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2010/06/17

『東京朝日新聞』大正3(1914)年6月17日(水曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第五十六回

Kokoro14_3   先生の遺書

   (五十六)

 「私はそれから此手紙を書き出しました。平生(へいせい)筆を持ちつけない私には、自分の思ふやうに、事件なり思想なりが運ばないのが重い苦痛でした。私はもう少しで、貴方に對する私の此義務を放擲(ほうてき)する所でした。然しいくら止(よ)さうと思つて筆を擱(おい)いても、何にもなりませんでした。私は一時間經たないうちに又書きたくなりました。貴方から見たら、是が義務の遂行を重んずる私の性格のやうに思はれるかも知れません。私もそれは否みません。私は貴方の知つてゐる通り、殆ど世間と交渉のない孤獨な人間ですから、義務といふ程の義務は、自分の左右前後を見廻しても、どの方角にも根を張つて居りません。故意か自然か、私はそれを出來る丈切り詰めた生活をしてゐたのです。けれども私は義務に冷淡だから斯うなつたのではありません。寧ろ鋭敏過ぎて刺戟に堪へる丈の精力がないから、御覧のやうに消極的な月日を送る事になつたのです。だから一旦約束した以上、それを果さないのは、大變厭な心持(こころもを)です。私はあなたに對して此厭な心持を避けるためにでも、擱いた筆を又取り上げなければならないのです。

 其上私は書きたいのです。義務は別として私の過去を書きたいのです。私の過去は私丈の經驗だから、私丈の所有と云つても差支ないでせう。それを人に與へないで死ぬのは、惜いとも云はれるでせう。私にも多少そんな心持があります。たゞし受け入れる事の出來ない人に與へる位なら、私はむしろ私の經驗を私の生命と共に葬つた方が好(い)いと思ひます。實際こゝに貴方といふ一人の男が存在してゐないならば、私の過去はついに私の過去で、間接にも他人の知識にはならないで濟んだでせう。私は何千萬とゐる日本人のうちで、たゞ貴方丈に、私の過去を物語(ものかた)りたいのです。あなたは眞面目だから。あなたは眞面目に人生そのものから生きた敎訓を得たいと云つたから。

 私は暗い人世(じんせい)の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。然し恐れては不可せん。暗いものを凝と見詰めて、その中から貴方の參考になるものを御攫(おつか)みなさい。私の暗いといふのは、固(もと)より倫理的に暗いのです。私は倫理的に生れた男です。又倫理的に育てられた男です。其倫理上の考は、今の若い人と大分(だいぶ)違つた所があるかも知れません。然し何(ど)う間違つても、私自身のものです。間に合せに借りた損料着(そんれうぎ)ではありません。だから是から發達しやうといふ貴方には幾分か參考になるだらうと思ふのです。

 貴方は現代の思想問題に就いて、よく私に議論を向けた事を記憶してゐるでせう。私のそれに對する態度もよく解つてゐるでせう。私はあなたの意見を輕蔑迄しなかつたけれども、決して尊敬を拂ひ得る程度にはなれなかつた。あなたの考へには何等の背景もなかつたし、あなたは自分の過去を有つには餘りに若過ぎたのです。私は時々笑つた。あなたは物足なさうな顏をちよい/\私に見せた。其極(きよく)あなたは私の過去を繪卷物のやうに、あなたの前に展開して吳れと逼(せま)つた。私は其時心のうちで、始めて貴方を尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中(なか)から、或生きたものを捕(つら)まへやうといふ決心を見せたからです。私の心臟を立(たち)割つて、温かく流れる血潮を啜(すゝ)らうとしたからです。其時私はまだ生きてゐた。死ぬのが厭であつた。それで他日を約して、あなたの要求を斥ぞけてしまつた。私は今自分で自分の心臟を破つて、其血をあなたの顏に浴せかけやうとしてゐるのです。私の鼓動が停(とま)つた時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出來るなら滿足(まんそく)です。

Line_3

 

[♡やぶちゃんの摑み:ここは先生が何故、「私」にだけ秘密の過去を語るのかをはっきりと明示した重要な部分である。先生の遺書を抜粋で読む高校国語授業は掟破りと言わざるを得ないが(私は三十数年間、全文授業を自身にも生徒にも課してきた)、少なくともこの遺書の冒頭と、そして最後は教科書に載せるべきである。載っていなければ、必ず読ませ、教師が音読すべき部分である。それは勿論、見た目、一聴、実に不思議で謎めいた暗号のようにしか見えまい。しかし、それでいいのだ。諸君(ネット上に散見される「こゝろ」全文を読ませるのなんぞナンセンスという国語教師を指す)が抜粋しかやらないのであれば、せめて、そうした謎かけに終わる、将来、「こゝろ」を読みたくなるような読書案内としての授業に徹するがよい。――嫌悪感を覚える「舞姫」は豊太郎を憎悪するベクトルに於いて授業が可能であるが、「こゝろ」は、その作品を愛さぬ人間には、授業は出来ぬ。鮮やかに捨てるがよい。試験のためや統一授業のためにやるのなら、君は国語教師としての節操や覚悟の欠片(かけら)もない愚者以外の何者でもない。
♡「私はそれから此手紙を書き出しました」というのは、前段と繋げた時、如何にもおかしい。実際にやってみよう。


   《復元開始》

 

 其後私はあなたに電報を打ちました。有體に云へば、あの時私は一寸貴方に會ひたかつたのです。それから貴方の希望通り私の過去を貴方のために物語りたかつたのです。あなたは返電を掛けて、今東京へは出られないと斷つて來ましたが、私は失望して永らくあの電報を眺めてゐました。あなたも電報丈では氣が濟まなかつたと見えて、又後から長い手紙を寄こして吳れたので、あなたの出京出來ない事情が能く解りました。

 私はあなたを失禮な男だとも何とも思ふ譯がありません。貴方の大事な御父さんの病氣を其方退けにして、何であなたが宅を空けらるものですか。その御父さんの生死を忘れてゐるやうな私の態度こそ不都合です。―私は實際あの電報を打つ時に、あなたの御父さんの事を忘れてゐたのです。其癖あなたが東京にゐる頃には、難症だからよく注意しなくつては不可いと、あれ程忠告したのは私ですのに。私は斯ういふ矛盾な人間なのです。或は私の惱髓よりも、私の過去が私を壓迫する結果斯んな矛盾な人間に私を變化させるのかも知れません。私は此點に於ても充分私の我を認めてゐます。あなたに許して貰はなくてはなりません。
 あなたの手紙、―あなたから來た最後の手紙―を讀んだ時、私は惡い事をしたと思ひました。それで其意味の返事を出さうかと考へて、筆を執りかけましたが、一行も書かずに己めました。何うせ書くなら、此手紙を書いて上げたかつたから、さうして此手紙を書くにはまだ時機が少し早過ぎたから、已めにしたのです。私がたゞ來るに及ばないといふ簡單な電報を再び打つたのは、それが爲です。
 私はそれから此手紙を書き出しました。平生筆を持ちつけない私には、自分の思ふやうに、事件なり思想なりが運ばないのが重い苦痛でした。私はもう少しで、貴方に對する私の此義務を放擲する所でした。

 然しいくら止さうと思つて筆を擱いても、何にもなりませんでした。私は一時間經たないうちに又書きたくなりました。

 貴方から見たら、是が義務の遂行を重んずる私の性格のやうに思はれるかも知れません。私もそれは否みません。私は貴方の知つてゐる通り、殆ど世間と交渉のない孤獨な人間ですから、義務といふ程の義務は、自分の左右前後を見廻しても、どの方角にも根を張つて居りません。故意か自然か、私はそれを出來る丈切り詰めた生活をしてゐたのです。

 けれども私は義務に冷淡だから斯うなつたのではありません。寧ろ鋭敏過ぎて刺戟に堪へる丈の精力がないから、御覽のやうに消極的な月日を送る事になつたのです。だから一旦約束した以上、それを果さないのは、大變厭な心持です。私はあなたに對して此厭な心持を避けるためにでも、擱いた筆を又取り上げなければならないのです。
 其上私は書きたいのです。義務は別として私の過去を書きたいのです。……(以下、略)

 

   《復元終了》

 

直ぐに気がつくはずである。この文脈はおかしい。私「から來た最後の手紙」「を讀んだ時、私は惡い事をしたと思ひ」、「それで其意味の返事を出さうかと考へて、筆を執りかけ」たが、「一行も書かずに己め」た。何故なら「何うせ書くなら、此手紙を書いて上げたかつたから」であると同時に、「此手紙を書くにはまだ時機が少し早過ぎたから、已め」たと言うのに、ところが、そこで「來るに及ばないといふ簡單な電報を再び打つた」直後に「私は」「此」秘密の「私の過去」を総て記した「手紙を書き出し」た、という。こんな悪文は私だって書かない。明らかにおかしな文章である。若草書房2000年刊藤井淑禎注釈「漱石文学全注釈 12 心」で藤井氏もこの違和感に着目され、『読者は前項との矛盾にいささかとまどい、その間に予想以上の時間の経過があったのかといぶかしむ(連載の切れ目であることも関係するかもしれない)。』と記されている。連載云々は私も分かるが、私の推定によれば9月14日(土)か15日(日)に私からの電報を受け取った先生は、当然同日内に再び私へ「コナイデモヨロシイ」という返電をしたと思われ、9月16日(月)か17日(火)辺りには明確な自殺を決意し、遺書の執筆に入らなければならない。これは残る先生のリミットの時間が作品上でも明確に閉じられている以上、動かせないのである。従って読者が感じる遺書執筆に取り掛かるまでの(私もそう初読時、素直にそう感じた)「間に予想以上の時間の経過があ」ることは、あり得ないのである。――とすれば――どのような可能性が考えられるか――前の♡「此手紙を書くにはまだ時機が少し早過ぎたから」の注を再録する。
 これは遺書の最後に表われる遺書を書くための一人の時間の確保を言う。即ち、遺書が長いものとなることが分かっていた先生は丁度、靜の「叔母が病氣で手が足りないといふ」渡りに舟――その渡し守はカロン――の話を耳にし、自分から「勸めて遣」ることで、落ち着いて遺書執筆するための時間を確保し得た。叔母のところに自然に靜を送り出すための仕儀に、一日二日が必要であったことを言うのである。
 さても。この内容が、二つの章の間に挟まれていたとしたら如何であろう(下線部は私の復元例)。


   《復元例開始》

 

 其後私はあなたに電報を打ちました。有體に云へば、あの時私は一寸貴方に會ひたかつたのです。それから貴方の希望通り私の過去を貴方のために物語りたかつたのです。あなたは返電を掛けて、今東京へは出られないと斷つて來ましたが、私は失望して永らくあの電報を眺めてゐました。あなたも電報丈では氣が濟まなかつたと見えて、又後から長い手紙を寄こして吳れたので、あなたの出京出來ない事情が能く解りました。

 私はあなたを失禮な男だとも何とも思ふ譯がありません。貴方の大事な御父さんの病氣を其方退けにして、何であなたが宅を空けらるものですか。その御父さんの生死を忘れてゐるやうな私の態度こそ不都合です。―私は實際あの電報を打つ時に、あなたの御父さんの事を忘れてゐたのです。其癖あなたが東京にゐる頃には、難症だからよく注意しなくつては不可いと、あれ程忠告したのは私ですのに。私は斯ういふ矛盾な人間なのです。或は私の惱髓よりも、私の過去が私を壓迫する結果斯んな矛盾な人間に私を變化させるのかも知れません。私は此點に於ても充分私の我を認めてゐます。あなたに許して貰はなくてはなりません。
 あなたの手紙、―あなたから來た最後の手紙―を讀んだ時、私は惡い事をしたと思ひました。それで其意味の返事を出さうかと考へて、筆を執りかけましたが、一行も書かずに己めました。何うせ書くなら、此手紙を書いて上げたかつたから、さうして此手紙を書くにはまだ時機が少し早過ぎたから、已めにしたのです。私がたゞ來るに及ばないといふ簡單な電報を再び打つたのは、それが爲です。
 しかし此長い手紙を書くには相應な時間と何よりも家人に氣付かれぬやうにする必要がありました。ところが丁度、先達てから妻の親類の者が病氣で不如意だといふ話を耳にしてゐたものですから、私はその宅へ妻を手傳に遣ることで落ち着いて此手紙を書くための時間を確保し得たのです。
 私はそれから此手紙を書き出しました。平生筆を持ちつけない私には、自分の思ふやうに、事件なり思想なりが運ばないのが重い苦痛でした。私はもう少しで、貴方に對する私の此義務を放擲する所でした。然しいくら止さうと思つて筆を擱いても、何にもなりませんでした。私は一時間經たないうちに又書きたくなりました。貴方から見たら、是が義務の遂行を重んずる私の性格のやうに思はれるかも知れません。私もそれは否みません。私は貴方の知つてゐる通り、殆ど世間と交渉のない孤獨な人間ですから、義務といふ程の義務は、自分の左右前後を見廻しても、どの方角にも根を張つて居りません。故意か自然か、私はそれを出來る丈切り詰めた生活をしてゐたのです。けれども私は義務に冷淡だから斯うなつたのではありません。寧ろ鋭敏過ぎて刺戟に堪へる丈の精力がないから、御覽のやうに消極的な月日を送る事になつたのです。だから一旦約束した以上、それを果さないのは、大變厭な心持です。私はあなたに對して此厭な心持を避けるためにでも、擱いた筆を又取り上げなければならないのです。
 其上私は書きたいのです。義務は別として私の過去を書きたいのです。……(以下、略)


   《復元例終了》

 

私はやはり疑惑を拭えぬのだ。やはり先生の遺書は完全ではないのだ。「私」によって、省かれた部分が、ある。――これは現在、殆んど私の中で確信に近いものになっているのである。


♡「私の過去」「を人に與へないで死ぬのは、惜いとも云はれるでせう。私にも多少そんな心持があります」ここに半ば公的な言説(ディスクール)が示される。これは漱石の矜持でもある。
漱石が本作の広告文として『自己の心を捕へんと欲する人々に、人間の心を捕へ得たる此作物を獎む。』と言った自信の源泉から吹き上げてきた言葉である。後の部分でも「是から發達しやうといふ貴方には幾分か參考になるだらうと思ふ」とまで言っている。「是から發達しやうといふ貴方」とは措定めされた不特定多数の若者への謂いである。不特定多数の、たった一人の「私」という若者への、である。


♡「たゞし受け入れる事の出來ない人に與へる位なら、私はむしろ私の經驗を私の生命と共に葬つた方が好いと思ひます。實際こゝに貴方といふ一人の男が存在してゐないならば、私の過去はついに私の過去で、間接にも他人の知識にはならないで濟んだでせう。私は何千萬とゐる日本人のうちで、たゞ貴方丈に、私の過去を物語りたいのです」ここに「私」が唯一選ばれた理由が開示される。即ちその冒頭部を解するなら、


○先生は私の過去の意味が理解出来ない、批判的対象でしかないとしか心に映らぬ輩ばかりがこの世には満ち溢れていると感じていた。


○そのような輩には私の過去を語る価値がない、語っても私の過去が愚かな思惟によって毒されるだけでなく、誤読されたその輩の精神やその誤読した輩が棲息する社会そのものに致命的な害毒とさえなるかも知れない。


と読んで大きな誤りはないと思われる。そして容易に気づくはずである。


○先生は「私」をこの世で今、誰よりも愛している。何故なら、愛している靜にさえ語らない自己の過去の秘密を「私」「たゞ貴方丈に、私の過去を物語りたい」と言っているからである。君は自分の知られたくない忌まわしい過去を誰になら、語れる? 愛してもいない人間には決して語れぬ。信頼する親族にも友人にも語ることを躊躇するであろう。その究極の秘密を語れるのは、至上の愛を感じている相手以外には在り得ない。先生は「私」(=読者である「あなた」)を愛している。


そして遂に全「日本人」(この批判的限定性に着目せよ!)の中で「私」が選ばれた理由の第一命題が示される。


♡「あなたは眞面目だから。あなたは眞面目に人生そのものから生きた敎訓を得たいと云つたから」「たゞ貴方丈に」「私の過去を物語りたい」のは、


Ⅰ 「私」が全日本人の中で先生にとって唯一「眞面目に人生そのものから生きた敎訓を得たいと」いう思いを持った存在である。
から、である。もうお分かりの通り、この第一命題は直ちに真として認識され、そして「私」=読者である「あなた」への真の命題として示されるのである。お分かりか? 真摯な「私」である真摯な『唯一の先生の人生の総体・その実在・その精神から生き生きとした教訓を得たい! 絶対に得る! と既に言明している』「あなた」が、先生に、選ばれて在るのである。ここをぼんやり過ぎてしまい、この意味を十全に『覚悟』出来ずに先生の遺書を読んでも、君には、先生は、何にも! 語ってはくれないであろう――


♡「暗いものを凝と見詰めて、その中から貴方の參考になるものを御攫みなさい」と先生が言う時、よろしいか?! 既にしてこの手記を記している今の「私」(それは本作を読み終えた時の読者である「あなた」自身だ!)は、遺書の中から、その先生の言う「暗いものを凝と見詰め」得、「その中から」自分の「人生そのもの」の想像を絶する「參考になるものを」「攫」んでいる、捕(つら)まえている、のである! でなくて、どうして本作が在る価値があろうか?!

 

♡「倫理的に暗い」「私は倫理的に生れた男」「倫理的に育てられた男」「其倫理上の考は、今の若い人と大分違つた所があるかも知れません」この連続する「倫理」は字画の上からも強烈に読者の目を射る。極めて強烈である。さすれば我々はこの倫理を解析することは先生を理解する上で不可欠である。倫理という概念は大きく言って二つの柱から成り立つであろう。一つは善悪の判断という倫理的(道徳的)判断とその規準であり、それを受けた倫理的(道徳的)罰としての罪障感及びその倫理を宗教的法的な規準とする社会の道徳的批判と実行行為としての処罰である(私の謂いは飽くまで一般論を述べている。江藤淳がこれらの言葉を美事にうまく用いて「こゝろ」論を書いているからといって、それに組みするものではないことをお断りしておく)。そのような二階層の倫理の中で先生を正確に規定しなくてはならないわけだが、それが一筋繩ではいかないのが、私達自身の倫理の基底概念と先生の立脚点が大きく異なるからである。それを先生は「其倫理上の考は、今の若い人と大分違つた所があるかも知れません」という言葉で危ぶんでいるもいるわけだが、そこで一部の評論家のように、従って結果、「私」は先生の倫理的意味を理解出来ないなんどという、本書を読むことを無化してしまう解釈(『分からないことが分かるのだ』というような詭弁には私は全く組することが出来ない)を生み出すことにもなるのであるが、「私」にはその「今の若い人と大分違つた」「其倫理上の考」えが必ず分かる、のである。先生も、そして漱石も100%分かるものとして、遺書を書き、「心」を書いている。でなくて、先生が「私」(「あなた」自身!)を選ぼう?! 漱石があの広告文『自己の心を捕へんと欲する人々に、人間の心を捕へ得たる此作物を獎む。』というとんでもない大上段の文句を書くだろう?! そして気づくべし! 「然し何う間違つても、私自身のものです」という自己同一性の鮮やかにして高らかな表明を! ここには先生の少年のような透明な瞳が見える。そしてそれは、その魂を共有出来た「私」や私やあなたと同じ眼の色をしているのだ!――

 

♡「損料着」貸衣装。

 

♡「貴方は現代の思想問題に就いて、よく私に議論を向けた」この言葉は、我々が「こゝろ」の「上 先生と私」の書かれなかった様々なシチュエーションを想起させてくれる、私にとってとても嬉しい一節である。即ち、そのようなシーンは一つも描かれていないけれど、「私」が先生に対してアップ・トゥ・デデイトな「現代の思想問題」について、頻繁に「議論を向けた」事実を物語っているからである。そこで語られた「現代の思想問題」とは如何なるものであったのか……そうして、そこでどんな風に「私」は私見を述べたのだろう?……それを聞く先生はどんな風に笑って、どんな一言を発したのだろう?……私は長く「こゝろ」を読んできたが(授業のためにも私は少なくとも有に20回以上は読み返している)……詰らないことですが、私はよくそれを思ふのです。……ところが、その議論の内容について、若草書房2000年刊藤井淑禎注釈「漱石文学全注釈 12 心」に誠に嬉しいコンパクトに纏められた注が附してあるのである。藤井氏の引用したものの孫引きで少々お恥ずかしいのであるが、如何にも分かり易いので以下に藤井氏の総括も含めて一部引用する。まずは権田保之助「貞操問題の文化的基礎」(『心理研究』大正4(1915)年12月~大正5(1916)年1月連載)を引用して(改行マークを実際の改行に変えた)、

 

   《引用開始》

 

「日露戦争の日本は精神界にはた物質界にまことに多事多難の時代でありました。其の前までは或は本能満足主義といひ或は自然主義と云ひまして、なほ理論家の空論にすぎませんでした個人主義思想は日露戦争後の社会経済状態の変化と共に今や空論家理想論者の手を離れて実際家実行家の手に移つたのであります。或は刹那主義と称し或はプラグマチズムと申しまして名は様々に異りは致しますが、詮じ詰めれば其等は最早空理空論としての個人主義ではなくして、実際としての個人主義の異名にすぎなかつたのであります。

 理想より現実に、空論より実行に移り行きました個人主義は二三文芸家や少数思想家の玩具たる地位を去つて、多数国民の生活に於ける生命に続く第二の要素となつたのであります」。要するに個人主義精神の浸透・定着を指摘しているわけだが、これをもう少し具体的に思想家名をあげながら、科学万能の唯物的傾向の時代から世紀末を経て唯心的傾向への転換をたどっているのが、野上白川述の「近代思想講話」(『新文学百科精講 前編』新潮社、大3。このあと『近代文芸十二講』(新潮社、大10)を始めとしていろんなところに再利用されることになる概括の定番)だ。一三〇頁にも及ぶ大部のものなので、目次を手がかりとして簡単に紹介してみると、ルソー=浪漫主義による権威の破壊に続いて、破壊のあとの懐疑厭世(=「世紀の痼疾」)を代表して登場してきたのがショーペンハウエルらであったとされる。十九世紀の半ばになると自然科学の勃興とともに科学的精神が台頭し、ダーウィンに代表されるごとく一八七〇年頃までは科学万能の時代が続く。そしてこの科学的精神と先の懐疑思想の流れとが個人主義的思想を育んだとされ、代表的思想家としてはニイチェ、キルケゴール、イプセンらがあげられている。いっぽう科学的精神にもとづいてこの個人主義をもおびやかしたのが機械的人生観=マルクスらの唯物史観だった。哲学上・文学上の自然主義もこの物質万能の精神に基礎をおくものだったが、やがて世紀末=デカダンの風潮が兆すのと並行して、物質万能への懐疑が生まれてくる。そうしてそれらの動きを経た現代の思想動向は、非物質的傾向=唯心論の台頭と捉えられる。その流れを代表する思想家としては、プラグマティズムのウィリアム・ジェームズ、人格哲学のオイケン、直覚主義のベルグソンらがあげられている。すなわち浪漫主義(唯心的傾向)→自然主義(唯物的傾向)→新浪漫主義(新唯心的傾向)という流れがたどれるわけであり、「肉の自覚」(自然主義)から「霊の自覚」へ、というのが大正三年時点での現代思想の到達点であった。

 

   《引用終了》

 

正に百花繚乱、唯心主義と唯物主義のみならず、哲学と宗教と科学と技術が四つに組んず解れつの異種格闘技戦をしていたのである。その組み方は、例えばキューリー夫妻によるラジウムの発見(1898年)は目に見えない放射線が神秘のパワーとしてお目出度く認識され、東京帝国大学助教授福来友吉の千里眼事件(明治431910)年)、日本に於ける最大規模の大正の心霊ブームといった一筋繩では行かない世界に発展してゆくことにも注意する必要があるように思われる。……実は私は「こゝろ佚文」の前に、昔、先生と「私」をホームズとワトソンに擬えて、鎌倉の矢倉の中で起こった猟奇的殺人事件を解決させるという推理小説を構想したことがあるのだ。……光明寺裏の別荘でウロボロスの輪を先生に説明させたり、鎌倉の矢倉の起源や矢倉の分布の特性・鎌倉石の特徴を利用した殺人トリック……そこには何とかの南方熊楠をも登場させる予定だったなあ……きっと楽しいエピソードになっただろうに……でももう、僕はもうそんな小説を書く気力はない……というより私にはもともと、その才能はなかったんだ……そんなことは、実は私は十歳になる前、とうの昔に自覚していたことなんだ……どなたかに、こうした設定や腹案は差し上げよう……どうです? あなた、書いてみませんか? 『書かれなかった』先生と「私」の蜜月の一齣を?

 

♡「あなたは物足なさうな顏をちよい/\私に見せた。其極あなたは私の過去を繪卷物のやうに、あなたの前に展開して吳れと逼つた。私は其時心のうちで、始めて貴方を尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或生きたものを捕まへやうといふ決心を見せたからです。私の心臟を立割つて、温かく流れる血潮を啜らうとしたからです」全「日本人」の中で「私」が選ばれた理由の第二命題が示される部分である。

 

○「私」が先生に先生の過去を完全に開示するように要請したことが、先生に初めて「私」への尊敬の念を惹起させた。

 

○その尊敬の念が生じたのは、「私」が遠慮なく、先生が心に秘密にしている部分から、生々しいある真実を摑み出して、自己の人生の糧にしようという覚悟の決心を見せたからである。

 

Ⅱ 「私」が先生の心臓を断ち割って、そこから吹き出す熱い血潮を啜ることで、その中に含まれる先生の魂のDNAを(核情報を)「私」が「私」の遺伝子の中に取り入れよう(盗核しよう)とした。

 

から、である。これは第一命題の言い換えでないことに注意せねばならぬ。それは先生の「核」心に迫るための発展命題である。

 

♡「私は今自分で自分の心臟を破つて、其血をあなたの顏に浴せかけやうとしてゐるのです。私の鼓動が停つた時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出來るなら滿足です。」私がいつもここを朗読すると生徒に言うことを書いて終わりとしよう。これは先生の自死が無駄なものでない、意味ある行為である――即ち単純な罪障感による処罰なんどでない、ことを意味する。先生の自律的な自死によって吹き出す血潮は、「私」の顔に意識的に先生によって吹き掛けられ、そして先生の心臓停止と同時に、「私」の中にはヒラニア・ガルバ(黄金の胎児・宇宙卵・始まりである混沌)としての『新しい命』が宿る――断定する――「宿る」のである。本作を読む「あなた」の中には必ずその『新しい命』が宿る! でなければ、本作を読む価値は、全く、ない。――]

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