耳嚢 巻之三 窮借手段之事
「耳嚢 巻之三」に「窮借手段之事」を収載した。
今日は怠けているわけではない。
午前中に定期健康診断(恐らく致命的に糖尿病が悪化しているであろう)、午後は部活動日曜出勤の振替でお休み(概ね近日やってくる240000アクセス記念テクスト――ひ、み、つ!――に向けての作業に費やした。未だにバリウムがお腹でゴロゴロいっている)。
……僕は来週の日曜から忌まわしい現実から逃避するために北へ旅立つ。……
……「心」は自動更新がセットしてあるから、ご安心を……僕が帰る頃には……Kはとっくに自殺し、先生は結婚してアル中になっている……
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窮借手段之事
當時青雲を得て相勤る今江何某は放蕩不羈にして、冬は夏衣夏の道具を貯へず其時臨で新調をなして、甚貧賤なれど表を餝(かざ)り、世に立交るに金錢を不厭、專ら交易に遣ひ捨ぬれば、七月十二月の二季の凌ぎも誠に手段の上にて有しが、或年術計盡て、大晦日に裏屋住の修驗を鳥目(てうもく)二百錢にて一晝夜の約束して相招き、臺所の脇にて終日終夜錫杖をふり鑰を敲き讀經いたさせ、其身は一間なる所にて屏風を建(たて)※(よぎ)打かむりて臥し、妻なる者土瓶ひちりんのあてがひ、藥又は白湯を洗(せんじ)煎させて、賣掛を乞ひに來り又は借金をはたりに來る者へは女房立出で、夫しかじかの病氣今日も無心元、祈禱をなし醫藥を盡し候抔僞り語りて、大晦日を凌、翌日元日は俄に髮月代などして、年禮に飛び歩行けると也。可笑しき手段も有るもの也。
[やぶちゃん字注:「※」=「衤」+「廣」。]
□やぶちゃん注
○前項連関:特に連関を感じさせないが、先行する困窮した幕府経済を立て直した重役の経済改革の奇策と、個人の経済困窮の奇計で連関する。
・「今江何某」不詳。「當時青雲を得て相勤る」とくる以上、相応に知られた人物とは思われるが、内容が内容だけに、偽名にしてある可能性が強いように思われる。
・「放蕩不羈」酒色に耽って品行不良、放埒にして道楽好き、勝手気儘で自由奔放といった三拍子そろった筋金入りの遊び人ということ。
・「七月十二月の二季」当時の借金の支払い方法は、盆(旧暦七月十五日)と暮れ(旧暦十二月三十一日大晦日)の二季払いが通例で、回収出来ずにその季を過ぎると、次の季までが回収期限となると考えるのが不文律の慣習であった。
・「鳥目」穴明き銭。古銭は円形方孔で鳥の目に似ていたことから。
・「二百文」宝暦・明和年間(1751~1771)で米一升100文程度であった。1文20円として4000円、一昼夜兼行で時給170円弱になる。
・「鑰」この字は音「ヤク」で、①鍵。錠前。出入り口の戸締り。②要(かなめ)。大事な核心部。枢要。③悟り。といった意味で、文意が通らない。岩波版長谷川氏注に日本芸林叢書所収本(通称三村本)には「鈴」とあるとある。「鈴」=「リン」=「鉦」で採った。
・「※(よぎ)」[「※」=「衤」+「廣」。]夜着。寝るときに上に掛ける夜具で、着物の形をした大形の掛け布団。かいまき。
■やぶちゃん現代語訳
借金窮余の一策の事
今でこそ高い地位を得て御勤めに励んでおる今江某であるが、彼、元来、放蕩不羈にして、冬に入る前には夏の衣類や夏の家財道具を悉く売り払い、また季が廻りたれば、その季節のものを総て新調致すという――さすれば経済も甚だ貧窮なれど、ともかく着るものには兎角うるさくていつも派手に着飾っており、世の朋輩(ほうばい)との交際にも湯水の如(ごと)金を遣うを厭わず、給金のほぼ総てを社交の費用に遣い捨てる有様なれば、七月及び十二月の二季の掛け取りの時期の借金取りへの凌ぎ方も、実に手練手管千両役者の限りを尽くして御座ったが、ある年の暮れ、遂に術策尽きた――。
――すると今江某、大晦日、やおら裏長屋に住んでおった、怪しげなにわか修験者を鳥目二百文一昼夜兼行の約束で招き寄せ、台所の脇にて終日終夜、錫杖を振り鳴らさせ、鉦を叩かせ、読経をさせて、自身はその直ぐ脇の一間に屏風を立て廻し、薄い夜着を頭まで引っ被って横になり、その妻には七輪に土瓶を載せさせて薬を煎じさせるやら、白湯(さゆ)を沸かさせるやら――。
――そうしておいて、今日こそはと押し寄せて居並んだ売掛取りやら借金を叩き取りに来た輩へは、やおら今江の妻が立ち出でて、
「……夫はこれこれの病いにて……今日明日にても儚くならんとする程に……心もとなき有様にて……今はただただ最後の祈禱を致し、最後の医薬施療を尽くしておりますれば……」
なんどという嘘八百をしんみりと語る――。
さても辛くも、かくして大晦日を凌いで御座った――。
――うって変わって翌日正月元旦――今江、俄かに飛び起きたかと思うと、月代(さかやき)なんども綺麗に剃り整え、元気溌剌、年始の礼に飛び歩いたという。
いや、全く以って奇計なる術策を用いたものではある。
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