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« アリスの舞踏会の手帖 | トップページ | 耳嚢 巻之三 明德の祈禱其依る所ある事 »

2010/08/30

耳嚢 巻之三 三峯山にて犬をかりる事

「耳嚢 巻之三」に「三峯山にて犬をかりる事」を収載した。

 三峯山にて犬をかりる事

 武州秩父郡三峯權現は、火難盜難を除脱し給ふ御所にて、諸人の信仰いちじるき。右別當福有(ふくいう)にて僧俗の家從隨身(ずいじん)夥しく、無賴不當の者にても今日たつきなく欺きて寄宿すれば差置ける由。多くの内には盜賊など有て、金錢など盜取て立去らんとするに、或は亂心し或は腰膝不立、片輪などに成て出る事不叶。住僧は勿論隨身の僧俗も、右在山の内金子を貯(たくはへ)出んとするに、必祟有て表も持出る事叶はず。酒食に遣ひ捨る事は強て咎めもなき由、彼山最寄の者語りぬ。且又右三峯權現を信じ盜難火難除(よけ)の守護の札を付與する時、犬をかりるといふ事有。右犬をかりる時は盜難火難に逢ふ事なしとて、都鄙(とひ)申習はす事也。或人、犬を貸候といへど札を附(ふす)計(ばかり)也、誠の犬をかし給ふ事もなるべきや、神明の冥感(みやうかん)目にさへぎる事を賴ければ、別當得其意(そのいをえ)祈念して札を附與なしけるに、彼者下山の時ひとつの狼跡へ成り先へ成り附來(きたる)ゆへ、始て神慮の僞なきを感じ、狼ともなひ歸らんの怖さに、立歸りてしかじかの譯をかたり、疑心を悔て札計受たき願ひをなしける故、別當又其趣を祈て付屬なしければ、其後は狼も眼にさへぎらず有りしと也。

□やぶちゃん注

○前項連関:神事神霊玄妙直連関。

・「武州秩父郡三峯權現」現在の埼玉県秩父市三峰にある三峯神社のこと。ウィキの「三峯神社」より一部を引用する。『社伝によれば、景行天皇の時代、日本武尊の東征の際、碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登り、伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建したという。景行天皇の東国巡行の際に、天皇は社地を囲む白岩山・妙法山・雲取山の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたと伝える』。『伊豆国に流罪になった役小角が三峰山で修業をし、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられる』。『三峰の地名と熊野の地名の類似より、三峰の開山に熊野修験が深くかかわっていることがうかがえる。熊野には「大雲取・小雲取」があり、三峰山では中心の山を雲取山と呼んでいる』。『中世以降、日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けた。しかし、正平7年(1352年)、足利氏を討つために挙兵し敗れた新田義興・義宗らが当山に身を潜めたことより、足利氏により社領が奪われ、衰退した』。『文亀年間(1501 - 1504年)に修験者の月観道満により堂舍が再興され、以降、聖護院派天台修験の関東総本山とされ、隆盛した。本堂を「観音院高雲寺」と称し、三峯大権現と呼ばれた』。『江戸時代には、秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族・神使とし、「お犬さま」として崇めるようになった。さらに、この狼が盗戝や災難から守る神と解釈されるようになり、当社から狼の護符を受けること(御眷属信仰)が流行った。修験者たちが当社の神得を説いて回り、当社に参詣するための講(三峯講)が関東・東北等を中心として信州など各地に組織された』。以下、本話柄と関わる「山犬信仰(三峯講)」の項。『三峰信仰の中心をなしているものに、御眷属(山犬)信仰がある。この信仰については、「社記」に享保12913日の夜、日光法印が山上の庵室に静座していると、山中どことも知れず狼が群がり来て境内に充ちた。法印は、これを神託と感じて猪鹿・火盗除けとして山犬の神札を貸し出したところ霊験があったとされる』。『また、幸田露伴は、三峰の神使は、大神すなわち狼であり、月々19日に、小豆飯と清酒を本社から八丁ほど離れた所に備え置く、と登山の折の記録に記している』。『眷属(山犬)は1疋で50戸まで守護すると言われている。文化141214日に各地に貸し出された眷属が4000疋となり、山犬信仰の広まりを祝う式があり、また文政8122日には、5000疋となり同様の祝儀が行われている。明治後期の文献と思われる「御眷属拝借心得書」には、御眷属を受け、家へ帰られたならば、早速仮宮へ祀られ注連縄を張り、御神酒・洗米を土器に盛り献饌し、不潔の者の立ち入らぬようにされたいとある。(仮宮へ祀るのは講で受けた場合で、個人で受けた場合神棚でよいとされる)』。

・「隨身」用心棒の類い。前話で示した僧兵同等の神人(じにん)で訳した。

・「神明の冥感目にさへぎる事」岩波版長谷川氏注に『神様の御加護を実際に目で見てみたい』とある。私は「さへぎる」である以上、「神の冥加の顕現があると言うが、実際にはこの眼には遮られて見えぬ」、即ち「神命の御加護が本当にあるというのなら、それをこの凡夫の眼にも見せてもらおうではないか」という不遜なる願いの意であろうと私は当初、思った。ただ長谷川氏の訳は本質的に私の解を含んだ簡約形とも感じられるので、「何としても神明あらたかなるところのご加護の御様(おんさま)、目の当たりに拝まさせて戴きとう、御座る」と幾分、援用させて頂いて訳してみた。ただ、訳した後、次の「明德の祈禱其依る所ある事」に出現する「さへぎる」を根岸は「眼を過(よ)ぎる」の意で誤って使っている可能性が濃厚であることがその訳作業の中で分かってきた。しかし、私のオリジナル訳の過程を現に残すものとして、このままとしたい。

・「付屬なし」依頼して。

■やぶちゃん現代語訳

 三峯山にて犬を借りるという事

 武州秩父郡の三峯権現は火難盗難を取り除く神にて、諸人の信仰、これ、著しい御社(おやしろ)である。ここの別当は到って裕福にて、僧俗の下男や怪しげなる神人(じにん)体(てい)の者どもも夥しくおり、無頼不逞の輩にても――その日の暮らしも立たず、嘆き縋りつく思いにて訪ねて寄宿を望まば――如何なる者にても拒まずに差し置くとの由。

 なればこそ、その内には盗賊なんどもおって、御社の金銭なんどを窃かに盗んでは立ち去らんとする者も稀におれど――そういう不届き者はたちどころに乱心し、或いは足腰立たず、片輪となって、山を出ずること、これ、能わぬことと相成る。住僧は勿論のこと、神人体(てい)の僧俗にても、山に在った内に貯えておった金子を持って山を下ろうとしても、やはり必ず祟りがあって、一銭だに持ち出だすことは、これ、叶わぬ。――ところが、これを山中にあって、酒食に使い捨つる分には、これと言った神罰のお咎めはない、との由。かの三峯山の近隣に住んでおる者が語ったことである。

 また、この三峯権現を信仰し、盗難火難除けの守護の御札を授ける際、『犬を借りる』と言い慣わしておる。この犬を借りる時は、決して盗難火難に遭うこと、これなし、と世間に広く言い習わしておるのである。

 ところが、ある人が、別当に、

「……犬をお貸し下さると言いながら、お授け下さるは、ただ札ばかりで御座る。……一つ、誠の犬なるもの、お貸し下さることは出来ませぬか?……ここは一つ、何としても神明あらたかなるところのご加護の御様(おんさま)、目の当たりに拝まさせて戴きとう、御座る。」

なんどと不遜なることを頼んだところ、別当、その願いの意を受け、特に祈念致いた御札を、以ってこの者に授けた。

 すると……かの者が下山の砌……一匹の狼……かの者の後になり、また、先になり……付き来(きた)ったればこそ……男、初めて神慮の偽りなきこと、これ、感じ入るとともに、神狼を伴(ともの)うて帰らんことの怖ろしさに、心底震え上がって……とって返すと、しかじかの訳を語るや、神意を疑(うたご)うたこと、心より悔い、御札ばかりを授かりたき旨、懇請致いた故に、別当、再びその趣きを祈念致いて授けたところが、その帰途には狼の姿も眼に過(よ)ぎること、これなく、無事下山致いた、との由で御座る。

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