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2010/07/09

『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月9日(木曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第七十七回

Kokoro15_13   先生の遺書

   (七十七)

「先生の座敷には控(ひかへ)の間といふやうな四疊が付屬してゐました。玄關を上つて私のゐる所へ通らうとするには、是非此四疊を橫切らなければならないのだから、實用の點から見ると、至極不便な室でした。私は此處へKを入れたのです。尤も最初は同じ八疊に二つ机を並べて、次の間を共有にして置く考へだつたのですが、Kは狹苦しくつても一人で居る方が好(い)いと云つて、自分で其方(そつち)のはうを擇(えら)んだのです。

 前にも話した通り、奥さんは私の此處置に對して始めは不贊成だつたのです。下宿屋ならば、一人より二人が便利だし、二人より三人が得になるけれども、商賣でないのだから、成るべくなら止した方が好いといふのです。私が決して世話の燒ける人でないから構ふまいといふと、世話は燒けないでも、氣心の知れない人は厭だと答へるのです。それでは今厄介になつてゐる私だつて同じ事ではないかと詰ると、私の氣心は初めから能く分つてゐると辯解して己(や)まないのです。私は苦笑しました。すると奥さんは又理窟の方向を更へます。そんな人を連れて來るのは、私の爲に惡いから止せと云ひ直します。何故私のために惡いかと聞くと、今度は向ふで苦笑するのです。

 實をいふと私だつて强ひてKと一所にゐる必要はなかつたのです。けれども月々の費用を金の形で彼の前に並べて見せると、彼は屹度それを受取る時に躊躇するだらうと思つたのです。彼はそれ程獨立心の强い男でした。だから私は彼を私の宅へ置いて、二人前の食料を彼の知らない間にそつと奥さんの手に渡さうとしたのです。然し私はKの經濟問題について、一言(ごん)も奥さんに打ち明ける氣はありませんでした。

 私はたゞKの健康に就いて云々しました。一人で置くと益(ます/\)人間が偏窟になるばかりだからと云ひました。それに付け足して、Kが養家と折合の惡かつた事や、實家と離れてしまつた事や、色色話して聞かせました。私は溺れかゝつた人を抱いて、自分の熱を向ふに移してやる覺悟で、Kを引き取るのだと告げました。其積であたゝかい面倒(めんたう)を見て遣つて吳れと、奥さんにも御孃さんにも賴みました。私はここ迄來て漸々(だん/\)奥さんを說き伏せたのです。然し私から何(なん)にも聞かないKは、此顚末を丸で知らずにゐました。私も却てそれを滿足に思つて、のつそり引き移つて來たKを、知らん顏で迎へました。

 奥さんと御孃さんは、親切に彼の荷物を片付ける世話や何かをして吳れました。凡てそれを私に對する好意から來たのだと解釋した私は、心のうちで喜びました。―Kが相變らずむつちりした樣子をしてゐるにも拘らず。

 私がKに向つて新らしい住居の心持は何うだと聞いた時に、彼はたゞ一言(げん)惡くないと云つた丈でした。私から云はせれば惡くない所ではないのです。彼の今迄居た所は北向の濕つぽい臭のする汚ない室(へや)でした。食物(くひもの)も室相應に粗末でした。私の家へ引き移つた彼は、幽谷(いうこく)から喬木(けうぼく)に移つた趣があつた位(くらゐ)です。それを左程に思ふ氣色を見せないのは、一つは彼の强情から來てゐるのですが、一つは彼の主張からも出てゐるのです。佛敎の敎義で養はれた彼は、衣食住(いしよくちう)について兎角の贅澤をいふのを恰も不道德のやうに考へてゐました。なまじい昔の高僧だとか聖徒(セーント)だとかの傳を讀んだ彼には、動ともすると精神と肉體とを切り離したがる癖がありました。肉を鞭撻すれば靈の光輝が增すやうに感ずる塲合さへあつたのかも知れません。

 私は成るべく彼に逆らはない方針を取りました。私は氷を日向へ出して溶かす工夫をしたのです。今に融けて温かい水になれば、自分で自分に氣が付く時機が來るに違ひないと思つたのです。

Line_5

 

やぶちゃんの摑み:この回の連載で漱石の怒りが遂に爆発する。お分かりの通り、この冒頭のとんでもない誤植(×「先生」→○「私」)によってである。こんな誤植が何故起こるのか、私も理解に苦しむガクブルものである。漱石は即日、朝日新聞の自身の担当者である山本に電話をかけるが、旅行中で通じないため、直ぐに朝日新聞編集長佐藤鎮一宛で書簡を認めている(岩波版旧全集書簡を底本とした。「先生の座敷」の「先生」部分及びその後の「私とかいた」の「私」には底本では「○」の傍点が付くが下線に代えた)。

七月九日 木 前九-10 牛込早稻田南町より 京橋區瀧山町四東京朝日新聞社内佐藤鎭一へ〔封筒表の宛名に「朝日新聞編輯長殿」とあり〕

 拜啓小生小說「心」の校正につき一寸申上ます。校正者はむやみにてにをはを改め意味を不通にすることがあります。それからわざと字をかへてしまひます。今七月九日の最初の「先生の座敷」などは先生では全くトンチンカンにて分かりかね候。小生は先生と書いたる覺更に無之私とかいたと思へどそれもたゞ今は覺えず。小生は自分に校正の必要ありて訂正致さねばならず。甚だ御迷惑ながら御調を願ひます。夫から向後の校正にもう少し責任を帶びてやるやうにそのかゝりのものに御注意を願ひます。あれ以上出來ないなら已むを得ませんからゲラを小生の方へ一應御𢌞送を願ひます。小生の書いたものは新聞として大事でなくとも小生には大事であります。小生は讀者に對する義務をもつて居ります。小生は今日山本氏に電話をかけた處旅行中で留守であります、何處へ此事件を申していゝか分かりませんそれであなた宛で出します 以上

 

   七月九日      夏目金之助

 

  朝日新聞編輯長殿

 

Kの一件について筆の勢いがついてきた回であるだけに、漱石先生の癇癪は凄かったものと思ってよいであろう(一日遅れの7月10日(金)掲載の『大阪朝日新聞』では正しく「私」となっている)。その大事なKの内実を纏めておく。

 

 

◎Kの人間観

☆「精神」と「肉体」を区別する~霊肉二元論の原理主義者(ファンダメンタリスト)としての相貌

☆賤しい「汚穢」なる「肉」を常に「鞭撻」すれば必ず「霊」の至高の「光輝」へと繋がる

 →「精神」の絶対的価値を信仰、「肉体」を卑しみ、両者を二項として完全対峙させる

 

これは、Kが「霊」の「光輝」のためには「肉体」を容易に投げ打てる人間であることをも意味していることに注意せねばならぬ。

 

「私は溺れかゝつた人を抱いて、自分の熱を向ふに移してやる覺悟」先生が遺書で二度目に用いる「覺悟」の語である(初回は第(七十三)回)。溺れた遭難者Kは先生の舟板に縋りついた。先生は嘗て一緒に「檻の中で抱き合」ったようにKを抱いて温めてやった(七十三)――しかし私は皮肉にもここで「カルネアデスの舟板」を思い出してしまうのだ。――時が経って、先生の縋っていた舟板はKの重みで沈み始めた。このままでは先生自身の生命が危い。先生は、安心しきって疲れきって寝ているKをその隠し持ったナイフを取り出し、覚悟の中で喉笛を引き裂いて――海に沈めた――。

この先生のこの場合の行為は、

 

刑法第三十七条 緊急避難

1.自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

2.前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。

 

によって無罪となる――。

 

「私は氷を日向へ出して溶かす工夫をした」これといい、前の「私は溺れかゝつた人を抱いて、自分の熱を向ふに移してや」ったという言いといい、先生の優越的作善叙述は如何にも鼻につく。鼻を撲(う)つと言い直してもよい。そうした臭さを先生は意識する。だから次章冒頭で「私は奥さんからさう云ふ風に取扱かはれた結果、段々快活になつて來たのです。それを自覺してゐたから、同じものを今度はKの上に應用しやうと試みた」のだと、奥さんに振って自分への批判的視線を避(よ)けるのである。しかし、そうした合理化は我々も日常的に使う手法ではある――そして、普段から彼には「及ばない」というコンプレクスに打ちのめされていた先生が、ここでKに対して激しい優越感と異様な自己肥大を起したとしても、それは強ち、理解出来ないことでは、ない。]

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