『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月11日(土曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第七十九回
(七十九)
「私は蔭へ廻つて、奥さんと御孃さんに、成るべくKと話しをする樣に賴みました。私は彼の是迄通つて來た無言生活が彼に祟つてゐるのだらうと信じたからです。使はない鐵が腐るやうに、彼の心には錆が出てゐたとしか、私には思はれなかつたのです。
奥さんは取り付き把(は)のない人だと云つて笑つてゐました。御孃さんは又わざ/\其例を擧げて私に說明して聞かせるのです。火鉢に火があるかと尋ねると、Kは無いと答へるさうです。では持つて來ようと云ふと、要らないと斷わるさうです。寒くはないかと聞くと、寒いけれども要らないんだと云つたぎり應對をしないのださうです。私はたゞ苦笑してゐる譯にも行きません。氣の毒だから、何とか云つて其塲を取り繕ろつて置かなければ濟まなくなります。尤もそれは春の事ですから、强ひて火にあたる必要もなかつたのですが、是では取り付き把がないと云はれるのも無理はないと思ひました。
それで私は成るべく、自分が中心になつて、女二人とKとの連絡をはかる樣に力めました。Kと私が話してゐる所へ家の人を呼ぶとか、又は家の人と私が一つ室に落ち合つた所へ、Kを引つ張り出すとか、何方(どつち)でも其塲合に應じた方法をとつて、彼等を接近させやうとしたのです。勿論Kはそれをあまり好みませんでした。ある時はふいと起つて室の外へ出ました。又ある時はいくら呼んでも中々出て來ませんでした。Kはあんな無駄話をして何處が面白いと云ふのです。私はたゞ笑つてゐました。然し心の中では、Kがそのために私を輕蔑してゐる事が能く解りました。
私はある意味から見て實際彼の輕蔑に價(あたひ)してゐたかも知れません。彼の眼の着け所は私より遙かに高いところにあつたとも云はれるでせう。私もそれを否みはしません。然し眼だけ高くつて、外が釣り合はないのは手もなく不具(かたわ)です。私は何を措(お)いても、此際彼を人間らしくするのが專一だと考へたのです。いくら彼の頭が偉い人の影像(イメジ)で埋(うづ)まつてゐても、彼自身が偉くなつて行かない以上は、何の役にも立たないといふ事を發見したのです。私は彼を人間らしくする第一の手段として、まづ異性の傍(そば)に彼を坐らせる方法を講じたのです。さうして其處から出る空氣に彼を曝した上、錆び付きかゝつた彼の血液を新らしくしやうと試みたのです。
此試みは次第に成功しました。初のうち融合しにくいやうに見えたものが、段々一つに纏まつて來出しました。彼は自分以外に世界のある事を少しづゝ悟つて行くやうでした。彼はある日私に向つて、女はさう輕蔑すべきものでないと云ふやうな事を云ひました。Kははじめ女からも、私同樣の知識と學問を要求してゐたらしいのです。左右してそれが見付からないと、すぐ輕蔑の念を生じたものと思はれます。今迄の彼は、性によつて立塲を變へる事を知らずに、同じ視線で凡ての男女(なんにょ)を一樣に觀察してゐたのです。私は彼に、もし我等二人丈が男同志で永久に話を交換してゐるならば、二人はたゞ直線的に先へ延びて行くに過ぎないだらうと云ひました。彼は尤もだと答へました。私は其時御孃さんの事で、多少夢中になつてゐる頃でしたから、自然そんな言葉も使ふやうになつたのでせう。然し裏面の消息は彼には一口も打ち明けませんでした。
今迄書物で城壁をきづいて其中に立て籠つてゐたやうなKの心が、段々打ち解けて來るのを見てゐるのは、私に取つて何よりも愉快でした。私は最初からさうした目的で事を遣り出したのですから、自分の成功に伴ふ喜悅を感ぜずにはゐられなかつたのです。私は本人に云はない代りに、奥さんと御孃さんに自分の思つた通りを話しました。二人も滿足の樣子でした。
[♡やぶちゃんの摑み:
♡「私は彼の是迄通つて來た無言生活が彼に祟つてゐるのだらうと信じたからです。使はない鐵が腐るやうに、彼の心には錆が出てゐたとしか、私には思はれなかつたのです」この「のだらうと信じたからです」及び「としか、私には思はれなかつたのです」という陳述に着目せねばならぬ。その先生の推測は根本に於いて誤っていた、ということを今の先生は認めている、ということである。Kは何も肉体的にも精神的にも不健全不健康な方向へ向かってはいなかった、Kへの先生の『思いやりから行った善意の手だて』はその本質に於いて誤りであった、ということを今の先生は認めている、ということである。♡「不具(かたわ)」歴史的仮名遣いとしては「かたは」が正しい。一日遅れの翌日の『大阪朝日新聞』版では正しく「かたは」とある。
♡「私は何を措いても、此際彼を人間らしくするのが專一だと考へたのです。いくら彼の頭が偉い人の影像(イメジ)で埋(うづ)まつてゐても、彼自身が偉くなつて行かない以上は、何の役にも立たないといふ事を發見したのです。私は彼を人間らしくする第一の手段として、まづ異性の傍に彼を坐らせる方法を講じたのです。さうして其處から出る空氣に彼を曝した上、錆び付きかゝつた彼の血液を新らしくしやうと試みたのです」今回、ここを読みながら私が連想したのは、あの怪物であった。――Kの身長は高い。先生が見上げるほどに、である。「Kはしばらくして、私の名を呼んで私の方を見ました。今度は私の方で自然と足を留めました。するとKも留まりました。私は其時やつとKの眼を眞向に見る事が出來たのです。Kは私より脊の高い男でしたから、私は勢ひ彼の顏を見上げるやうにしなければなりません。私はさうした態度で、狼の如き心を罪のない羊に向けたのです。」(第(九十六)回=「こゝろ」「下 先生と遺書」四十二)。――先生はK「の頭が偉い人の影像(イメジ)で埋まつて」いるだけ――魂の入っていない智の機械に過ぎないのだ気付き(=と思い込み)、その「彼自身」を「偉く」=「人間らしくする」「第一の手段として、まづ異性の傍に彼を坐らせる方法を講じた」。「さうして其處から出る空氣に彼を曝した上、錆び付きかゝつた彼の血液を新らしくしやうと試みた」(!)――「罪のない羊」を「心」を持った人間にすること――それは美事に『成功』したが、それは先生にとって「魔物のやうに思へ」(九十一)る怪物となり、先生「は永久彼に祟られたのではなからうかといふ氣さへ」(九十一)するに至った――そうですね? 先生?!――Dr.Victor Frankenstein?!――
……嵌ったぞ!……
――Kは“KUWAIBUTU”(怪物)のK――ここから僕の脳髄に黒い染みとなった妄想――“Frankenstein: or The Modern Prometheus” 「フランケンシュタイン、或いは現代のプロメテウス」はフランケンシュタイン』(Frankenstein)は、イギリス女性小説家Mary Wollstonecraft Godwin Shelleyメアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー(1797~1851:1797年は寛政9年に、1851年は嘉永4年相当)が1818年(本邦では文化15・文政元年に相当)年に匿名で出版したもので、現在我々が知っているストーリーは1831年の改訂版によるものである(但し、実際には原作ではフランケンシュタインは博士ではなく一学生で、正当な科学者でさえない)。以下、ウィキの「フランケンシュタイン」の梗概を引用しようじゃないか(下線部やぶちゃん)。
《引用開始》
『スイスの名家出身の青年、ヴィクター・フランケンシュタインは科学者を志し故郷を離れてドイツで自然科学を学んでいた。だが、ある時を境にフランケンシュタインは、生命の謎を解き明かし自在に操ろうという野心にとりつかれる。そして、狂気すらはらんだ研究の末、『理想の人間』の設計図を完成させ、それが神に背く行為であると自覚しながらも計画を実行に移す。自ら墓を暴き人間の死体を手に入れ、それをつなぎ合わせることで11月のわびしい夜に怪物の創造に成功した。
しかし、誕生した怪物は、優れた体力と人間の心、そして、知性を持ち合わせていたが筆舌に尽くしがたいほど容貌が醜かった。そのあまりのおぞましさにフランケンシュタインは絶望し、怪物を残したまま故郷のスイスへと逃亡する。しかし、怪物は強靭な肉体を与えられたがために獣のように生き延び、野山を越えて遠く離れたフランケンシュタインの元へ辿り着いた。自分の醜さゆえ人間達からは忌み嫌われ迫害され、孤独のなか自己の存在に悩む怪物は、フランケンシュタインに対して自分の伴侶となり得る異性の怪物を一人造るように要求する。怪物はこの願いを叶えてくれれば二度と人前に現れないと約束するが、更なる怪物の増加を恐れたフランケンシュタインはこれを拒否してしまう(フランケンシュタイン・コンプレックス)。創造主たる人間に絶望した怪物は、復讐のためフランケンシュタインの友人・妻を次々と殺害。憎悪にかられるフランケンシュタインは怪物を追跡するが、北極に向かう船上で息を引き取る。そして、創造主から名も与えられなかった怪物は、怒りや嘆きとともに氷の海に消えた。
《引用終了》
以下、これを強引に「心」に書き換えてみようじゃないか。
――新潟の名家出身の青年であった先生は学者を志し故郷を離れて東京で人間の「心」を解明する心理学を学んでいた。だが、ある時叔父に欺かれ、更には故郷の人間達からは忌み嫌われ迫害されたのを境に先生は、激しい人間の「心」への不信に陥ることとなった。一方、怪物Kは自分の頑なさゆえに養家を欺き、故郷の人間達からは忌み嫌われ迫害されて、遂には実家からも勘当同然となったが、強靭な肉体を与えられたがために獣のように生き延び、やはり故郷新潟の野山を越えて遠く離れた東京の先生の下宿へ辿り着いた。生命の謎を解き明かし自在に操ろうという野心にとりつかれていた先生は、知性ばかりが先行する、どこか人間の心を欠いている(ように見えると先生が判断した)怪物Kを『理想の人間』にすべく、その設計図を完成させ、怪物Kの心を操作する計画を実行に移す。自ら『理想の人間』の心と思い込んだパーツをつなぎ合わせることで先生は遂に怪物Kの創造に成功した。しかし、誕生した怪物は、優れた体力と人間の心、そして、知性をも持ち合わせているように先生には思われてきて、あろうことかその怪物Kに対して激しい憎悪にかられるに至る。それは嫉妬であり、先生の愛する靜への怪物Kの感情移入への危惧に基づくものであった。そして遂に怪物Kは正に先生のその危惧の通り、自分の伴侶となり得る異性の怪物、靜を一人欲しいと要求するに至る。だが怪物Kは同時に自身の理想と現実の二項対立の中で激しく煩悶することとなる。孤独のなか自己の存在に悩む怪物Kは、創造主である先生にその助言を求める。しかし創造主でありながら、その被造物に我が身が滅ぼされるかもしれないと畏れる先生の Frankenstein Complex(フランケンシュタイン・コンプレックス)が「精神的に向上心のない者は、馬鹿だ」という創造主としての第一命題を突きつけて拒否してしまう。創造主たる人間に絶望した怪物K、創造主から名も与えられなかった怪物Kは、怒りや嘆きとともに自死する。しかし怪物Kは霊となって復讐のため先生の友人・妻にさえ暗い影を落とし続けるのであった。先生は自身の心に纏い付く怪物Kの影を追跡するが、明治という時代の船が沈み行くに際会して、その怪物Kの生成と消滅、更にはそうした自身の正しいと思った時代精神の中にあった自己の存在に思い至り、その明治と言う船の沈み行く船上で自ら命を絶って息を引き取るという生き方を選び取るのであった。
……う~む、我乍ら、こりゃ遣り過ぎじゃわい!――
♡「自分の成功に伴ふ喜悅感ぜずにはゐられなかつた」先生はKという存在、その精神を完膚なきまでに読み違え、全く見当違いのあらゆる誤った処方をKに施して自己満足に浸り、悦に入っている。若草書房2000年刊藤井淑禎注釈「漱石文学全注釈 12 心」の藤井氏もここに注して『Kへの根本的な誤解に基づく自己満足に先生がひたっていることがわかる。』とお書きになっている。]
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