芥川龍之介 或夜の感想 (「侏儒の言葉」エンディング)
眠りは死よりも愉快である。少くとも容易には違ひあるまい。 (昭和改元の第二日)
*
もう直き、河童忌がやってくる――
――僕は「こゝろ佚文」で「私」を秘かに芥川龍之介に擬えた。芥川は漱石の最後期の弟子と言って好い。
――漱石が危惧していたのは、国民が富国強兵へと傾斜して行く近未来の日本という国家の行く末と変貌、そしてその日本人の「心」の変容にあった。その問いかけが「心」という小説ではなかったか?
――漱石のエゴイズムというテーマを忠実に引き継いだ芥川龍之介は、それから13年後の、この7月24日に自死する。彼の遺書の一変種である「或旧友に送る手記」に示された「ぼんやりとした不安」の一つが、既にして大陸侵略と太平洋戦争へと突入しようとする日本という国家の行く末と変貌、そしてその日本人の「心」の変容にあったことは言を俟たない。
――この「侏儒の言葉」の最後の一言は――
――どこか――
――Kの言葉のようでも、ある、ではないか……
« 「心」第(六十九)回 ♡やぶちゃんの摑み メーキング映像 | トップページ | 『東京朝日新聞』大正3(1914)年6月12日(金曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第五十一回 »