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2010/07/31

『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月31日(金曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第九十九回

Kokoro16_3   先生の遺書

   (九十九)

 「Kから聞かされた打ち明け話(はなし)を、奥さんに傳へる氣のなかつた私は、「いゝえ」といつてしまつた後で、すぐ自分の噓を快からず感じました。仕方がないから、別段何も賴まれた覺はないのだから、Kに關する用件ではないのだと云ひ直しました。奥さんは「左右ですか」と云つて、後を待つてゐます。私は何うしても切り出さなければならなくなりました。私は突然「奥さん、御孃さんを私に下さい」と云ひました。奥さんは私の豫期してかゝつた程驚ろいた樣子も見せませんでしたが、それでも少時(しばらく)返事が出來なかつたものと見えて、默つて私の顏を眺めてゐました。一度云ひ出した私は、いくら顏を見られても、それに頓着などはしてゐられません。「下さい、是非下さい」と云ひました。「私の妻(つま)として是非下さい」と云ひました。奥さんは年を取つてゐる丈に、私よりもずつと落付いてゐました。「上げてもいゝが、あんまり急ぢやありませんか」と聞くのです。私が「急に貰ひたいのだ」とすぐ答へたら笑ひ出しました。さうして「よく考へたのですか」と念を押すのです。私は云ひ出したのは突然でも、考へたのは突然でないといふ譯を强い言葉で說明しました。

 それから未(ま)だ二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れて仕舞ひました。男のやうに判然(はき/\)した所のある奥さんは、普通の女と違つて斯んな塲合には大變心持よく話の出來る人でした。「宜(よ)ござんす、差し上げませう」と云ひました。「差し上げるなんて威張つた口の利ける境遇ではありません。どうぞ貰つて下さい。御存じの通り父親のない憐れな子です」と後では向ふから賴みました。

 話は簡單でかつ明瞭に片付いてしまひました。最初から仕舞迄に恐らく十五分とは掛らなかつたでせう。奥さんは何の條件も持ち出さなかつたのです。親類に相談する必要もない、後から斷ればそれで澤山だと云ひました。本人の意嚮(いかう)さへたしかめるに及ばないと明言しました。そんな點になると、學問をした私の方が、却つて形式に拘泥する位に思はれたのです。親類は兎に角、當人にはあらかじめ話して承諾を得るのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは「大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子を遣る筈がありませんから」と云ひました。

 自分の室へ歸つた私は、事のあまりに譯もなく進行したのを考へて、却つて變な氣持になりました。果して大丈夫なのだらうかといふ疑念さへ、どこからか頭の底に這ひ込んで來た位です。けれども大體の上に於て、私の未來の運命は、是で定められたのだといふ觀念が私の凡てを新たにしました。

 私は午頃又茶の間へ出掛けて行つて、奥さんに、今朝(けさ)の話を御孃さんに何時通じてくれる積かと尋ねました。奥さんは、自分さへ承知してゐれば、いつ話しても構はなからうといふやうな事を云ふのです。斯うなると何んだか私よりも相手の方が男見たやうなので、私はそれぎり引き込まうとしました。すると奥さんが私を引き留(と)めて、もし早い方が希望ならば、今日でも可(い)い、稽古から歸つて來たら、すぐ話さうと云ふのです。さうして貰ふ方が都合が好いと答へて又自分の室に歸りました。然し默つて自分の机の前に坐つて、二人のこそ/\話を遠くから聞いてゐる私を想像して見ると、何だか落ち付いてゐられないやうな氣もするのです。私はとう/\帽子を被つて表へ出ました。さうして又坂の下で御孃さんに行(い)き合ひました。何にも知らない御孃さんは私を見て驚ろいたらしかつたのです。私が帽子を脫(と)つて「今御歸り」と尋ねると、向ふではもう病氣は癒つたのかと不思議さうに聞くのです。私は「えゝ癒りました、癒りました」と答へて、ずん/\水道橋(すゐだうはし)の方へ曲つてしまひました。

 

やぶちゃんの摑み:抜け駆けのプロポーズが決行され、先生の心のぐるぐるオートマトンが起動する。手に入る。なお、上記の通り、この回には最後の飾罫がない。

 

○茶の間。(続き。基本的に先生と奥さんの畳表面に置いた低い位置からの俯瞰交互ショット)

先生 「あっ……いいえ……(間)……その、ここ数日、互いに忙しくて、ろくに話も出来なかったから、また例の調子で黙りこくっているのかと、ちょいと聞いてみただけのことです。別段、彼から何か頼まれたわけじゃありません……これからお話したいことは彼に関わる用件ではないのです。」

奥さん「(笑顔に戻って)左右ですか。」

 後を待っている。間。

先生 「(突然、性急な口調で)奥さん、御孃さんを私に下さい!」

 それほど驚ろいた様子ではないが、少し微苦笑して、暫く黙って唇を少し開いては閉じ、黙って先生の顔を見ている。やや間。

先生 「下さい! 是非下さい!……(間)……私の妻として是非下さい!」

奥さん「上げてもいいが、あんまり急じゃありませんか?」

先生 「急にもらいくたくなったのです!」

 奥さん、笑ひ出す。笑いながら、奥さん「よく考えたのですか?」

先生 「もらいたいと言い出したのは突然ですけれど……いいえ! もらいたいと望んでいたのはずっと先(せん)からのことで……決して昨日今日の突然などでは――ありません!」

 茶の間の対話の映像はままで。

 

今の先生のナレーション「……それから未だ、二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れて仕舞いました。男のように判然した所のある奥さんは、普通の女と違ってこんな場合には大変心持よく話の出来る人でした。……」

 

 奥さんのバスト・ショット。

奥さん「よござんす、差し上げましょう。……差し上げるなんて威張った口のきける境遇ではありません。どうぞもらってやって下さい。御存じの通り、父親のない憐れな子です。」

 

先生のナレーション「……話は簡単で、且つ明瞭に片付いてしまいました。最初から仕舞いまでに、恐らく十五分とは掛らなかつたでしょう。……奥さんは何の条件も持ち出さなかったのです。親類に相談する必要もない、後から断ればそれで沢山だと言いました。本人の意向さへたしかめるに及ばないと明言しました。……そんな点になると、学問をした私の方が、却って形式に拘泥するぐらいに思われたものです。……」

 

先生 「親類は兎に角、ご当人にはあらかじめ話をして承諾を得るのが筋では、ありませんか?」

奥さん「大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子をやる筈がありませんから。」

 見上げる満面の自信と笑みの奥さん(俯瞰のバスト・ショット)。

 

「宜ござんす、差し上げませう」「差し上げるなんて威張つた口の利ける境遇ではありません。どうぞ貰つて下さい。御存じの通り父親のない憐れな子です」「大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子を遣る筈がありませんから」と続く奥さんの受諾の言葉は、自信に満ち、明確できっぱりとしている。そしてそのことは取りも直さず、お嬢さんの意向は既に、とっくの昔に確認されているという印象を我々に与えるのである。私はKが来る前、あの第(七十二)回の時点で既に御嬢さんの了解は得られていたと読むのである。

 

「私の未来の運命は、これで定められたのだといふ観念が私のすべてを新たにしました」先生が人生に於いて初めて自分の欲求から選び取った幸福で自律的な未来の『幻影』への陶酔である。これは後に第(百二)回(=「下 四十八」)及び第(百五)回(=下 五十一)のネガティヴなそれと、確信犯的に対比されるように描かれている。

 

♡「稽古から歸つて來たら」という叙述と、その後にある「又坂の下で御孃さんに行き合ひました」は御嬢さんの何かの習い事(琴・御針仕事・華道)の稽古場・師匠はこれから次章で示す「いびつな圓」の中の地域にあったものと仮定する。更に、ここでの先生の言辞に注意したい。「又」なのである。この「又」は勿論、あの第(八十七)回の雨上がりの道でKと御嬢さんとKに遭遇した場所と同じ場所であることを意味している。この「又」はしかし、遺書を書いている先生の、作者漱石の付け加えた「又」である点に注意せよ!]

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