『東京朝日新聞』大正3(1914)年8月4日(火曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第百三回
(百三)
「私は突然Kの頭を抱へるやうに兩手で少し持ち上げました。私はKの死顏が一目見たかつたのです。然し俯伏(うつぶし)になつてゐる彼の顏を、斯うして下から覗き込んだ時、私はすぐ其手を放してしまひました。慄(ぞつ)とした許(ばかり)ではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられたのです。私は上から今觸つた冷たい耳と、平生に變らない五分刈の濃い髪の毛を少時(しばらく)眺めてゐました。私は少しも泣く氣にはなれませんでした。私はたゞ恐ろしかつたのです。さうして其恐ろしさは、眼の前の光景が官能を刺戟して起る單調な恐ろしさ許りではありません。私は忽然と冷たくなつた此友達によつて暗示された運命の恐ろしさを深く感じたのです。
私は何の分別もなくまた私の室に歸りました。さうして八疊の中をぐるぐる廻り始めました。私の頭は無意味でも當分さうして動いてゐろと私に命令するのです。私は何うかしなければならないと思ひました。同時にもう何うする事も出來ないのだと思ひました。座敷の中をぐる/\廻らなければゐられなくなつたのです。檻の中へ入れられた熊の樣の態度で。私は時々奧へ行つて奥さんを起さうといふ氣になります。けれども女に此恐ろしい有樣を見せては惡いといふ心持がすぐ私を遮ります。奥さんは兎に角、御孃さんを驚ろかす事は、とても出來ないといふ强い意志が私を抑えつけます。私はまたぐる/\廻り始めるのです。
私は其間に自分の室の洋燈(ランプ)を點けました。それから時計を折々見ました。其時の時計程埒(らち)の明かない遲いものはありませんでした。私の起きた時間は、正確に分らないのですけれども、もう夜明に間もなかつた事丈は明らかです。ぐる/\廻りながら、其夜明を待ち焦れた私は、永久に暗い夜が續くのではなからうかといふ思ひに惱まされました。
我々は七時前に起きる習慣でした。學校は八時に始まる事が多いので、それでないと授業に間に合ないのです。下女は其關係で六時頃に起きる譯(わけ)になつてゐました。然し其日(そのに)私が下女を起しに行つたのはまだ六時前でした。すると奥さんが今日は日曜だと云つて注意して吳れました。奥さんは私の足音で眼を覺したのです。私は奥さんに眼が覺めてゐるなら、一寸私の室迄來て吳れと賴みました。奥さんは寢卷の上へ不斷着の羽織を引掛て、私の後(あと)に跟(つ)いて來ました。私は室へ這入(はい)るや否や、今迄開いてゐた仕切の襖をすぐ立て切りました。さうして奥さんに飛んだ事が出來たと小聲で告げました。奥さんは何だと聞きました。私は顋(あご)で隣の室を指すやうにして、「驚ろいちや不可(いけ)ません」と云ひました。奥さんは蒼い顏をしました。「奥さん、Kは自殺(しさつ)しました」と私がまた云ひました。奥さんは其所に居竦(ゐすく)まつたやうに、私の顏を見て默つてゐました。其時私は突然奥さんの前へ手を突いて頭を下げました。「濟みません。私が惡かつたのです。あなたにも御孃さんにも濟まない事になりました」と詫(あや)まりました。私は奥さんと向ひ合ふ迄、そんな言葉を口にする氣は丸でなかつたのです。然し奥さんの顏を見た時不意に我とも知らず左右云つて仕舞つたのです。Kに詫まる事の出來ない私は、斯うして奥さんと御孃さんに詫(わ)びなければゐられなくなつたのだと思つて下さい。つまり私の自然が平生の私を出し拔いてふら/\と懺悔の口を開かしたのです。奥さんがそんな深い意味に、私の言葉を解釋しなかつたのは私にとつて幸ひでした。蒼い顏をしながら、「不慮の出來事なら仕方がないぢやありませんか」と慰さめるやうに云つて吳れました。然し其顏には驚きと怖れとが、彫(ほ)り付けられたやうに、硬く筋肉を攫(つか)んでゐました。
[♡やぶちゃんの摑み:
★『☆Kの視線を見逃す先生(5)』
Kの眼を見逃す
=Kの真意を見逃す
=Kの心を見落とす先生
何度でも言おう。
見落とすべきでなかったKの眼を何度も見逃す先生
=Kの眼を見ていれば分かったはずの当然の真実を、Kの眼を見なかったばかりに段階的にも論理的にも理解出来なかった先生=Kの心を決定的に見落とし、致命的な誤読を重ねてしまう先生
=遂にKの死後もをKの真意を見逃す先生
=致命的な誤読を重ねてしまう哀しい先生が――ここにいる。
そもそも
★先生は何故「Kの死に顏が一目見たかつた」のか?
を考える必要がある。それは勿論、Kがどんな表情で死んでいるかを見、その末期の思いを、その死に顔から推測しようしたからに他ならない。そこで先生は、さぞかしKが
絶望と苦痛若そして憤怒の表情
に歪んでいるであろうことを予測したであろう。
しかし、先生は遂にKの表情を見ないのだ。何故なら先生は「然し俯伏になつてゐる彼の顏を、斯うして下から覗き込んだ時、私はすぐ其手を放してしま」うからである。因みに、この「斯うして」という言葉選び方は美事と言わざるを得ない。我々はその場で先生の手の動きを見せられる――否――我々が先生となってKの首を「覗き込」もうとした瞬間、我々はその重みに首を取り落とすのである。――しかし、どうであろう? 私は
○Kの死に顔は総ての自己決着を得て気持ちよく穏やかであった
のではないかと確信している。何れにせよ、先生はこれ以降、
○葬儀の中で必ずKの死に顏を何度も見ていながら全くそれを描写しない
のである。しかし描写しないからこそ――もしその表情が苦痛や憎悪・怨念に歪んだものであったなら、必ずやそれが先生に依って示されるはずだから――、
○その死に顔は極めて穏やかなものであった
と、私は思うのである。そうして次に考えねばならないのは、
★何故先生はKの首を持った「其手を放してしま」ったのか?
という点であろう。先生はそれを、
何かに襲われるように「慄とした」ことに加えて、「彼の頭が非常に重たく感ぜられた」から
と述べている。しかし、これはやや捩れた表現というべきであって(但し、このような凄惨な場面の描写としては仕方がないとも言えよう)、先生がKの首――それは私にはヨカナンの首に見える――を トン! と取り落とした真の理由は、
○「彼の頭が非常に重たく感ぜられ」て「慄とした」からであり、その「慄とした」思いの内実とは単純な「眼の前の光景が官能を刺戟して起る」「恐ろしさ」「許りでは」なく、「忽然と冷たくなつた此友達によつて暗示された」、宿命的致命的に決定(けつじょう)されてしまった己の向後の「運命の恐ろしさを深く感じた」から
に他ならない。そして、
その重量の質感が、次に先生の視線で「私は上から今觸つた冷たい耳と、平生に變らない五分刈の濃い髪の毛を少時眺めてゐ」たと説明される
という構造なのである。この重量は、
○先生の罪の重さでもあり、同時に
○その罪によって既に定められしまった(と先生が感じているところの)先生の宿命的致命的運命の重さ
でもあったのである――。
♡「座敷の中をぐる/\廻らなければゐられなくなつたのです。檻の中へ入れられた熊の樣の態度で」 ……先生、思い出して下さい……あの頃を……かつては一緒に抱き合っていたKは、もういないのです……「東京へ着いて」「同じ下宿」で「Kと私も二人で同じ間にゐ」た頃のことを……「山で生捕られた動物が、檻の中で抱き合ひながら、外を睨めるやう」に……「二人は東京と東京の人を畏れ」……「それでゐて六疊の間の中では、天下を睥睨するやうな事を云」い合っていた(以上、すべて第(七十三)回より引用)……あの頃を……
♡「日(に)」「ひ」のルビ誤植。
♡「自殺(しさつ)」「じさつ」のルビ誤植。
♡『其時私は突然奥さんの前へ手を突いて頭を下げました。「濟みません。私が惡かつたのです。あなたにも御孃さんにも濟まない事になりました」と詫まりました。私は奥さんと向ひ合ふ迄、そんな言葉を口にする氣は丸でなかつたのです。然し奥さんの顏を見た時不意に我とも知らず左右云つて仕舞つたのです。Kに詫まる事の出來ない私は、斯うして奥さんと御孃さんに詫びなければゐられなくなつたのだと思つて下さい。つまり私の自然が平生の私を出し拔いてふら/\と懺悔の口を開かしたのです。奥さんがそんな深い意味に、私の言葉を解釋しなかつたのは私にとつて幸ひでした。蒼い顏をしながら、「不慮の出來事なら仕方がないぢやありませんか」と慰さめるやうに云つて吳れました』ここで実は先生は、たった一度だけの、真相を洗い浚い述べて奥さんと御嬢さんの前に謝罪しようとする機会が与えられていた。いや、先生自身も実は無意識ながら「Kに詫まる事の出來ない私は、斯うして奥さんと御孃さんに詫びなければゐられなくなつたのだと思つて下さい。つまり私の自然が平生の私を出し拔いてふら/\と懺悔の口を開かした」とさえ言っている。ところが「幸い」(?)にも奥さんは深い意味に解釈しなかったために、懺悔は懺悔とならず、先生の真実の口は、この遺書に開示されるまで、閉じられてしまったのであった。――しかし……これは本当に「幸い」であったのか? それは逆に不幸なことではなかったのか?……
更に言えば……
★本当に奥さんは何も分からなかったのだろうか?
――否、である――
○奥さんは何かも電光のように諒解していた――この瞬間に、理窟ではなく『全てを直感して』その全状況を即座に理解した
のだと私は確信している。
……しかし……
○奥さんは敢えて「そんな深い意味に、私の言葉を解釋し」ようとすることを拒絶した
のである。
○そして「そんな深い意味に、私の言葉を解釋しなかつた」ように振る舞い、「私にとつて幸ひでした」というように先生に思わせることが、自分の娘と自分の将来とを考えた際、最良の選択であることを閃光のように理解した
のである。だからこそ、奥さんは
○『「不慮の出來事なら仕方がないぢやありませんか」と慰さめるやうに云』うことで、それ以上の先生の発声を封じた――禁じた
のではなかったか?!
――何れにせよ、正に、この以上の『奥さんの対応』によって――
●Kに謝罪出来なかった先生は、ダメ押しとして永遠に公的に謝罪と懺悔と許しを乞うべき公的機会を完全に失った
のであった。]
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