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2010/08/20

耳嚢 巻之三 強盜德にかたざる事

 

「耳嚢 巻之三」に「強盜德にかたざる事」を収載した。

 

 

 強盜德にかたざる事

 

 予留役勤ける時、牧野隅州(ぐうしふ)御勘定奉行の節、懸りにて眞島友之丞といへる盜賊の吟味ありしが、上州武州を徘徊せる大盜にて、所々民家へ押入強盜にてありし。其罪極りて侵せる事を聊(いささか)不隱(かくさざり)し。或日懸りの留役尋けるは、汝も所々盜なして歩行(ありく)に怖しき事にも逢しやといひければ、都(すべ)て盜賊の儀、何ほど同類を催しても其門其戸をはづし這入候迄は怖しき物なり、一旦内へ入ては聊か恐るゝ事なく、物を取得て立歸らんとする頃又怖しく覺る也、數ケ所押込強盜なしけるに、上州の在と覺へし、ある寺院へ立入りしに、住僧の居間の襖を明けんとせしが、しきりに怖しく覺へけれども忍びて襖を明たるに、住僧起直り、盜賊也やとて長押(なげし)にありし長刀へ手を掛給ふと思ひしが、誠に二つに切られし心にて、足をはかりに逃出しに、跡より迫るゝ心にて其身計(ばかり)か同類共も、命限り拾町餘(あまり)も山の内へ迯込(にげこみ)しが、よく/\思ふに跡より追ひ候氣色もなかりけり。德ある出家にや、かく恐しき事に逢し事なしといひぬ。

 

□やぶちゃん注

 

○前項連関:強盗撃退譚で直連関。

 

・「留役」評定所留役のこと。現在の最高裁判所予審判事に相当。根岸が評定所留役であったのは23歳の宝暦131763)年から明和5(1768)年迄。

 

・「牧野隅州」牧野大隅守成賢(まきのおおすみのかみしげかた 正徳4(1714)年~寛政4(1792)年)のこと。旗本。以下、ウィキの「牧野成賢から引用する。『勘定奉行・江戸南町奉行・大目付。御旗奉行牧野成照の次男。一族牧野茂晴の娘を娶って末期養子となり、2200石を継承した。通称、大九郎、靱負、織部』。『西ノ丸小姓組から使番、目付、小普請奉行と進み、宝暦11年(1761年)勘定奉行に就任、6年半勤務し、明和5年(1768年)南町奉行へ転進する。南町奉行の職掌には5年近くあり、天明4年(1784年)3月、大目付に昇格した。しかし翌月田沼意知が佐野政言に殿中で殺害される刃傷沙汰が勃発し、この時成賢は指呼の間にいながら何ら適切な行動をとらなかったことを咎められ、処罰を受けた。寛政3年(1791年)に致仕し、翌年没した』。『牧野の業績として知られているのが無宿養育所の設立である。安永9年(1780年)に深川茂森町に設立された養育所は、生活が困窮、逼迫した放浪者達を収容し、更生、斡旋の手助けをする救民施設としての役割を持っていた。享保の頃より住居も確保できない無宿の者達が増加の一途を辿っており、彼らを救済し、社会に復帰させ、生活を立て直す為の援助をすることが、養育所設置の目的、趣旨であった。定着することなく途中で逃亡する無宿者が多かったため、約6年ほどで閉鎖となってしまったが、牧野の計画は後の長谷川宣以による人足寄場設立の先駆けとなった』とある。以上の記載から、この一件の吟味は宝暦131763)年から明和5(1768)年の5年間の間の出来事であることが分かる。牧野は根岸より23歳年上で、経歴から見ても大先輩に当る。

 

・「上州武州」上野国(こうずけのくに)と武蔵国。上野国は、ほぼ現在の群馬県とほぼ同じであるが、桐生市のうち桐生川以東は含まれない。武蔵国は現在の埼玉県・東京都の大部分及び神奈川県川崎市と横浜市の大部分を含む地域。21郡を有する大国であった。

 

・「御勘定奉行」勘定奉行のこと。勘定方の最高責任者で財政や天領支配などを司ったが、寺社奉行・町奉行と共に三奉行の一つとされ、三つで評定所を構成していた。一般には関八州内江戸府外、全国の天領の内、町奉行・寺社奉行管轄以外の行政・司法を担当したとされる。厳密には享保6(1721)年以降、財政・民政を主な職掌とする勝手方勘定奉行と専ら訴訟関係を扱う公事方勘定奉行とに分かれている。

 

・「眞島友之丞」未詳。その申し状から、是非ともお仕置きの中味が知りたいものである。恐らくは斬罪であったろうが、どうにもこの眞島友之丞、気になってしようがないのだ。そういた雰囲気から現代語訳では随所に私の意訳による補足を加えた。お楽しみあれ。

 

・「足をはかりに」この「はかり」は「限り・際限」の意で、足の続く限り、突っ走ったことを言う。

 

・「拾町餘」一町は60間(けん)で約109mであるから、凡そ1㎞程。

 

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 強盗も徳には勝てぬという事

 

 私が留役を勤めていた頃、当時、御勘定奉行であられた牧野大隅守成賢殿が真島友之丞という盗賊の吟味に当られた。

 

 こ奴は上州や武州を中心に荒らし回った大盗賊にて、各地の民家へ押し入っては強盗を働く常習犯であった。その罪極まれりと観念したものと思われ、吟味の間も己れの所行を洗い浚い白状致いて、聊かなりとも隠そうとせず、吟味の者たちも内心、盗人(ぬすっと)乍ら殊勝なる振舞いと親しみさえ覚えて御座った。

 

 そんな吟味のある日のこと、一段落ついた係の留役が、

 

「……お前も、あちこちで盗みを働いたことなれば……中には恐ろしいと思う目に遇(お)うたこと、これ、あったか?」

 

と友之丞に訊ねた。友之丞は、

 

「……へえ、総て盗賊という申す者どもは、たとえ何人もで徒党を組んで御座ろうとも、その門、その戸を外して、中に忍び入ります迄は……誠(まっこと)恐ろしいものにて御座る。……しかし一旦、内へ侵入致さば、もう、何の恐ろしいことも、これ、御座ない……されどまた、得物(えもの)を取り得て、さても帰らんとする頃になると……これまた、恐ろしくなるものにて、御座る……。

 

……今まで数限りのう押し込み働(ばたら)き致いて御座ったれど……確か上州の田舎でのことと覚えて御座る……とある寺院に忍び込み、寝込んでおった住僧の、その居間の襖を開けんとせしに……何故か分かりませぬ……が……ともかくも何やらん頻りに恐ろしゅう思われて、なりませなんだ……なりませなんだが、何とか堪(こら)えて……襖を、静かに開けたところが……臥して御座った住僧、すっくと起き直って、

 

『盗賊であるかッ!』

 

と言うが早いか、長押(なげし)にあった長刀(なぎなた)へ――

 

――手を、お掛けになった――

 

――と、その瞬間――

 

――儂(あっし)は、誠(まっこと)ばっさり真っ二つに斬られた心地が――

 

――本に、致しやした……

 

……後は一目散……ただただ足の続く限りに逃げ出しやした……かの僧が後から追いかけて来て、今にも背後から

 

――ばっさり斬(や)られる――

 

という心持ちにて……いえ、儂(あっし)ばかりにては御座らぬ……一緒に押し入った仲間ともども……同じ思いにて……命を限りと十町余りも山の中へと駆け込んでおりました……が、今思い起こさば……実際にはそれはいらぬ気遣いで御座ったに。

 

……あのお方は……よほど徳のある御出家ででも御座ったか……

 

――いえ、ともかくも儂(あっし)の――

 

――もう、じきに、首が飛ぶ儂(あっし)の、この生涯で――

 

――その首が飛ぶであろう時よりも――

 

……かほどに恐ろしき目に……遇(お)うたことは……これ、御座らぬ……」

 

と語った。

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