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2010/07/23

『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月23日(木曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第九十一回

Kokoro15_6   先生の遺書

   (九十一)

 「二人は各自(めい/\)の室に引き取つたぎり顏を合はせませんでした。Kの靜かな事は朝と同じでした。私も凝と考へ込んでゐました。

 私は當然自分の心をKに打ち明けるべき筈だと思ひました。然しそれにはもう時機が後れてしまつたといふ氣も起りました。何故先刻(さつき)Kの言葉を遮つて、此方(こつち)から逆襲しなかつたのか、其處が非常な手落(てぬか)りのやうに見えて來ました。責(せ)めてKの後に續いて、自分は自分の思ふ通りを其塲で話して仕舞つたら、まだ好かつたらうにとも考へました。Kの自白に一段落が付いた今となつて、此方(こつち)から又同じ事を切り出すのは、何う思案しても變でした。私は此不自然に打ち勝つ方法を知らなかつたのです。私の頭は悔恨に搖られてぐら/\しました。

 私はKが再び仕切の襖を開けて向ふから突進してきて吳れゝば好(い)いと思ひました。私に云はせれば、先刻(さつき)は丸で不意擊(ふいうち)に會つたも同じでした。私にはKに應ずる準備も何もなかつたのです。私は午前に失つたものを、今度は取り戾さうといふ下心を持つてゐました。それで時々眼を上げて、襖を眺めました。然し其襖は何時迄經つても開きません。さうしてKは永久に靜なのです。

 其内私の頭は段々此靜かさに搔き亂されるやうになつて來ました。Kは今襖の向で何を考へてゐるだらうと思ふと、それが氣になつて堪らないのです。不斷も斯んな風に御互が仕切一枚を間に置いて默り合つてゐる塲合は始終あつたのですが、私はKが靜であればある程、彼の存在を忘れるのが普通の狀態だつたのですから、其時の私は餘程調子が狂つてゐたものと見なければなりません。それでゐて私は此方(こつち)から進んで襖を開ける事が出來なかつたのです。一旦云ひそびれた私は、また向ふから働らき掛けられる時機を待つより外に仕方がなかつたのです。

 仕舞に私は凝(ぢつ)として居られなくなりました。無理に凝(じつ)としてゐれば、Kの部屋へ飛び込みたくなるのです。私は仕方なしに立つて緣側へ出ました。其處から茶の間へ來て、何といふ目的もなく、鐵瓶の湯を湯呑に注いで一杯呑みました。それから玄關へ出ました。私はわざとKの室を回避するやうにして、斯んな風に自分を往來の眞中に見出したのです。私には無論何處へ行くといふ的(あて)もありません。たゞ凝としてゐられない丈でした。それで方角も何も構はずに、正月の町を、無暗に步き廻つたのです。私の頭はいくら步いてもKの事で一杯になつてゐました。私もKを振ひ落す氣で步き廻る譯ではなかつたのです。寧ろ自分から進んで彼の姿を咀嚼(そしやく)しながらうろついて居たのです。

 私には第一に彼が解しがたい男のやうに見えました。何うしてあんな事を突然私に打ち明けたのか、又何うして打ち明けなければゐられない程に、彼の戀が募つて來たのか、さうして平生(へいせい)の彼は何處に吹き飛ばされてしまつたのか、凡て私には解しにくい問題でした。私は彼の强い事を知つてゐました。又彼の眞面目な事を知つてゐました。私は是から私の取るべき態度を決する前に、彼について聞かなければならない多くを有つてゐると信じました。同時に是からさき彼を相手にするのが變に氣味が惡かつたのです。私は夢中に町の中を步きながら、自分の室に凝と坐つてゐる彼の容貌を始終眼の前に描き出しました。しかもいくら私が步いても彼を動かす事は到底出來ないのだといふ聲が何處かで聞こえるのです。つまり私には彼が一種の魔物のやうに思へたからでせう。私は永久彼に祟られたのではなからうかといふ氣さへしました。

 私が疲れて宅へ歸つた時、彼の室は依然として人氣のないやうに靜かでした。

Line_6

 

やぶちゃんの摑み:続く1月5日(土)前後の午後のシーン。この第(九十一)回から第(九十三)回までのKの告白後の先生の心の動きを整理する。ここで先生は「私」の側の正当性、即ち「私は午前に失つたものを、今度は取り戾さうといふ下心を持つてゐました」の謂い、

 

『御嬢さんを愛したのは私の方が先だ! 私の御嬢さんなんだ! 私だけの靜なんだ!』

 

という既得のものと先生自身が意識するところの正統にして正当な優先権と占有権の回復を図ろうとしているのである。ところが、現在の情勢を先生は同時に外部から客観的にも観察する。すると、Kは先生よりも逸早く御嬢さんへの恋情を告白したことで、Kは自らの御嬢さんへの愛情に優先権を獲得したとも言える事実に思い至る。如何にずっと先(せん)から御嬢さんを先生が愛していたと言っても、それは誰にも語られたことがない秘密であった以上、それは何者によっても証明され得ないのである。いや、不特定多数の第三者(総ての他者)から見れば、御嬢さんへの恋情を表明したKの方にこそ、先行優先権はあるように思われる。御嬢さんへの愛を先生という他者に告白したということは、その事実によって一種の公的認知の待機状態にあると言ってよい。先生にとってその劣勢は明白であったのである。

 この劣勢下、先生の意識下にあっては、遂にKの『親友』という概念は完全に消去され、Kを明白な『敵』として認識するようになる。それは「變に氣味が惡かつた」「自分の室に凝と坐つてゐる」先生が作り出してしまった――Kが御嬢さんを愛したのは先生がそうさせたことは、これまでの叙述によって最早明白過ぎるほど明白である!――フランケンシュタインの怪物ような「彼の容貌を始終眼の前に描き出し」、あの怪物の心「を動かす事は到底出來ない」と思う。そして「私には彼が一種の魔物のやうに思へた」、「私は永久彼に祟られたのではなからうかといふ氣さへ」するに至るのである。

 この三章の間、一見、先生は依然としてその心情告白を受けたKの『親友』として、フラットな見方から彼の心情を推し量ろうとしているかのように陳述しているが、実際には、現在の先生自身の極めて不利な劣勢状況を、あらゆる可能性をサーチしながら何とか好転させようと、その材料を探しているに過ぎない。狡猾なスパイの索敵の視線以外の何物でもないのである。ここに我々は先生の急激なエゴイズムの肥大を見ることになるのである。

 

「手落(てぬか)り」当て読み。普通は「手抜かり」。

 

「時々眼を上げて、襖を眺めました。然し其襖は何時迄經つても開きません。さうしてKは永久に靜なのです」この頗る映画的な静の映像が素晴らしい。この無音ながら剃刀のような緊張の画面を撮りたい!

 

「凝(ぢつ)として」後の「無理に凝(じつ)としてゐれば」の歴史的仮名遣の方が正しい。

 

「私は仕方なしに立つて緣側へ出ました。其處から茶の間へ來て、何といふ目的もなく、鐵瓶の湯を湯呑に注いで一杯呑みました。それから玄關へ出ました。私はわざとKの室を回避するやうにして、斯んな風に自分を往來の眞中に見出したのです」Kを中心に据えた時計回りの円運動である。

 

「斯んな風に自分を往來の眞中に見出したのです。私には無論何處へ行くといふ的(あて)もありません。たゞ凝としてゐられない丈でした。それで方角も何も構はずに、正月の町を、無暗に步き廻つたのです。私の頭はいくら步いてもKの事で一杯になつてゐました。私もKを振ひ落す氣で步き廻る譯ではなかつたのです。寧ろ自分から進んで彼の姿を咀嚼しながらうろついて居たのです」対位法(コントラプンクト)的映像である。

 

正月の往来の賑やかな人の群れ。群れ。(以下、カット・バックよろしく)

――羽子板をする晴れ着姿の娘たち。嬌声。

――凧揚げに興ずる少年の笑顔。笑い声。笑顔。

――年始帰りの人力車の紋付姿の紳士。

――門松。万歳。蓬莱。

その中を自棄になって歩く先生。

 

♡「私は是から私の取るべき態度を決する前に、彼について聞かなければならない多くを有つてゐると信じました」この叙述によって、Kの告白は極めて心情的なものに留まっており、プロポーズや結婚といったような奥さんや御嬢さんに対する何らかの実行行為や具体的な恋愛の将来性などについては全く触れられていなかったことが分かる。もしそうした事実が一つでもあれば、先生はその後の戦術上、必ずや記憶していたはずであり、それを遺書にも明記したはずだからである。何故なら、これ以降の遺書は実録の戦記であるからである。]

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