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2010/07/11

耳囊 卷之三 聊の事より奇怪を談じそめる事

思ったよりも早く「心」のテクスト化と「やぶちゃんの摑み」を一先ず終え、自動投稿システムで予約も完了したので、「耳嚢 卷之二」全訳注完成を受けて、「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に、「耳嚢 卷之三」の頁を創設、これより全10巻1000話全翻刻全訳注プロジェクト第3期を開始、とりあえず本日、冒頭第一話「聊の事より奇怪を談じそめる事」を収載した。

 

耳囊 卷之三

 

 

 聊の事より奇怪を談じそめる事

 

 

 安永の初、本鄕三念寺門前町に輕き御家人の宅の持佛堂の彌陀、自然と讀經なし給ふとて、信心の老若男女佛壇を拜し尊みけるが、段々其譯を糺(ただし)ぬれば、右持佛の後は糀(かうじ)屋の家境なるに、右境に蜂の巢を喰(くひ)て、子蜂ども爾々(じじ)と朝夕鳴(なり)しを聞て、與風(ふと)佛像の誦經(ずきやう)し給ふと言(いひ)罵りにして有りし由。皆々笑ひて三十日餘の夢を覺(さま)しけると也。

 

□やぶちゃん注

 

○前項連関:「卷之二」の最後が自力作善を戒める真宗坊主染みたぶっとびの稲荷神の説法であった。ここでは仏像が読経をするが、それは蜂の羽音であったという江戸の都市伝説(アーバン・レジェンド)で、トンデモ宗教絡みで連関すると言えなくはない。

 

・「安永の初」安永年間は西暦1772年から1781年。安永三年で西暦1774年。

 

・「本鄕三念寺」三念寺という寺は文京区本郷二丁目に現存する。真言宗豊山派の寺院で御府内八十八箇所第三十四番札所である。本尊は薬師如来。油坂を登った水道歴史館及び水道局本郷給水所公苑の北の道を隔てた反対側にある(現在はコンクリート2階建)。但し、本文でお分かりの通り、これはこの寺の門前町での話で、直接関係はない。――更に全く関係ないが――遂に漱石の「心」の同日公開を終えたばかり私には――「こゝろ」フリークの私には――ここは驚愕の場所なのだ! ここはあの先生の下宿のすぐ近く、私が0座標と呼ぶ富坂下柳町交差点、その第4象限の、先生がKを出し抜いて御嬢さんを呉れろと奥さんにプロポーズした後の、あの――「いびつな圓」の――ど真中にあるのである!

 

・「持佛堂」「輕き御家人」とあるからには、これは住居内にある個人の仏間・仏壇の謂いである。

 

・「糀屋」糀(こうじ:米・麦・豆・糠などを蒸し、これに麹(こうじ)菌を繁殖させたもので酒・醤油・味噌などを製するのに用いる。)を製造する商人の店。それを卸売りしたり、またそれで自家で甘酒屋や味噌等を製造した商店もあった。

 

・「蜂」私はこれは膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜ミツバチ上科ミツバチ科ミツバチ亜科ミツバチ族ミツバチ属ニホンミツバチ Apis cerana japonica であろうと踏んでいる。因みに訳で用いた「…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………」という音は、勿論、私の好きな夢野久作の怪作「ドグラ・マグラ」冒頭から採った。自分が何者かも分からぬ主人公「私」は、直後にこの音を「蜜蜂の唸るやうな」と表現している。……今の私の左耳はずっとこの音がしている……。……そうか! 私の左耳には……阿弥陀さまが入洞なさって……御念仏を称えておられるので御座ったか?!

 

・「與風(ふと)」が底本のルビ。

 

 

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 

 ちょいとしたことから奇々怪々の噂話が始まるという事

 

 

 安永の初め、本郷三念寺の門前町の軽き身分の御家人の家でのこと、何と――その家(や)の仏壇の阿弥陀仏が、自ずと念仏をお唱えになる――という専らの噂で、近隣の信心深い老若男女、これまた群れを成して、かの家の仏壇を拝みに押し寄せてきたのであった。

 

 ところが、ある者が、これをよく調べてみたところが、この持仏の置かれた背後の壁の、丁度、裏側が隣り合った糀(こうじ)商いのお店(たな)との境になっていたのだが、その狭い隙間に、糀の甘みを嗅ぎつけてきたものか、蜂が群れて大きな巣を巣食うておったのであった。その巣の子蜂どもが、これまた朝な夕な、

 

…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………

 

…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………

 

と、絶えず、羽音を立てて御座ったを聞いて、

 

――すわ! 仏像が読経なさって御座る!――

 

と早合点、愚かにも言い騒いでおったのじゃった、との由。

 

 皆々して大笑い致いての、三十日許りの儚き夢をば、蜂の羽音に、ぱっと! 醒ました、ということで御座った。

 

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