『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月10日(金曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第七十八回
(七十八)
「私は奥さんからさう云ふ風に取扱かはれた結果、段々快活になつて來たのです。それを自覺してゐた私は、今それをKのために應用しやうと試みたのです。Kと私とが性格の上に於て、大分相違のある事は、長く交際つて來た私に能く解つてゐましたけれども、私の神經が此家庭に入つてから多少角が取れた如く、Kの心も此處に置けば何時か鎭まる事があるだらうと考へたのです。
Kは私より强い決心を有してゐる男でした。勉強も私の倍位(くらゐ)はしたでせう。其上持つて生れた頭の質が私よりもずつと可かつたのです。後では專門が違ひましたから何とも云へませんが、同じ級にゐる間は、中學でも高等學校でも、Kの方が常に上席を占めてゐました。私には平生(へいせい)から何をしてもKに及ばないといふ自覺があつた位です。けれども私が强ひてKを私の宅へ引張つて來た時には、私の方が能く事理を辨(わきま)へてゐると信じてゐました。私に云はせると、彼は我慢と忍耐の區別を了解してゐないやうに思はれたのです。是はとくに貴方のために付け足して置きたいのですから聞いて下さい。肉體なり精神なり凡て我々の能力は、外部の刺戟で、發達もするし、破壞されもするでせうが、何方にしても刺戟を段々に强くする必要のあるのは無論ですから、能く考へないと、非常に險惡な方向へむいて進んで行きながら、自分は勿論傍(はた)のものも氣が付かずにゐる恐れが生じてきます。醫者の說明を聞くと、人間の胃袋程橫着なものはないさうです。粥ばかり食つてゐると、それ以上の堅いものを消化(こな)す力が何時の間にかなくなつて仕舞ふのださうです。だから何でも食ふ稽古をして置けと醫者はいふのです。けれども是はたゞ慣れるといふ意味ではなからうと思ひます。次第に刺戟を增すに從つて、次第に營養機能の抵抗力が强くなるといふ意味でなくてはなりますまい。もし反對に胃の力の方がぢり/\弱つて行つたなら結果は何うなるだらうと想像して見ればすぐ解る事です。Kは私より偉大な男でしたけれども、全く此處に氣が付いてゐなかつたのです。たゞ困難に慣れてしまへば、仕舞に其困難は何でもなくなるものだと極(き)めてゐたらしいのです。艱苦(かんく)を繰り返せば、繰り返すといふだけの功德で、其艱苦が氣にかゝらなくなる時機に邂逅(めぐりあ)へるものと信じ切つてゐたらしいのです。
私はKを說くときに、是非其處を明らかにして遣りたかつたのです。然し云へば屹度(きつと)反抗されるに極(きま)つてゐました。また昔の人の例などを、引合に持つて來るに違ひないと思ひました。さうなれば私だつて、其人達とKと違つてゐる點を明白に述べなければならなくなります。それを首肯(うけが)つて吳れるやうなKなら可(い)いのですけれども、彼の性質として、議論が其處迄行くと容易に後(あと)へは返りません。猶先へ出ます。さうして、口で先へ出た通りを、行爲で實現しに掛ります。彼は斯うなると恐るべき男でした。偉大でした。自分で自分を破壞しつゝ進みます。結果から見れば、彼はたゞ自己の成功を打ち碎く意味に於て、偉大なのに過ぎないのですけれども、それでも決して平凡ではありませんでした。彼の氣性をよく知つた私はつひに何とも云ふ事が出來なかつたのです。其上私から見ると、彼は前にも述べた通り、多少神經衰弱に罹つてゐたやうに思はれたのです。よし私が彼を說き伏せた所で、彼は必ず激するに違ひないのです。私は彼と喧嘩をする事は恐れてはゐませんでしたけれども、私が孤獨の感に堪へなかつた自分の境遇を顧みると、親友の彼を、同じ孤獨の境遇に置くのは、私に取つて忍びない事でした。一步進んで、より孤獨な境遇に突き落すのは猶厭でした。それで私は彼が宅へ引き移つてからも、當分の間は批評がましい批評を彼の上に加へずにゐました。たゞ穩かに周圍の彼に及ぼす結果を見る事にしたのです。
正誤 前回初「先生の座敷」とある
は、「私の座敷」の誤植
[♡やぶちゃんの摑み:前回の漱石の怒りを受けて最後の上記のような正誤訂正が入っている。底本では「先生」及び「私」に傍点「・」が附されているが、下線に代えた。
先生が超えられない存在としてのKが示される章である。
◎Kのプロフィル(Ⅲ)
・Kは「私より強い決心を有してゐる」男であった
・Kは私より「倍」勉強する男であった
・Kは私より生まれつきの才能が「ずっと」あった
・Kは私より中学・高校を通じて成績が常に「上席」にあった
↓
私には普段から「何をしてもKに及ばない」という明確な自覚があった
致命的な劣等感である。この友人関係そのものが、私には不幸に思われる。
♡「是はとくに貴方のために付け足して置きたいのですから聞いて下さい」以下の部分、実は私は「心」の中で『いらない』と思うところなのである。漱石は真面目に語っているのだが、私には胃を悪くした漱石がタカジアスターゼ錠の壜を握って、自らが正しいと考える胃腸養生法=精神養生法のその要諦を、口角泡を飛ばして弁じている様が見えて来て、思わず噴飯してしまうところなのである。――これは遺書に書くことじゃあ、ないんじゃない? 少なくとも私ならこんなことを書いている暇は、ない!――当時の読者はどう思ったんだろう?――と、こんな減らず口を叩いているから、私には何時までたっても「こゝろ」の核心が見えて来ないのかもしれない――この、私が『いらない』と思い、噴飯物だと言い放つ、ここにこそ「こゝろ」のテーマは隠れているのかも、知れないなぁ……。
♡「多少神經衰弱に罹つてゐたやうに思はれた」のは誤りである。前章注で述べた通り、Kの精神は至って健全である。]
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