『東京朝日新聞』大正3(1914)年8月2日(日曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第百一回
(百一)
「私は其儘二三日過ごしました。其二三日の間Kに對する絕えざる不安が私の胸を重くしてゐたのは云ふ迄もありません。私はたゞでさへ何とかしなければ、彼に濟まないと思つたのです。其上奥さんの調子や、御孃さんの態度が、始終私を突ツつくやうに刺戟するのですから、私は猶辛かつたのです。何處か男らしい氣性を具へた奥さんは、何時私の事を食卓でKに素ぱ拔かないとも限りません。それ以來ことに目立つやうに思へた私に對する御孃さんの擧止動作も、Kの心を曇らす不審の種とならないとは斷言出來ません。私は何とかして、私と此家族との間に成り立つた新らしい關係を、Kに知らせなければならない位置に立ちました。然し倫理的に弱點をもつてゐると、自分で自分を認めてゐる私には、それがまた至難の事のやうに感ぜられたのです。
私は仕方がないから、奥さんに賴んでKに改めてさう云つて貰はうかと考へました。無論私のゐない時にです。然しありの儘を告げられては、直接と間接の區別がある丈で、面目(めんばく)のないのに變りはありません。と云つて、拵え事を話して貰はうとすれば、奥さんから其理由を詰問されるに極つてゐます。もし奥さんに總ての事情を打ち明けて賴むとすれば、私は好んで自分の弱點を自分の愛人と其母親の前に曝け出さなければなりません。眞面目な私には、それが私の未來の信用に關するとしか思はれなかつたのです。結婚する前から戀人(こひひと)の信用を失ふのは、たとひ一分一厘でも、私には堪へ切れない不幸のやうに見えました。
要するに私は正直な路を步く積で、つい足を滑らした馬鹿ものでした。もしくは狡猾な男でした。さうして其所に氣のついてゐるものは、今の所たゞ天と私の心だけだつたのです。然し立ち直つて、もう一步前へ踏み出さうとするには、今滑つた事を是非共周圍の人に知られなければならない窮境に陷つたのです。私は飽くまで滑つた事を隱したがりました。同時に、何うしても前へ出ずには居られなかつたのです。私は此間に挾まつてまた立ち竦(すく)みました。
五六日經つた後、奥さんは突然私に向つて、Kにあの事を話したかと聞くのです。私はまだ話さないと答へました。すると何故話さないのかと、奥さんが私を詰(なじ)るのです。私は此問の前に固くなりました。其時奥さんが私を驚ろかした言葉を、私は今でも忘れずに覺えてゐます。
「道理で妾(わたし)が話したら變な顏をしてゐましたよ。貴方もよくないぢやありませんか。平生(へいぜい)あんなに親しくしてゐる間柄だのに、默つて知らん顏をしてゐるのは」
私はKが其時何か云ひはしなかつたかと奥さんに聞きました。奥さんは別段何にも云はないと答へました。然し私は進んでもつと細かい事を尋ねずにはゐられませんでした。奥さんは固より何も隱す譯がありません。大した話もないがと云ひながら、一々Kの樣子を語つて聞かせて吳れました。
奥さんの云ふ所を綜合して考へて見ると、Kは此最後の打擊を、最も落付いた驚をもつて迎へたらしいのです。Kは御孃さんと私との間に結ばれた新らしい關係に就いて、最初は左右ですかとたゞ一口云つた丈だつたさうです。然し奥さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時、彼ははじめて奥さんの顏を見て微笑を洩らしながら、「御目出たう御座います」と云つた儘席を立つたさうです。さうして茶の間の障子を開ける前に、また奥さんを振り返つて、「結婚は何時ですか」と聞いたさうです。それから「何か御祝ひを上げたいが、私は金がないから上げる事が出來ません」と云つたさうです。奥さんの前に坐つてゐた私は、其話を聞いて胸が塞がるやうな苦しさを覺えました。
[♡やぶちゃんの摑み:Kは、この章の最後のシーンの、既に二日前(次章冒頭)に私の御嬢さんへのプロポーズの事実を知っていたのであった。冒頭、先生のプロポーズから「私は其儘二三日過ごし」たとあって、後に「五六日經つた後」とあるからといって、若草書房2000年刊藤井淑禎注釈「漱石文学全注釈 12 心」の藤井氏は、この先生にとって驚天動地の衝撃の事実がプロポーズから「五六日」後なのか、はたまた「二三日」+「五六日」後の7~9日後のなのかは分からないとされているが、ここで先生は「二三日」も「五六日」後も共に、先生のプロポーズから起算したものと考えた方がよいように思われる。何故ならそうした、たるんだ加算時制がこのシーンに差し挟まれるのは、このカタストロフの流れの中では、やや澱みを生んでウマクナイと思うからである。これで行くと、プロポーズからKの自死までが最低7日から9日最大で13日間以上も『ここ』に仮想されることは、少なくとも『私の「心」の年表や映像には、ない』と言い切れるのである。
なお、ここは私がよくつまらぬ試験問題として出したところだ。以下、そんなところも思い出してもらえるように下らぬ注を附そう。
♡「拵え事」(「え」はママ。厳密には「江」の崩し字)とはどのようなものであろう。例えば先生と御嬢さんの婚約はずっと以前――Kが下宿に来る以前から決まっていたという拵え事が最も理解し易い。例えば、あの反物一緒に買った頃(七十二)が最も自然である(繰り返さないが、奥さんと御嬢さんの先生への意識の上からも合致するからである。第(七十二)回の「やぶちゃんの摑み」を参照されたい)。もう少し、無理のない形にするならば、昨年の秋ぐらいから、双方の話が進み、今年に入ってすぐに決まったといったものか(Kの告白以前であれば、それでよい。殊更に何時であるかを言わねばならぬ必要はないし、その時期について、Kも恐らく根掘り葉掘り聞くことはしないと私は思う)。不自然さは免れぬものの――実は、私は奥さんなら、その理由を詰問しては来ない――とさえ思うのである。但し、だったからと言って、この後のカタストロフに大きな変化は起こらないとも思うのである。
♡「私はたゞでさへ何とかしなければ、彼に濟まないと思つた」のに謝れなかったのは、結婚前に愛する人の信用を失うのは堪え切れない不幸に思われたからである。……そりゃ、言われてみりゃ、当然だ……余りにも格好悪い……お洒落な先生には、絶対、出来っこないよ……
♡「倫理的に弱點をもつてゐる」先生が、『自分はKを出し抜いて』お嬢さんとの結婚を願い出てしまったのだと『思い込んでいる』その事実を指している。←この二重鉤括弧部分は本作の理解の上でどうしても厳密に必要なものであることに注せよ!
♡「それがまた至難の事のやうに感ぜられた」の「それ」の指す内容は? つまらぬ問題だね。「私とこの家族との間に成り立った新しい関係を、Kに知らせなければならない」ということ、に決まってる。
♡「倫理的に弱點をもつてゐると、自分で自分を認めてゐる私」Kを出し抜いて(『と思っている』)先生が、卑劣にも御嬢さんと婚約してしまったと『Kが思っている』であろういう事実『だと先生が思いること』からくる良心の呵責である。←この二重鉤括弧部分は本作の理解の上でどうしても厳密に必要なものであることに注せよ!
♡「眞面目な私」という語は、恐らく一部の読者には欺瞞以外の何ものでもないと受け取られるであろう。しかし、ここにこそ「心」という小説の問題提起はある。先生は、
○総ての人、そしてあらゆることに対して、人間として誠実であろうとした=「正直な道を步」こうとした
ところが、結局、それは逆に、
×あらゆる矛盾を孕んだものとなり、結果として自身が意図せぬ欺瞞に陥らざるをえなかった=「足を滑ら」すことになった
という人間存在の宿命的現実への皮肉が込められているのである。
♡「正直な道を步く」=自分の、人間の人間たる自然な良心に恥じない生き方をする。
♡「滑ったこと」=先生がKの信頼を裏切った『と思っている』こと。←この二重鉤括弧部分は本作の理解の上でどうしても厳密に必要なものであることに注せよ!
♡「前へ出ずには居られなかつた」=Kに自分がKを裏切った(『と思っている』)ことを告白して謝罪したい、謝罪せねばならないということ。そうせねば人間として許されないのだと先生が思っていることを指す←この二重鉤括弧部分は本作の理解の上でどうしても厳密に必要なものであることに注せよ!
♡「私は此間に挾まつてまた立ち竦みました」の「この間」とは何か?
□人間が人間らしくあるべき良心に従い、己の心の内をすべて告白せねばならぬという謝罪衝動
と
■自身と靜と奥さんの未来の幸福のためには絶対に己の心の内を明らかにしてはならぬという禁則感情
の「間」である。
♡『Kは御孃さんと私との間に結ばれた新らしい關係に就いて、最初は左右ですかとたゞ一口云つた丈だつたさうです。然し奥さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時、彼ははじめて奥さんの顏を見て微笑を洩らしながら、「御目出たう御座います」と云つた儘席を立つたさうです。さうして茶の間の障子を開ける前に、また奥さんを振り返つて、「結婚は何時ですか」と聞いたさうです。それから「何か御祝ひを上げたいが、私は金がないから上げる事が出來ません」と云つたさうです』私はこのシーンが好きだ。そうして、折りに触れて私は、深夜に、この部分を台詞だけ朗読してみるのだ。
○茶の間。
K 「そうですか。」
奥さん「あなたも喜んで下さい。」
K、奥さんの顏を見、少年のような笑顔を浮かべながら、
K 「おめでとう御座います。」
K、席を立つ。廊下の障子を開ける前に、ふと奥さんの方を振り返って、やはり快活に。
K 「結婚は何時ですか。……何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事が出来ません。」
このKの表情は本作中、最も輝いて見えるように撮らねばならない。しかも一抹の翳りをも加えずに、である。]
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