「心」第(百十)回 ♡やぶちゃんの摑み メーキング映像2
♡「然し私は今其要求を果しました。もう何にもする事はありません」私が冒頭で献辞した――「こゝろ」を総て暗記していて、私が求めれば即座にどんな場所でも朗々と暗誦してくれる、私にとっての学生の「私」たる私の教え子にして畏友たる――S君が、先日指摘してくれたことがある。彼のメール本文をまずはお示ししよう。
「もう何にもすることはありません」この言葉は先生が遺書を書き終えた時だけでなく、学生が論文を仕上げた時にも使われますね。どちらも解放感をもって口にされるのに、その次に待ち受けることの違いにいつも複雑な思いを抱きます。
――第(二十六)回で「私」が卒業論文を仕上げ、久しぶりに先生の宅を訪ねる。その時、
先生は嬉しさうな私の顏を見て、「もう論文は片付いたんですか、結構ですね」といつた。私は「御蔭で漸く濟みました。もう何にもする事はありません」と云つた。
とある。ここで先生は遺書を書き上げた直後に、このように
「もう何にもする事はありません」
と全く同じ言葉を記すのである。
私は迂闊であった。
このことに今日の今日まで気づかなかった。
――そうして以前からの或る疑問が氷解した気がした。――
「私の選擇した問題は先生の專門と縁故の近いものであつた。私がかつてその選擇に就いて先生の意見を尋ねた時、先生は好いでせうと云つた。狼狽した氣味の私は、早速先生の所へ出掛けて、私の讀まなければならない參考書を聞いた。先生は自分の知つてゐる限りの知識を、快よく私に與へて呉れた上に、必要の書物を二三冊貸さうと云つた」と助言を与えている。勿論、「然し先生は此點について毫も私を指導する任に當らうとしなかつた」ともあるが、少なくとも、ここでの先生は遺書の中で(第(百九)回)で述懐したように、先生自身が幾分か「外界の刺戟で躍り上が」った気分を味わえた数少ない一瞬でもあったはずである。「私」は、そうした信頼する先生からの僅かながらとはいえエールを得て、「馬車馬のやうに正面許り見て、論文に鞭たれた。私はつひに四月の下旬が來て、やつと豫定通りのものを書き上げる迄、先生の敷居を跨なかつた」程に相応の覚悟と自信を持って提出した卒論であったはずである。――
――しかしそれは、第(三十二)回冒頭で「私の論文は自分が評價してゐた程に、教授の眼にはよく見えなかつたらしい。それでも私は豫定通り及第した」と淋しく語られるものであった。――
――何故、漱石はあの部分で殊更にこの卒論のエピソードを挟んだのだろう?――
――実はこれが私の昔からのどうも妙に気になっている疑問であったのだ。
それが今、解けた。――
先生の遺書とは「私」への――論文とはかく書くものである――という模範解答であった
のである。
先生は「私」に先生自身の人生の卒業論文を提示しながら、これが本当の論文の書法であると「私」に開示した
のである。
漱石の作品群それ自体が、一種の小説についての小説技法論的性質を持ち、一個の創作文芸論でもあるという評価は以前からあったが、正に「心」=「こゝろ」とは――先生の遺書とは、そのようなものとして確信犯的にあるのではあるまいか?
そうした観点から見ると、
後に単行本「こゝろ」で区分けされる「上・中・下」構造の三段構成
先生の遺書自体の「叔父の裏切り・先生の裏切り・自決の決意」の序論・本論・結論の三段構成
上・中パートのホリゾントである「出逢いの鎌倉と東京・私の田舎・東京・田舎」の起・承・転・結構造
「先生の故郷の物語・先生と御嬢さんの物語・先生と御嬢さんとKの物語・先生の自決の物語」の起・承・転・結構造
更に細部を見れば、
房州行での内房の静謐から誕生寺の急展開、外房から両国への省筆の緩・急・緩
富坂下を0座標とする4象限構造
そこを中心に描かれるレムニスケート風の登場人物の描く曲線
先生の神経の「ぐるぐる」
鎌倉材木座海岸の円弧
ステッキの円
数珠の永劫周回――
等々……そして何よりも、
反発し或いは抱き合う先生とKの内実が「明治の精神」という高みで止揚(アウフヘーベン)される『摑み』としての極めてオリジナリティに富んだ結論の提示
――どこをとってみても、小説、いや、入試の難関大学合格小論文の作法としての典型を示しており、勘所を押さえた
「人の心」を出題課題とする小論文問題への『優れた』模範解答例
と言い得るのではあるまいか?……名作なんだから当たり前……だ?……昨今、「こゝろ」が名作であることに疑義を示す輩が雲霞のように、象牙の塔の腐った髄や、サイバーのチェレンコフの業火の溝泥の中から湧き出しておる。……では、「こゝろ」ぐらい面白い、そうして文学史上生き延び得る『名作小説』を、お前ら自身が書くに若くはあるまい……と私は言いたい気分で、最近は一杯なのである。
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