僕が芥川龍之介の岩波版旧全集に拘る理由
僕が芥川龍之介のテクストについて、岩波版旧全集に拘ること、ひいては戦前作家に正字正仮名(どうも旧字歴史的仮名遣という語は差別的で厭な感じがする)を原則とすること、芥川に限らず多くの総ルビ作品をパラルビにしている理由について少し述べておきたい。
正字正仮名の方は到って簡単明瞭な正統的理由である。それが芥川龍之介を始めとする戦前作家自身の書いた原稿により近いからであり、当時の読者が初めて眼にしたものに他ならないからである。また、正字の画数の多い複雑でより絵画的な文字列の印象が、意味や表現の伝達の違いとなって致命的に現れるという考え方を僕がとっているからでもある。また、それが作者の創造の過程のイメージのプロトタイプであるという考え方を僕はするからでもある。戦後直後の作品を含む「やぶちゃん版鈴木しづ子句集」で、聊か牽強付会と思われるのを覚悟しながらも恣意的な正字変更を行ったのも、そうした理由からである(以下の僕のブログを参照されたい)。僕の授業を受けた諸君は、僕が「うつ病」と「鬱病」とを板書し、その病症印象の決定的違いを言い、更にこんな話をしたのを思い出される方もあろう。――かの江戸川乱歩の素敵な猟奇作「蟲」について、高木彬光氏が中学生の時に読んで、『背筋に悪寒が来て本をとじ、その後はもう読めなくなったことをおぼえている。正直なところ、その結末は人に読んでもらって話を聞いただけだった』というエピソードだ。高木氏は更に書く。『あのときの記憶によれば、この「虫」はこういう略字ではなく「蟲」という本字が使われていたはずである。二十四字もこの文字が続いた日には、その効果は決して三倍ではとどまらない。活字による視覚に訴える恐怖の効果がこれほどすさまじくあらわれた例は、私は長じてからもほかに類例を知らないのだ。』と述懐されている(昭和50(1975)年刊の角川文庫版江戸川乱歩作品集「魔術師」解説より引用)。という体験を僕らはしたことがあるだろうか? 実際に見てみよう――
「蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲」
彼の白い腦髓の襞を、無數の群蟲がウヂヤウヂヤと這ひ廻つた。あらゆるものを啖ひつくす、それらの微生物の、ムチムチといふ咀嚼の音が、耳鳴りのやうに鳴り渡つた。
の文字列と、
「虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫」
彼の白い脳髄の襞を、無数の群虫がウジャウジャと這い廻った。あらゆるものを啖いつくす、それらの微生物の、ムチムチという咀嚼の音が、耳鳴りのように鳴り渡った。
の如何にもな文字列の、陳腐にして『無氣味さの無さ』は歴然としているではないか(但し、前者は後者の当該角川文庫の原文を僕が恣意的に正字正仮名に代えたものであって、原本に当たったのではないことはお断りしておく。因みに、芥川龍之介は「蟲」の使用例がそれほど高くない。略字(後の新字)の「虫」の使用例が圧倒的に目に付く。実は高い確率で生理的に犬同様、芥川龍之介は「蟲」の字嫌いであったものと僕は睨んでいるのだ)。【追記:2017年3月21日に江戸川亂歩「蟲」の正字正仮名版附やぶちゃん亂歩風マニアック注を公開した。どうぞ、ご覧あれかし!】
一方、総ルビをパラルビにしている理由は、一つには極めて現実的な理由がまずはある。僕のHPビルダーでは、ルビ振りが煩雑であり、実際に極めて面倒臭い(程度にしか僕がそのソフトを使いこなしていないということでもあるが)。さらに上手く振れてもブラウザの文字サイズの変更によってはルビ位置が大きくずれたり、青空文庫版テクストでも見られるように、ルビがある行とない行の行幅が見るからに異なり、これがまた如何にも、僕にとってはとっても気持ちが悪いのである。かと言って後部の括弧による読みの表示は、ブラウザ上は甚だ五月蠅く感じられ、原則、僕のHPにあって総ルビ(厳密には総読み括弧書きによる振り)というのは、初期に作製した國木田獨歩の「忘れえぬ人々」や、芥川龍之介の「奉教人の死」の原典Michael Steichen(斯定筌)著「聖人傳」の「聖マリナ」といった資料的厳密性を第一とするもの以外では行っていない(但し、多くの縦書リーダー等では後付け丸括弧表示の読みをルビに自動変換してくれるものも多いので、リーダー・ソフトで読むことに慣れている方には僕はそれほど読みにくいものではないとは思っている)。従って朗読を小説の命と考えている僕としては、読みの振れるもの、迷うものに限って振るという仕儀をポリシーとしているという訳である。
さらにもっと重大な点は、泉鏡花のように確信犯として作者が原稿にルビを振る場合を除いて(僕が泉鏡花のテクストに手をつけるのを躊躇しているのは「鏡花花鏡」という美事なサイトがあることに加えて、彼の場合は総ルビを再現することが逆に至上命令だからである)、芥川龍之介などの作家の多くのルビは、『作者の作品の一部とは言えない』と考えるからである。
実はこれについては、僕自身溜飲の下がる思いがした文章に出逢ったことがある。
堀辰雄の芥川龍之介全集編集時のエピソードを以前、皮肉にもあの忌まわしき新字体採用の岩波版新全集――尚且つ、この全集のルビは編者によって勝手に追加されている――の月報の中に発見した時のことである。
2007年9月の第九巻月報6に所収する十重田裕一(とえだひろかず)氏の「堀辰雄、芥川全集を編纂する」がそれである。
その記載によれば、芥川龍之介を師と仰いだ堀辰堆は、芥川龍之介全集の元版と呼ばれる死後すぐに企画された第一回目の岩波版全集(1927~1929)と普及版と呼称される同社刊行の二度目の全集(1934~1935)の編纂に関わったが、普及版全集については、その書簡等で『たびたび言及しており、彼の編纂に関する考えを垣間見ることができる』とされ、それは例えば『ともに編纂に携わった葛巻義敏に宛てた、一九三四年八月十八日の二通の書簡からうかがえる。この二通の書簡で主な話題となっているのは、全集収録本文のルビについてである。一通目の葛巻義敏宛書簡では「ルビ無し」の全集を刊行することを主張しながらも、追伸では、普及版『漱石全集』(岩波書店、一九二八-二九年)に準じて、「小説ルビ附、その他ルビ無」という妥協案へと考えが傾いている。同一書簡のなかで、堀の考えが揺らいでいることがうかがえる』のであるが、『同日の夕方に投函された二通日の葛巻宛書簡では、たとえ読者を限定することになっても、ルビを付けないことが望ましいと、堀は強く主張するようになる。発行部数に具体的に触れつつ、堀は次のように記しているのである』として、以下、堀辰雄の書簡を引用されている。なお、この孫引き引用については、「僕のポリシー」に則り、恣意的に一部を正字に変換させて頂くこととする。
いろいろ岩波の方の意向もお訊きして、「ルビ無し」説を貫徹するやう返電して置いた。岩波の讀者層、芥川さんの讀者層、兩者を並せて考へるに、賣行がルビの有無によつて、さほど影響するものとは考へられない。ルビがなくとも、五千乃至七、八千位は確實に賣れん。(一万、二万と賣らうといふのでない以上は。)かへつて最初からルビなしでくつついてくる讀者の方が確實ならんかと思ふ。大体、總ルビ附は、芥川さん自身がつけたものならいざ知らず、多くは後人の附したるもの。甚だ不自然なるが多い。(ことに漢詩、外國語につけたりするのは無理。)そんな間違つたものを、後世に殘して置くより、自然の儘に原文を保存しておいた方が數等優ると信ず。[やぶちゃん注:「並」には引用元では右に『(ママ)』表記が附く。「并」である。]
更に続けて十重田氏は『この書簡の末尾に、「断然ルビ無しの方がよいと考へるに到つた」ともあり、一日のあいだに、堀の考えが明確になっていく様子がうかがえる。また、「ルビ無し」の本文にこだわった理由や、全集本文に対する堀の考え方が表れている。堀が理想としていたのは、芥川の遺した自筆稿に基づく本文であり、したがって、編集段階でルビの付された総ルビの本文については懐疑的であった。たとえ読者が限定されることになっても、芥川の自筆稿に基づき、つとめて正確に本文を校訂して後世に残すことを堀は重視していたのである』と記されている(但し、実際には普及版全集においては、結局、この「ルビ無し」は採用されなかった)。
このルビの問題は、今回、僕が漱石の「心」の『朝日新聞』初出版をテクスト化(「こゝろ」「上 先生と私」パート初出・「中 兩親と私」パート初出・「下 先生と遺書」パート初出)した過程に於いても、その余りのいい加減さに、怒りを通り越して苦笑する他ないまでの惨状を見てきたから痛い程よく分かるのである(しかし、それが日本人が初めて「心」=「こゝろ」を体験した最初であるという点を主眼としているため、当該テクストはミス部分を殊更に表示したように見える、一見奇妙なテクストとなっているのであるが)。
僕は堀辰雄の考え方に強く共感するものである。
僕はいつか、芥川の作品がひらがなだらけになって、芥川だって漢字、知らないんじゃん、とか軽く言われながら若者に読まれるようになるのが、少しばかり――いや、大いに淋しい。それは芥川に限らず、日本文学そのものが、真に理解されることどころか、真に読まれることもなくなり、そもそも読むことさえ出来なくなるという、文学的末法の世でもあるような気がするのである。
十重田氏はこの小論の最後を、こう締め括られている。
『文芸ジャーナリズムの商業主義を十分に視野におさめながら、その状況下で、堀は自分の理想とする編集物をつくろうとしていたのだが、普及版全集の編纂においても、その理念が表れていたと考えられる。堀は、文学の読者層が広がり、本が大量生産・大量消費されてゆく時代の趨勢を意識しながらも、これに迎合することなく、師の文業を後世に正確に伝えうる定本全集を編纂して世に問おうとしたのである。』
この文章は勿論、自筆原稿を底本とした、この月報が挟まれる岩波版新全集への賛辞としてあるのであろうが、僕には逆に、新字体を採用してしまったこの全集の編集方針への、如何にもな皮肉にさえ聞こえるのである。
僕はこのIT時代にこそ、この堀のポリシーは復活するべきであると思うのである。パブリック・ドメインとなった芥川龍之介の作品を、芥川が疑義を抱いた資本主義社会の生産消費システムや商業主義から、真に解き放ち、あるべき姿の原型を復権させることが、僕ら、誰にでも可能なのだ。僕は非力にして不肖ながら、そのような芥川の遠き弟子の一人として、僕自身のオリジナルな芥川龍之介の電子テクストを公開し続けたいと不遜にも密かに思っている一人なのである。――
【2010年10月23日追記】
何より、芥川龍之介自身が僕の気持ちを正当と評して呉れる自信が、僕にはある。例えば、今日公開したこの、芥川龍之介の「文部省の假名遣改定案について(初出形)」をお読み頂きたい。これは仮名遣の問題であるが、それがはっきりと僕の上記の思いに通底していることは火を見るよりも明らかであるからだ。