耳嚢 巻之三 奇物を得て富みし事
「耳嚢 巻之三」に「奇物を得て富みし事」を収載した。
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奇物を得て富し事
予が知れる與力に角田(すみた)何某といへる人あり。加賀屋敷邊に有て身上(しんしやう)もよろしく暮しけるが、右角田と親しき山中某語りけるは、右の角田の家には不思議の事あり。彼親は至て放蕩にて金錢を遣ひ捨て不如意也しが、或日小日向櫻木町といへる古道具屋にて小さき長持を調しが、其作りも丈夫にて格好よりは遙に重き長持也しを、纔に金子百疋にて調へ、家來を差越(さしこし)て我家へ引とりぬ。然るに内の紙はりなども破れ損じ候處もありし故、引放し取繕んとせしが、餘りに底の厚き故鐵鎚などにてたゝき抔せしに、二重底の樣にも見へし故こじ放して板をとりけるに、底を二重にして右板の間に古金(こきん)をひしと並べ置たり。驚き悦て改めけるに數百兩を得し故、彼者も夫より節を改め日増に富貴に成しとかや。今に彼長持は角田の家寶として有りし由也。
□やぶちゃん注
○前項連関:後家に取り付いて大出世、古物の長持から百両の瓢箪から駒連関。放蕩不羈でも連関する。岩波版の長谷川氏注には『宝永(一七〇四―)以後の小説・講談などに類話多し。』とある。
・「與力」諸奉行等に属し、治安維持と司法に関わった、現在の警察署長に相当する職名。
・「角田何某」「山中某」ともに不詳。前者は「つのだ」か「すみだ」かも分からぬ。
・「加賀屋敷」加賀金沢藩前田家上屋敷は現在の本郷七丁目の東京大学本郷キャンパスの殆んどの部分を占めていた(北の現在の農学部のある場所は水戸藩中屋敷)。
・「小日向櫻木町」江戸切絵図で確認すると、護国寺門前から南東に延びる音羽通りが江戸橋にぶつかる手前の左右の音羽町九町目の外側の地域をそれぞれ同名の「櫻木町」と呼んでいる。一種の飛び地か、若しくは江戸橋の手前の細い敷地で繋がっていたものか。
■やぶちゃん現代語訳
奇物を得て富貴になった事
私が知っている与力に角田某という御人がおる。加賀屋敷辺に屋敷を持ち、相応に裕福に暮らして御座るが、この角田と親しい山中某が、この角田家に纏わる話を聞かせて呉れた。
「……この角田の家には不思議なことが御座いましてな。……彼の親は、失礼乍ら至って放蕩不羈にして、金銭を湯水のように遣い果たして……遂には痛く困窮するように成り果てたと言います。……
……さてもある日のこと――彼――彼の父親が、金もないのに道楽で小日向桜木町辺りにあったという古道具屋にて小さな長持を買(こ)うたので御座いましたが、これまた、造作も頗る頑丈、見た目よりも、これがまた遙かに重い。……それを、まあ、何と僅か金子十疋にて買い入れ、家来に命じて我が家へと引き取ったので御座います。……
ところが、いざ、品を改めてみますると、内張りの紙なんども無惨に破れて御座ったれば、もう、みな引き剥がして張り直し繕わんと致しましたところが、……ふと見ると、これ、余りにも底が厚い。……不審に思うて、鉄槌なんどでがんがん叩いてみましたところが、……これが……どうも二重底のように見える……更に、がんがんやらかして、遂に内側の底の部分をこじ開けてみましたところが、……底板を取る……と、案の定、二重底にて……そこに……何と古びた金貨が、これまたびっしり! と並んで御座ったので御座います……驚きもし、悦びもし……改めてみましたところが、金数百両!……これを得てより――彼――彼の父は節を改め、日増しに富貴に成った、とかいうことにて……今に至るまで、この長持は角田家の御家宝として御座る、とのことで御座いまする……。」
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