耳嚢 巻之三 鬼神を信じ藥劑を捨る迷の事
「耳嚢 巻之三」に「鬼神を信じ藥劑を捨る迷の事」を収載した。
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鬼神を信じ藥劑を捨る迷の事
眞言宗日蓮宗の僧侶、專ら祈禱をなして人の病勞を治せん事を受合ひ、甚しきに至りては藥を呑ては佛神の加護なし、祈禱の内は藥を禁じ、護符神水抔用ひ可申と教示する族あり。愚民鬼女子の信仰渇仰する者に至りては、其教を守り既に死んとするの病父母子弟にも藥を與へざるあり。かゝる愚成事や有べき。旦(かつ)僧山伏の類ひも、己が法力の靈驗いちじるきを知らせんが爲か、又は物は一途になくては成就なさゞるとの心哉、又は其身釋門に入て書籍をも覗きながら愚昧なるゆへや、人の命をかく輙(たやす)く心得取あつかひける存念こそ不審なれ。かゝる輩いかで天誅をまぬがれんや。實におかしき事のありしは、予が知れる富家に山本某といへる者、中年過て大病也しが、四ツ谷邊の祈禱僧の功驗いちじるきと聞て相招きければ、其病躰を見て隨分快氣疑ひなし、我等一七日(ひとなぬか)祈なば結願の日には枕もあがらんといと安々と請合し故、家族の喜び大かたならず、大造(たいそう)の祈禱料に日々の初尾(はつを)散物(さんもつ)其外音信(いんしん)數を盡しぬるに、日毎に快驗疑ひなしと申けるに、七日に當りける日、俄に急症出て彼病人はかなく成ければ、妻子の歎き大かたならず、かゝる所へ彼僧來りて、いかゞ快哉と尋ければ、家内の者も腹の立餘り、御祈禱のしるしもなく身まかりし抔等閑(なほざり)に答へければ、彼僧更に不審成躰にて、さあるべき事にあらずとて、病床に至り得(とく)と樣子を見て、曾てかゝる事有べきにあらずと、猶讀經などして妻子に向ひ申けるは、猶暫く差置給へ、決(けつし)て蘇生あるべきなり、もし定業遁がれがたく病死にもあらば、未來往生極樂善處に至らん事は疑なしと言しとかや。
□やぶちゃん注
○前項連関:特に連関を感じさせない。ゴリ押しで示すなら、「冥加の恐しさ」(こちらは神仏に冥加はないのであるが)で関連か。神道好き仏道嫌い(特に日蓮宗は不倶戴天)の根岸流宗教批判譚シリーズの一。
・「四ツ谷」現在の新宿区南東部(凡そ市ヶ谷・四谷・信濃町等のJRの駅に囲まれた一帯)に位置する地名。時代によっては江戸城外堀以西の郊外をも含む内藤新宿・大久保・柏木・中野辺りまで拡充した地名でもあった。
・「輙(たやす)く」は底本のルビ。
・「大造(たいそう)」は底本のルビ。
・「初尾」初穂(はつほ)。通常は、その年最初に収穫して神仏や朝廷に差し出す穀物等の農作物及びその代わりとする金銭を言う。ここでは所謂、日々の診断料相当の費用を言うのであろう。室町期以降は「はつお」とも発音し、「初尾」の字も当てた。
・「散物」賽銭や供物。散銭。
・「音信」音信物。進物のこと。
・「得(とく)と」は底本のルビ。
■やぶちゃん現代語訳
鬼神を信じ薬剤を捨てるなんどという迷妄の事
真言宗や日蓮宗の僧侶は、専ら祈禱をなして人の病苦を癒さんことを公然と請け合い、甚だしきに至っては、
――薬なんどを飲んでおっては神仏の冥加は到底得られぬ。祈禱を受けて療治するからには、薬を禁じ、護符・神水などを用いねばならぬ――
なんどと教示する輩までおる。愚かな民草や婦女子のうちでも、特に信心篤く渇仰(かつごう)して御座る者に至っては、そうした理不尽なる教えを頑なに守り、今にも死にそうな病んだ父母子弟にさえ薬を与えない者がおる。このような愚かなることがあって良いものか?! 全く以って誤りである!
尚且つ、僧侶や山伏の類いも――はたまた、己の法力の霊験が著しくあること知らしめんがためか――はたまた、願(がん)というものは一途な心なしには成就致さぬという真理を悟らせんがためか――はたまた、その身は仏門に入り、書籍をも相応に覗き見乍らも、結局、智として身に附かずして愚昧のままなるためか、人の命を、かく軽んじて取り扱うという存念は、これ、甚だしく不審である! かかる輩が、どうして天誅を免れんということがあろうか!
ここにとんでもない――話としては不敬乍ら――面白い話が御座る。
私の知る人がりの富豪に山本某という者、中年過ぎてから大病を患い、四谷辺の祈禱僧で、功験著しいという噂の、怪しげなる輩を招いてその病状を見て貰ったところ、
「いや! かかる程のものなれば、快気間違いなし! 我ら、一週日、七日間祈らば、結願の日には、床上げ、これ間違いなし!」
と如何にもた易きことの如、安請け合い致いた故、家族の喜び方も並大抵のものではなく、さすればこそ大層な額の祈禱料に加えて、日々の初穂や賽銭その他進物にも手を尽くした。
――ところが――
「日に日に快気致すこと疑いなし」との祈禱僧の言葉とは裏腹に、祈禱を始めて丁度七日目に当たる日、俄かに病状が急変、山本某はこの世を去って仕舞(しも)うた。
妻子の嘆きも、これ、並大抵のものではない。
そこへまた、かの僧がやって来た。
「如何で御座る? 快気致いたか?」
と訊いてきたので、家内の者ども、腸が煮えくり返る思いのあまり、
「……御祈禱の効験、これなく……たった今身罷ったばかり……」
と恨みを含んで、吐き捨てるように答えた。
すると僧は、あろうことか未だに解せぬという表情をして、
「さても? そのようなこと、あろうはずがない。」
と、既に逝去した山本の遺骸の枕頭に赴き、一目瞭然の死骸を見つつ、なおも、
「かつてかくなるためしもなく、かかるためしがあるべきものにても、これ、御座らぬ!」
などと平然と言い放ち、読経なんどをした上、嘆き悲しんで御座った妻子の方へ向き直ると、次のように告げた。
「今暫くこのままにして置かれるよい! いや、必ずや蘇生致す! しかしもし、万が一にも定業(じょうごう)遁れがたく、このまま蘇生叶わず病死致いた、ということになったとしてもじゃ、未来往生極楽善処に至らんことは、これ、間違いなし、じゃて!」
と。
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