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2010/07/03

「心」第(百十)回 ♡やぶちゃんの摑み メーキング映像

♡「私は新聞で乃木大將の死ぬ前に書き殘して行つたものを讀みました」現在、乃木希典の遺書は東京乃木坂にある乃木神社に社宝としてある。以下、今回私は、複数の画像を元に、なるべく原遺書に忠実になるよう、総てを私の完全オリジナルで翻刻を試みた。「□原型」は配字を意識しての翻刻、脱字と思われるものは〔 〕で補った。署名後の花押は【花押】で示した。「□整序」は詠み易く各項の改行を排除し、一部に空欄を設けたものである。〔 〕で補ったものは、〔 〕を外した。「医學校」の「医」はママ。現在ネット上にある乃木大将の「遺言條々」の電子テクスト翻刻の中では、上の部類に属するものと秘かに自負するものである。

□原型

  遺言條々

第一自分此度御跡ヲ

  追ヒ奉リ自殺候處

  恐入候儀其罪ハ

  不輕存候然ル處

  明治十年之役ニ於テ

  軍旗ヲ失ヒ其後

死處得度心掛候モ

  其機ヲ得ス

皇恩ノ厚ニ浴シ今日迄

  過分ノ御優遇ヲ蒙

  追々老衰最早御役

  ニ立候時モ無餘日候折柄

  此度ノ御大變何共

  恐入候次第茲ニ覺

  悟相定候事ニ候

第二両典戰死ノ後者

  先輩諸氏親友

       諸彦

  ヨリモ毎々懇諭

  有之候得共養子

  弊害ハ古來ノ議論

  有之目前乃木大兄

  ノ如キ例他ニモ不尠

  特ニ華族ノ御優遇

  相蒙リ居實子ナラハ

  致方モ無之候得共却テ

  汚名ヲ殘ス樣ノ憂ヘ

  無之爲メ天理ニ背キ

  タル事ハ致ス間敷

       事ニ候

  祖先ノ墳墓ノ守護

  ハ血縁ノ有之限リハ

  其者共ノ氣ヲ付可申

  事ニ候乃チ新坂邸ハ

  其爲メ区又ハ市ニ

       寄

  附シ可然方法願度候

第三資財分與ノ儀ハ別紙

  之通リ相認メ置候

  其他ハ靜子ヨリ相談

  可仕候

第四遺物分配ノ儀ハ自分

  軍職上ノ副官タリシ

  諸氏ヘハ時計メートル

  眼鏡馬具刀劍等

  軍人用品ノ内ニテ見

  計ヒノ儀塚田大佐ニ

  御依賴申置候大佐ハ

  前後兩度ノ戰役ニモ

  盡力不少靜子承知ノ

  次第御相談可被致候

  其他ハ皆々ノ相談ニ任セ

  申候

第五御下賜品(各殿下ヨリノ分モ)

  御紋付ノ諸品ハ悉

  皆取纏メ學習院ヘ

  寄附可致此儀ハ松井

  猪谷兩氏ヘモ御賴仕置

          キ候

第六書籍類ハ學習院ヘ

  採用相成候分ハ可成

  寄附其餘ハ長府

  圖書館江同所不用

  ノ分ハ兎モ角モニ候

第七父君祖父曾祖父君

  ノ遺書類ハ乃木家

          ノ

  歴史トモ云フヘキモノ

  ナル故巖ニ取纏メ

  眞ニ不用ノ分ヲ除キ

  佐々木侯爵家又ハ

  佐々木神社ヘ永久無限

  ニ御預ケ申度候

第八遊就館ヘ〔ノ〕出品者

  其儘寄附致シ

       可

  申乃木ノ家ノ紀念

  ニハ保存無此上良法ニ候

第九靜子儀追々老境ニ入

  石林ハ不便ノ地病氣等

  節心細クトノ儀尤モ

  存候家ハ集作ニ讓リ

  中埜ノ家ニ住居可然

  同意候中野ノ地所

  家屋ハ靜子其時ノ

  考ニ任セ候

第十此方屍骸ノ儀者

  石黑男爵へ相願置

  候間可然医學校ヘ

  寄附可致墓下ニハ

  毛髪爪齒(義齒共)ヲ

  入レテ充分ニ候(靜子

       承知)

 ○恩賜ヲ頒ツト書キタル

  金時計ハ玉〔木〕正之ニ遣ハシ候

  筈ナリ軍服以外ノ服装ニテ

  持ツヲ禁シ度候

右ノ外細事ハ靜子ヘ

申付置候間御相談

被下度候伯爵乃木家

        ハ

靜子生存中ハ名義

可有之候得共呉々モ

斷絶ノ目的ヲ遂ケ

候儀大切ナリ右遺言

如此候也

大正元年九月十二日夜

       希典

       【花押】

 湯地定基殿

 大舘集作殿

 玉木正之殿

   静子殿

□整序

  遺言條々

第一 自分此度御跡ヲ追ヒ奉リ自殺候處恐入候儀其罪ハ不輕存候然ル處明治十年之役ニ於テ軍旗ヲ失ヒ其後死處得度心掛候モ其機ヲ得ス皇恩ノ厚ニ浴シ今日迄過分ノ御優遇ヲ蒙追々老衰最早御役ニ立候時モ無餘日候折柄此度ノ御大變何共恐入候次第茲ニ覺悟相定候事ニ候

第二 両典戰死ノ後者先輩諸氏親友諸彦ヨリモ毎々懇諭有之候得共養子弊害ハ古來ノ議論有之目前乃木大兄ノ如キ例他ニモ不尠特ニ華族ノ御優遇相蒙リ居實子ナラハ致方モ無之候得共却テ汚名ヲ殘ス樣ノ憂ヘ無之爲メ天理ニ背キタル事ハ致ス間敷事ニ候祖先ノ墳墓ノ守護ハ血縁ノ有之限リハ其者共ノ氣ヲ付可申事ニ候乃チ新坂邸ハ其爲メ区又ハ市ニ寄附シ可然方法願度候

第三 資財分與ノ儀ハ別紙之通リ相認メ置候其他ハ靜子ヨリ相談可仕候

第四 遺物分配ノ儀ハ自分軍職上ノ副官タリシ諸氏ヘハ時計メートル眼鏡馬具刀劍等軍人用品ノ内ニテ見計ヒノ儀塚田大佐ニ御依賴申置候大佐ハ前後兩度ノ戰役ニモ盡力不少靜子承知ノ次第御相談可被致候其他ハ皆々ノ相談ニ任セ申候

第五 御下賜品(各殿下ヨリノ分モ)御紋付ノ諸品ハ悉皆取纏メ學習院ヘ寄附可致此儀ハ松井猪谷兩氏ヘモ御賴仕置キ候

第六 書籍類ハ學習院ヘ採用相成候分ハ可成寄附其餘ハ長府圖書館江同所不用ノ分ハ兎モ角モニ候

第七 父君祖父曾祖父君ノ遺書類ハ乃木家ノ歴史トモ云フヘキモノナル故巖ニ取纏メ眞ニ不用ノ分ヲ除キ佐々木侯爵家又ハ佐々木神社ヘ永久無限ニ御預ケ申度候第八遊就館ヘノ出品者其儘寄附致シ可申乃木ノ家ノ紀念ニハ保存無此上良法ニ候

第九 靜子儀追々老境ニ入石林ハ不便ノ地病氣等節心細クトノ儀尤モ存候家ハ集作ニ讓リ中埜ノ家ニ住居可然同意候中野ノ地所家屋ハ靜子其時ノ考ニ任セ候

第十 此方屍骸ノ儀者石黑男爵へ相願置候間可然医學校ヘ寄附可致墓下ニハ毛髪爪齒(義齒共)ヲ入レテ充分ニ候(靜子承知)

○恩賜ヲ頒ツト書キタル金時計ハ玉木正之ニ遣ハシ候筈ナリ軍服以外ノ服装ニテ持ツヲ禁シ度候右ノ外細事ハ靜子ヘ申付置候間御相談被下度候伯爵乃木家ハ靜子生存中ハ名義可有之候得共呉々モ斷絶ノ目的ヲ遂ケ候儀大切ナリ右遺言如此候也

大正元年九月十二日夜

       希典

       【花押】

 湯地定基殿

 大舘集作殿

 玉木正之殿

     靜子殿

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