「心」第(七十)回 ♡やぶちゃんの摑み メーキング映像
――以下は聞き流して戴こう。
私自身が
――「是から先何んな事があつても、人には欺まされまいと決心」する――
……それとほぼ相同な決心をしたことが若き日にあったことを告白する。
……中学2年の時、私は或る女生徒に恋をした。しかし告白した彼女からは
「ごめんなさい。さようなら。」
とだけ書いた手紙を貰った。自殺も考えた。……幸い、失恋で自殺した青年の生活史を新聞記者が追うさまを描いた如何にもクサい小説を書いて切り抜けた。……
……それから十年後のことである。神奈川で教員になった私が夏休みに両親の住む田舎へ帰ったところ、母が
「……あんたに縁談話が来てるんだけど……」
と言った。
妙に語頭も語尾も濁すのが気になった。
聞けば、それは私の親友の母から持ち込まれたものであった(その頃、公立高校の教師は安定した職業として田舎では婿の職業としては相応に評価されていた)。
……ところが、その相手の名を母から聞いた瞬間、私は愕然としたのだ――
「……実はあんたが昔好きだったっていう○○○子さんっていう人なんだけど……」
――それは、あの「ごめんなさい。さようなら。」とだけ別れの手紙を送りつけた女だった。……
私は
「はっきりと断って下さい。」
と吐き捨てるように母に答えたのは言うまでもない。
……そして
……そして私はその時、正に
「是から先何んな事があつても、」女「には欺まされまいと決心」したのだ――
……そうして
……しかし私はそれをその後忠実に貫いた故に……
……その仔細は語れぬが、結果として多くの女性を悲しませる結果となった、と今の私は、痛感している……
……だからと言って『欺すぐらいなら欺されるほうが好い』なんどというキリスト教的噴飯博愛主義を私は訴えたいのでは、毛頭ない……
……ただ私は……
――「人には欺まされまい」という対意識は既にして他者そして『自己自身でもある』ところの『人』を欺まさんとすることと相同である――
と……思うのである、とだけ言っておこう……
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