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2010/08/13

耳囊 卷之三 下賤の者は心ありて可召仕事

 

「耳嚢 巻之三」に「下賤の者は心ありて可召仕事」を収載した。

 

 

 

 下賤の者は心ありて可召仕事

 

 或人年久敷召使ひける中間有。あくまで實躰にて心も又直(ちよく)成(なる)者也しが、或年主人御藏前取(まへとり)にて御切米玉落(たまおち)ける故、金子請取に右札差の許へ可行處しつらひありて不行、彼者に手紙相添て金受取に遣しけるが、其日も暮夜に入ても歸らず翌朝にも歸らざれば、偖(さて)は金子受取出奔なしけるか、數年召仕ひて彼が志を知りたるに出奔抔すべき者にあらず、しかしとて人を遣し見けれ共見えざれば、出奔いたす成べし、扨々人はしれざるものと大に後悔なしけるに、晝過にも成りて彼者歸りて懷中より金子幷札差の寄附ども取揃へ主人へ渡しける故、如何いたし遲かりしやと尋ければ彼下人申けるは、私には暇を給べしといゝける故、彌々驚き、いか成事也とて委く尋れば、此後も有べき事也、いかほど律儀にて年久敷召仕ひ給ふ共、中間抔に金子百兩程持すべきものにあらず。我等事數年御懇意に召仕ひ給ひて、我等も奉公せん内は此屋敷不出と存るが、昨日札差にて金子百兩程我等受取て歸る道すがらつくづく存けるは、我等賤しく生れて是迄か程の金子懷中なしたる事なし。此末か程の金子手に入事あるべきやも難計。今盜取て立退ば生涯は暮し方可成とて、江戶表を立退候心にて千住(せんじゆ)筋迄至り大橋を越て段々行しが、熟々考れば主人も我身實躰者と見極給へばこそ大金の使にも申付給へ、然るを是迄の實躰に背き盜せんは天命主命恐るべし愼むべしとて、又箕輪迄立歸りしが又惡心出て、兎角は世をわたる事百金あれば其身の分限には相應なりとて亦々立戾り、或ひは思ひ直してたゝずみなどして、昨夜は今朝迄も心決せず迷しが、幾重にも冥加の恐しさに善心に決定して今立歸りぬ。かゝる惡心の一旦出し者召使ひ給はんもよしなければ暇を給るべしといひしに、主人も誠感心して厚く止め召仕ひけると也。

 

□やぶちゃん注

 

○前項連関:金銭への人の執着の根深さで連関。

 

・「御藏前取」幕府の旗本・御家人の場合、凡そ一割の者が知行地を与えられ、そこから取れる米の四割を税として徴収して生活をしていた。これらを『知行地取り』と言った。それに対して、残りの大多数の旗本・御家人は『蔵前取り』『切米取り』で、幕府の天領から収穫した米を浅草蔵前から春夏冬の年三回(2月・5月・10月)に分けて支給された。多くの場合、『蔵前取り』した米は札差という商人に手数料を支払って現金化していた。

 

・「御切米玉落ける」前注で示したように『蔵前取り』『切米取り』を受ける旗本・御家人は支給期日が来ると『御切米請取手形』という札(ふだ)が支給され、その札を受け取り代行業者であった札差に届け出る。札差は預かった札を書替役所に持参の上、そこで改めて交換札を受け取り、書替奉行の裏印を貰う。その後、札差が札旦那(切米取り)の札を八百俵単位に纏め、半紙四つ切に高・渡高(わたしだか)・石代金・札旦那名・札差屋号を記して丸めて玉にし、御蔵役所の通称『玉場』に持参した。この玉場には蓋のついた玉柄杓という曲げ物があって、役人は札差が持ち寄った玉を纏めて曲げ物の中に入れる。この曲げ物の蓋には玉が一つずつ出る穴があって、役人が柄杓を振ると、玉が落ちて出てくる仕組みになっていた。玉が落ちると、札差は玉(半紙)に書かれている名前の札旦那に代わって米や金を受け取る。そうして同時に札旦那に使いの者を走らせ、玉が落ちた旨を報知、知らせを受けた札旦那は、札差に出かけて現金化した金や現物の米を受け取るというシステムであった。岩波版長谷川氏の注によると、この支給米は『二月・五月は四分の一ずつ、これを借米(かりまい)といい、十月に二分の一、これを切米とい』ったとあるから、この話柄のシチュエーションは秋10月のことと思われる。

 

・「しつらひ」これは「差しつかへ」の誤記と思われる。

 

・「千住筋迄至り大橋を越て段々行し」「千住」は日光(奥州)街道の宿場として発展した。江戸から最初の宿場町に当たり、東海道の品川宿・甲州街道の内藤新宿・中山道の板橋宿と並ぶ江戸四宿の一つ。「大橋」は隅田川に架かる橋で日光街道(現在の国道4号)を通す千住大橋のこと。南千住と北千住を繋ぐ。以下、ウィキの「千住大橋」より一部引用する。『最初に千住大橋が架橋されたのは、徳川家康が江戸に入府して間もない文禄3年(1594年)11月のことで、隅田川最初の橋である。当初の橋は現在より上流200mほどのところで、当時「渡裸川の渡し(戸田の渡し)」とよばれる渡船場があり、古い街道筋にあたった場所と思われる』。

 

・「箕輪」三ノ輪とも書く。江戸から見て千住の手前、現在の台東区中央部分の北の端に位置する地名。当時の江戸湾に突き出た武蔵野台地の先端部に相当することから水の鼻(みのはな)と言われ、これが転訛して「みのわ」になったといわれる。三ノ輪村原宿として宿場町として形成されたが、延亨2(1745)年には隅田川の宿場として原宿町が独立している。

 

・「冥加」には一つ、『人知にては感知できない、気がつかないうちに授かっている神仏の加護や恩恵。また、思いがけない幸せ。冥助。冥利。』という意味があり、更に『神仏の加護・恩恵に対するお礼。』の意味があるが、ここでのように「冥加の恐しさに」といったネガティヴな意味での使用法はない。この「恐しさ」というのをとりあえず「畏れ多き神仏の冥加に」と読み替えて現代語訳してみた。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 下賤の者は心して召し使わねばならぬという事

 

 ある人が久しく召し使って御座った一人の中間があった。

 

 如何にも実直にして心映えも真っ直ぐなる者であったが、ある時、御切米が玉落ちしたとのことで、本来は主(あるじ)自らがその金子を受け取りに札差を訪れるはずであったが、よんどころない所用があったがため行けず、かの中間に手紙を添えて金子受け取りに遣わした。

 

 ところが、この中間、その日も暮れて夜になっても帰って来ず、翌朝になっても戻らなかった。主は、

 

「……さては金子を受け取ってそのまま出奔致いたか?……それにしても長年召使い、あの男の正直なる志も、よう分かっておる……とてもそのように横領出奔致すような男には見えなんだが……」

 

と人を遣って捜させてみたけれども、やはり行方知れずであった。

 

「……やはり出奔致いたので御座ろう。……さてさて、人品は分からぬものじゃ……」

 

とひどく後悔致いておったところ、その日の昼過ぎ頃にもなって、かの中間、戻って参り、懐(ふところ)から定額の金子并びに札差書付なんどをしっかり取り揃えて、黙ったまま、主人に渡した故、

 

「……如何なることにて、かく遅うなったか?……」

 

と糾したところ、中間は、

 

「……我にはお暇を下されよ……」

 

と一言だけ言う。

 

 主はいよいよ驚き、

 

「……それはまた、一体、どういうことじゃ?」

 

と詳しく訊ねたところが、

 

「……この後(のち)も、このような同じことを仕出かすに違い御座らぬ……どれ程、律儀に年久しく召し使(つこ)うて御座ったとて……私のような中間風情に、金子を百両も持たすものにては御座らぬ……我らこと、これまで御懇意に召し使(つこ)うて頂き、我らも中間奉公致す内は、もう、この屋敷からは出でまいという所存にて御座いましたが……昨日……札差にて金子百両を受け取って帰る道すがら、つくづく考えましたことには……

 

『……我ら、賤しい身分に生まれてこの方……かほどの大枚の金子……懐中になしたること、これ、ない……この先、かほどの金子を手に入れること、これもあろうとも思われぬ……今、これを盗み取りてどこぞへ立ち退いたならば……これだけでも生涯の暮し、これ、成り立つであろう……』

 

と……それより、江戸表から出奔致す所存にて千住辺りまで至り……大橋を越えて……ひた走りに走りましたが……その間(かん)、つくづく考えてもみたので御座います……

 

『……ご主人さまに於かせられては……この我身を、真面目な男と見込んでおらるればこそ、この大金の使いにも申し付け下すったに……然るに、これまでの真率に背きてこの金子を盗んだとなれば……天命、主命如何なる咎が下るやも知れぬ……恐るべし! 慎むべし!』

 

という思いが募り、足をまた、箕輪まで返しましたが……再び悪心の出できて……

 

『……百両……百両じゃ……とかく百両あらば……渡世の路、この身にとっては十分過ぎる程に十分じゃて……』

 

と、またしても足を返し……いや、何度も何度もまた、思い直して呆然と立ち尽くしなんど致いて……昨夜来、今朝に至るまで、卑しき心なればこそ決することもならず、街道を行ったり来たり……迷って御座いました。……されど、重ね重ね、今までの畏れ多い神仏の冥加を思うた末……ようやっと善心と決定致いて……恥ずかし乍ら帰って参りました。……かかる悪心を一度(ひとたび)心に生じた者を、向後も召し使うは、由なきことなれば、どうか、お暇(いとま)頂きとう御座る……」

 

と申した。

 

 主人が、誠(まっこと)心より感心致いて、中間の申し出を慰留の上、後、永く彼を召し使ったことは、言うまでもない。

 

 

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