『東京朝日新聞』大正3(1914)年6月5日(金曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第四十四回
(四十四)
九月始めになつて、私は愈(いよ/\)又東京へ出やうとした。私は父に向つて當分今迄通り學資を送つて吳れるやうにと賴んだ。
「此處に斯うしてゐたつて、あなたの仰しやる通りの地位が得られるものぢやないですから」
私は父の希望する地位を得るために東京へ行くやうな事を云つた。
「無論口の見付かる迄で好(い)いですから」とも云つた。
私は心のうちで、其口は到底私の頭の上に落ちて來ないと思つてゐた。けれども事情にうとい父はまた飽く迄も其反對を信じてゐた。
「そりや僅の間の事だらうから、何うにか都合してやらう。其代り永くは不可いよ。相當の地位を得次第獨立しなくつちや。元來學校を出た以上、出たあくる日から他の世話になんぞなるものぢやないんだから。今の若いものは、金を使ふ道だけ心得てゐて、金を取る方は全く考へてゐないやうだね」
父は此外にもまだ色々の小言を云つた。その中には、「昔の親は子に食はせて貰つたのに、今の親は子に食はれる丈だ」などゝいふ言葉があつた。それ等を私はたゞ默つて聞いてゐた。
小言が一通濟んだと思つた時、私は靜かに席を立たうとした。父は何時行くかと私に尋ねた。私には早い丈が好かつた。
「御母さんに日を見て貰ひなさい」
「さう爲ませう」
其時の私は父の前に存外大人しかつた。私はなるべく父の機嫌(きけん)に逆らはずに、田舍を出やうとした。父は又私を引き留めた。
「御前が東京へ行くと宅(うち)は又淋しくなる。何しろ己(おれ)と御母さん丈なんだからね。そのおれも身體さへ達者なら好(い)いが、この樣子ぢや何時急に何んな事がないとも云へないよ」
私は出來るだけ父を慰めて、自分の机を置いてある所へ歸つた。私は取散(とりち)した書物の間に坐つて、心細さうな父の態度と言葉とを、幾度(いくたび)か繰り返し眺めた。私は其時又蟬の聲を聞いた。其聲は此間中(このあひだぢう)聞いたのと違つて、つく/\法師の聲であつた。私は夏鄕里に歸つて、 煮え付くやうな蟬の聲の中に凝と坐つてゐると、變に悲しい心持になる事がしば/\あつた。私の哀愁はいつも此蟲の烈しい音と共に、心の底に沁み込むやうに感ぜられた。私はそんな時にはいつも動かずに、一人で一人を見詰めてゐた。
私の哀愁は此夏氣省した以後次第に情調を變へて來た。油蟬の聲がつく/\法師の聲に變る如くに、私を取り卷く人の運命が、大きな輪廻のうちに、そろ/\動いてゐるやうに思はれた。私は淋しさうな父の態度と言葉を繰返しながら、手紙を出しても返事を寄こさない先生の事をまた憶ひ浮べた。先生と父とは、丸で反對の印象を私に與へる點に於て、比較の上にも、連想の上にも、一所に私の頭に上り易かつた。
私は殆ど父の凡ても知り盡してゐた。もし父を離れるとすれば、情合の上に親子の心殘りがある丈であつた。先生の多くはまだ私に解つてゐなかつた。話すと約束された其人の過去もまだ聞く機會を得ずにゐた。要するに先生は私にとつて薄暗かつた。私は是非とも其處を通り越して、明るい所迄行かなければ氣が濟まなかつた。先生と關係の絕えるのは私にとつて大いな苦痛であつた。私は母に日を見て貰つて、東京へ立つ日取を極めた。
[♡やぶちゃんの摑み:
♡「御母さんに日を見て貰ひなさい」という父の言葉に「私はなるべく父の機嫌に逆は」ぬように「母に日を見て貰つて、東京へ立つ日取を極めた」訳だが、ここでは表向きは占いなど気にしないが、父母と無駄に擦れ合わぬように占ってもらった風な謂いながら、その実、「私」の中にはそうした吉凶を気にする部分があるのではなかろうか、ということを我々は容易に感ずるところである。私はそれを「私」の内なる前近代性なんどと言う積もりはない。ただ、面白いとは思う。そして、かくなる私も如何なる占いやジンクスも信じぬと自身では思いながら、そんなものを目にすると、つい気になるという性癖があることを掲げるに留めておこう。あなたにもあろう、などと野暮なことは言い掛けないことにする。ここで言う占いとは今もある陰陽暦術系統の六曜占い辺りであろうと思われる。
♡「つく/\法師」節足動物門昆虫綱有翅昆虫亜綱半翅(カメムシ)目同翅(ヨコバイ)亜目セミ上科セミ科セミ亜科ツクツクボウシ族ツクツクボウシ Meimuna opalifera。ウィキの「ツクツクボウシ」に『成虫は7月から発生するが、この頃はまだ数が少なく、鳴き声も他のセミにかき消されて目立たない。しかし他のセミが少なくなる8月下旬から9月上旬頃には鳴き声が際立つようになる』とある。秋の季語。
♡「油蟬」セミ亜科アブラゼミ族アブラゼミ Graptopsaltria nigrofuscata。夏の季語。
♡「私を取り卷く人の運命が、大きな輪廻のうちに、そろ/\動いてゐるやうに思はれた」若草書房2000年刊藤井淑禎注釈「漱石文学全注釈 12 心」で藤井氏は作中の話者である『私が使いそうな言葉には見えない。むしろ作者が顔を出した個所と』当時の読者には『とられたかもしれない』と記しているが、如何? 私は十代の頃、本作を、ご他聞に漏れず激しくこの「私」に感情移入しながら読んだものだが、この「輪廻」と言う語に、なんらの違和感も感じなかった。逆にひどくこの言葉が「私」と読んでいる私の共時的成長と二重写しになったのを覚えている。そうして――そうして、お分かりの通り、またしても――円環――円運動――なのである。
♡「父の凡ても」『大阪朝日新聞』版と単行本「こゝろ」では「父の凡てを」となっており、そちらが流布形であるが、実は岩波新全集の自筆原稿版を確認すると、ここと同じく「父の凡ても」となっているのである。]