐた。

 「まだ手紙は來ないかい」と私を責めた。

Line

 

やぶちゃんの摑み:

 

「何かの拍子で眠れなかつた時、病人の唸るやうな聲を微かに聞いたと思ひ誤まつた私は、一遍半夜に床を拔け出して、念のため父の枕元迄行つて見た事があつた。其夜は母が起きてゐる番に當つてゐた。然し其母は父の横に肱を曲げて枕としたなり寢入つてゐた。父も深い眠りの裏にそつと置かれた人のやうに靜にしてゐた。私は忍び足で又自分の寢床へ歸つた。」まるで映像化を意識したかのような、印象的描写である。この「私」の眼に映る情景と「私」の思いは、無音の中に印象的な味わいを醸し出している。私の「中」相当中、忘れ難い好きな一節。

 

「兄の頭にも私の胸にも、父は何うせ助からないといふ考があつた。何うせ助からないものならばといふ考へもあつた。我々は子として親の死ぬのを待つてゐるやうなものであつた。然し子としての我々はそれを言葉の上に表すのを憚かつた。さうして御互に御互が何んな事を思つてゐるかをよく理解し合つてゐた」これ「子としての我々」が「言葉の上に表すのを憚かつた」内容を復元して語るならば、「兄の頭にも私の胸にも、父は何うせ助からないといふ」厳然たる生物学的死の事実認識「があつた。何うせ助からないものならば」、母の心労や我々の人生上の今後の問題等を考慮するなら、なるべく早く迅速に苦しまずに死に至って欲しいもの「といふ考へも」しっかりと心底には「あつた。」言わば「我々は」単に血縁であるという理由、父に対する「子として」という人間社会の民俗学的習俗上、作られたに過ぎぬ関係性の中で、単に「子」の対義語としての「親」という名を冠したに過ぎぬ生物体の「死ぬのを待つてゐるやうなものであつた。」「さうして御互に御互が」以上述べたようなあらゆるドライで、ある意味、非情なる「事を思つてゐるかをよく理解し合つてゐた」のであった。漱石は巧みである。この直後に兄と「私」の強烈な相違を提示し、その最後で「それでも久し振に斯う落ち合つてみると、兄弟の優しい心持が何處からか自然に湧いて出た。場合が場合なのもその大きな源因になつてゐた。二人に共通な父、其父の死なうとしてゐる枕元で、兄と私は握手したのであつた」と記すのだ。「兄と私」が「握手した」のは、「久し振に斯う落ち合つてみ」たら、「兄弟の優しい心持が何處からか自然に湧いて出」てきたから、なんかではない。その証拠に図らずも「私」は真実を暴露してしまっているではないか! 「その大きな源因」は「場合が場合な」ためなのだ。「二人に共通な父」に対する早々に死をという血塗られた願望の暗黙の確信犯としての共犯性合意に於いて、「兄と私は握手したのであつた」。

 

「學校へ這入てからの專門の相違も、全く性格の相違から出てゐた。大學にゐる時分の私は、殊に先生に接觸した私は、遠くから兄を眺めて、常に動物的だと思つてゐた。私は長く兄に會はなかつたので、又懸け隔つた遠くに居たので、時から云つても距離からいつても、兄はいつでも私には遠かつたのであるそれでも久し振に……」まず「遠かつたのであるそれでも……」は勿論「遠かつたのである。それでも……」で、新聞の組で原稿の句点が脱落したものである。これが単行本「こゝろ」では「兄はいつでも私には近くなかつたのである。それでも……」と書き換えられている。以下、(四十二)に附した兄の専門の相違の注を元に補足しておく。「私」の専門が不明なため、(四十二)にある「兄さんと私とは專問も違ふ」という謂いも同定に苦しむところであるが、「私」を文科と考えてよいことから、「專問も違ふ」を広義にとれば、一つは兄は理科、それも医学・薬学系や生物・化学系ではない(父の病気について知識が全くなく、観察もいい加減である)、工学・土木系が考え得る。そう考えても、ここで「學校へ這入てからの專門の相違も、全く性格の相違から出てゐた。大學にゐる時分の私は、殊に先生に接觸した私は、遠くから兄を眺めて、常に動物的だと思つてゐた」という兄の人間像はそれほどおかしいとは思われない(気をつけるべきは「動物的」というのは「殊に先生に接觸した私」との対比構造の中で極めて「私」個人の特殊な謂いとして用いられているということに注意せねばならぬ。この「動物的」とは情愛やデリカシーを聊か欠いたやや冷徹で現実的打算的に――「動物的」を納得し得るように弱肉強食的と追加してもよいし、もっと言うなら次の章で示されるような社会的国家的有用性のみが人間には必要なのだというナショナリズム的思考を伝家の宝刀とするようんな、でもよい――人生を生きるさまを言っているものと思われるのである)。そうした観点で、理系を選択肢から外すのであれば、文化でも法科出身の役人である可能性が浮上してくる。若草書房2000年刊「漱石文学全注釈 12 心」では藤井淑禎氏もそのような可能性を示唆しておられる(同書p177「中」十四の「兄弟の優しい心持」の注)しかし、ここで「一體家の財産は何うなつてるんだらう」という「私」の言葉に、「おれは知らない。御父さんはまだ何とも云はないから。然し財産つて云つた所で金としては高の知れたものだらう」とそっけなく答えている。いくら民法上、長男優遇措置がとられていたとしても、法科出身の者にしては、いい加減な感じがするけれども、法科は役人へのステップ程度にドライに考えていた、「動物的」存在の人物ででもあるかも知れない。――

 

――いや、そんなことは私にはどうでもよいのである。――ここではもっと根源的に――正に学問上の専門の大きな相違も、性格それ自体の根本的相違によるものであり、時空間上の概念を遙かに隔たるような異次元の存在として兄は永遠に遠い存在であったことを強調しているのである。そうしてこの「性格の相違」に着目せねばならぬと私は思うのだ。これはとりもなおさず、先生の遺書の最後に現れる、あの台詞への伏線以外には考えられないのである。

 

それから二三日して、私はとう/\自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由が能く解らないやうに、貴方にも私の自殺する譯が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もし左右だとすると、それは時勢の推移から來る人間の相違だから仕方がありません。或は個人の有つて生れた性格の相違と云つた方が確かも知れません。私は私の出來る限り此不可思議な私といふものを、貴方に解らせるやうに、今迄の敍述で己れを盡した積です。

 

――私が何を言いたいのか? 簡単なことだ。この「私」の兄のような性格の人間には先生が死ぬ理由も「先生の遺書」の言わんとする確信も全く分からないのである。それが分かるのは兄に対立するところの「私」のような性格の持ち主なのである。本作の読者で、この兄が好きだ、この兄の気持ちに目一杯賛同するという御仁は、そう多くあるまい。そんなシンパシーを持つ人は、そもそも本作を必要としないはずだから、本作を面白いと思わぬはずだ。いや、ここから先を読む必要はないとまで言ってもよい。だって先生が言う通り、遂に先生の遺書の言わんとする意味は貴方には分からないからだからだ。――話を戻す。兄に対立するところの「私」のような性格の持ち主は必ず先生の「自殺する譯が明らかに呑み込め」ねばならない、否、必ず「明らかに呑み込め」る、のである!――そして『「私」のような性格の持ち主』とは――それが誰であるか、貴方はもうとっくに分かっているはずです! そう、読んでいる貴方自身ではありませんか!]

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