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2010/07/12

耳嚢 卷之三  人の詞によりて佛像流行出す事

「耳嚢 巻之三」に「人の詞によりて佛像流行出す事」を収載した

 人の詞によりて佛像流行出す事

 寶暦の此(ころ)也し、是も本郷にての事成よし。加賀の大部屋中間とやらん、本郷六丁目の古鐵(ふるがね)店にて釋迦の古鐵佛を調ひ歸りて、部屋の内に餝(かざ)り水など手向(たむけ)て置しを傍輩の者見て、是は忌はしき佛なぶり成とて笑ひ叱りなどせしに、部屋頭なる著聞(ききつけ)て、是迄無之事也、早々辞し仕廻べしと言し故、彼中間詮方なく、捨んもいかゞと元の古鐵店へ持來りて、此佛を歸し候と申ければ、一旦商ひて其日か翌日にて候はゞ請取もしなん、日数過(すぎ)て返し候ては自餘(じよ)の例にも成候間難成由答ければ、彼中間聞て、あたへを戻し候樣にと申ならば其斷も尤也、價ひにも不及歸し候間、請取可申といひし故、何ゆへに左の給ふと尋ければ、彼中間時の拍子にやよりけん、此佛を調へ歸りて禮拜尊敬するに、兎角元の所へ返し候樣夢幻となくの給ふのうるさゝに歸す也と語りければ、左あらば置(おき)ぬべしとて請取しが、扨は作佛にてもあるべし、(俗家に置きて恐れあり)とて近所の菩提所へ納て始終を語りけるにぞ、寺僧も奇異の思ひをなし、一犬吠ゆればの譬(たとへ)に違ふ事なく、近隣是のみの沙汰と成て、暫しは右佛像への參詣群集をなしけると也。

□やぶちゃん注

○前項連関:出鱈目に乗せられる凡夫の哀しい信心と、同じ本郷(本郷の人はこの手の話に乗りやすかった?)連関。私はこの話、読み終えた後――この話が実は前半のような経緯ででっち上げに過ぎないということがバレて、この都市伝説が出来るわけだから、そのバレるのは如何なるシーンであったか――が気になるのである。言わば、それがこの都市伝説の「事実」であり、この話柄全体を更に真実らしく強化するものだからでもある。例えば、最後に登場する寺僧が、でっち上げに更に尾鰭鯱鉾がついたみたような金仏への縁起話をさも有り難そうに語っているのを、例の中間の朋輩が参衆に混じって聴いているが、その金仏をよく見ると例の大部屋にあった奴と気付き、大笑いしながら大衆の面前で金仏を指差して事実を暴露するといったシーンを……いや……と、その朋輩中間を、黙った周囲の皆んながよってたかって嚢叩きにし、神田川に簀巻きにして投げ入れる、という落ちであっても、構わないのであるが……。

・「寶暦の此」宝暦年間は西暦1751年から1764年。

・「加賀の大部屋中間」加賀金沢藩前田家上屋敷は現在の本郷七丁目の東京大学本郷キャンパスの殆んどの部分を占めていた(北の現在の農学部のある場所は水戸藩中屋敷)。「大部屋中間」の「大部屋」は大名屋敷で格の低い中間や小者(こもの)、火消し人足などが集団で寝起きした部屋を言う。足軽と小者の間に位置する中間は多くの場合、渡り中間(屋敷を渡り歩く専門の奉公人)が多く、脇差一本が許され、大名行列の奴のイメージが知られるのだが、年季契約で、百姓の次男坊以下が口入れ屋を通じて臨時雇いされたりし、事実上の下男と変わらない連中も多くいた。ここはそうした最下級の中間である。

・「本郷六丁目」現在の6丁目は加賀金沢藩前田家上屋敷の前の本郷通りを隔てた北西の地域を言うが、江戸切絵図を見るとここ一帯は御先手組及び阿部伊予守屋敷となっている。沿道に小さな出店でもあったものか。

・「古鐵店」金属製の古物や使い古し・破損器物を買い入れる商人。金物の古物商。

・「佛なぶり」この「なぶり」は「嬲(なぶ)る」で、弄ぶ、いじめるの意。恐らく『仏像なんぞ辛気臭せえ!』という意味合いで軽く言っているものと思われるが、自己卑下のように、凡夫にして救い難い下賤の我等大部屋中間の部屋(ここは所謂、博奕の賭場として、何処かの今の世界と同じく違法な賭博の温床ともなっていた)に『御釈迦様ったあ、罰当たりも甚だしい! 勝機が逃げる!』というニュアンスも含んでいよう。

・「自餘」その他。この外。

・「時の拍子にやよりけん」ちょっとした言葉の弾みで、ぐらいの意味であるが、それでは面白くないので、現代語訳では標題にも合わせて「叱責された不快もあったか、口から出任せ」と意訳してみた。

・「一犬吠ゆれば」「一犬虚に吠ゆれば萬犬(ばんけん)實を傳ふ」。たった一人のいい加減な発言であっても、時に世間の多くの人がそれを本当のことと安易に信じて広めてしまうことがある、という譬え。 「一犬形に吠ゆれば百犬声に吠ゆ」とも。後漢の王符の政治批判論「潜夫論」にある「賢難」の「諺曰、一犬吠形、百犬吠聲。世之疾、此固久矣哉。」(諺に曰く、一犬形に吠ゆれば、百犬聲に吠ゆ、と。世の疾(しつ)、此れ固より久しきかな。)による。 

■やぶちゃん現代語訳

 人の口から出任せでさる仏像の大流行りする事

 宝暦の頃の話で、これも先話を同じ本郷にてのことであった由。

 加賀藩の大部屋中間が、本郷六丁目の古鉄(ふるがね)を扱う古物商から、鉄製の古びた釈迦如来の仏像を買って帰って大部屋の隅に飾り、閼伽(あか)を手向けるなんどして置いておいたところが、朋輩の一人がこれを見つけ、

「我等下賤の大部屋に仏を飾るたあ、笑止千万!」

と苦笑いしながら、

「辛気臭え!」

と怒鳴りつけた。それを聞きつけた部屋頭も、これを見つけて、

「こともあろうに我等が下衆(げす)の大部屋に仏像を置いた例(ためし)は、これ、御座らぬ! 早々に片付け、何処ぞへ処分致すべし!」

と叱責された。かと言うて捨てる訳にも参らぬによって、この中間、詮方なく、買(こ)うた古物商の元へ持ち参り、

「……この仏像、お返し致す。」

と申した。ところが店主(あるじ)曰く、

「一旦商(あきの)うて、気に入らぬと、その日か、その翌日にてもあれば、引き請けもしようが、かく日数(ひかず)も過ぎてお返しになられ、それを請けて返金致いたとなれば、他(ほか)の商売の悪しき例(ためし)ともなります故、なりませぬ!」

と答えたので、中間は、

「……いや……価(あたい)を戻して呉れとは申すならば、尤もなること……。そうではない。金を返すには及ばぬ故、引き請けて呉れと申すのじゃ……。」

と答えたから、店主も不審に思い、

「……さて?……何ゆえに、そのように仰る?」

と訊ねるので、この中間、叱責された不快もあったか、口から出任せ、

「……何、実はの……この仏を買(こ)う帰って、日々礼拝尊崇致いて御座ったのだが……とかく『……元の所へ戻されよ!……』と……この仏が、あ、夢となく、現の幻しとなく……お立ちになられ……うるそうて堪らぬ。……さればこそ、只で、返すのじゃて……」

と語ったところ、店主も、

「……ほう?! されば置いておかれるがよい。」

と請け取った。

 ――――――

 さても中間が帰って後(のち)、店主は、かの金仏(かなぼとけ)を厳かに礼拝致いて、

「……さては……謂われある作仏(さくぶつ)で御座った、か! さればこそ……俗家(ぞっか)に置いておくは、これ、畏れ多いことじゃて……」

と、その古仏を近所にあった店主の家の菩提寺に納めに参り、中間が口から出任せの一部始終を洩らさず寺僧に語る。

 これを聴いた寺僧も全く以って奇異なることと存じ――いや、ほれ、「一犬虚に吠ゆれば萬犬(ばんけん)實を傳う」の譬えに違(たご)うことなく――近隣にては、最早、この話で持ち切りとなって、もちきりとなり、暫しの間は、この仏像(ほとけ)への参詣の者、雲霞の如く群れを成した、ということで御座った。

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