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2010/08/19

耳嚢 巻之三 老僕盜賊を殺す事

「耳嚢 巻之三」に「老僕盜賊を殺す事」を収載した。

 老僕盜賊を殺す事

 下谷どぶ店(だな)といへる處に華藏院と言へる寺ありしが、彼寺へ盜賊入りしを、寺に久敷仕へける老僕見附て、盜賊と呼(よば)はりしを、右盜賊むずと組で、もとより老人なれば何の事もなく取て押へ手拭を口へ押込けるが、其儘に盜賊悶絶して死し居たり。何か物音に驚きて外々の人も燈火などして見ければ、いかにも大兵(たいひやう)の男、彼老夫を押へ踏跨(ふみまたがり)て死し故、早々老夫を引起し見しに、取組で押へられし節、兩手を以盜賊の陰嚢を強く〆て始終放(はなさ)ざりし故、盜賊ついに命を失ひしと也。

□やぶちゃん注

○前項連関:特に連関を感じさせないが、正に「秘策中の秘策」という点では通ずるとも言えるか。

・「下谷どぶ店といへる處に華藏院と言へる寺あり」嘉永年間(18481853)に作成された尾張屋金鱗堂板江戸切絵図を見ると、下谷七軒町の「酒井大學頭」の屋敷の西隣に「華藏院」とある。南側に門前町と記してあり、小さいが相応の寺格であったことが窺われる。この寺はやや移転して台東区元浅草1丁目に現存する。天台宗東京教区の記載よれば、正式には天台宗寳光山影現寺華蔵院と呼称する(現在通称は善光寺東京別院)。創建は慶長16 (1611)年である。『華蔵院は下町浅草の永住町という所にあります。 現在は町名変更により元浅草と改称されましたがその前は七軒町にありました。七軒町は華蔵院門前七軒町と呼ばれ、 寺の前に町家七軒があったので、 この名ができたといわれています。 関東大震災後の昭和2年の区画整理で移転され、 現在は、 白鴎高校正門前に位置しています』。『寺の歴史は古く、慶長16年、 権大僧都傳長法印の中興開基と伝えられています。 江戸時代の民間信仰の霊場として広く知られていました。後に東叡山寛永寺の塔頭 (末寺) に編入され、 寛永寺住職の隠居寺となったようです』とある。元の位置は現在の元浅草1丁目の春日通りと新清洲橋通りの交差点の東北の角、ヒサヤ大黒堂が所在する辺りと思しく、底本の鈴木氏注によると、現在の台東区元浅草3丁目内に位置した「下谷どぶ店」とはずれることが指摘されている。なお、鈴木氏注ではこの「どぶ店」の解説が詳しく、『意味は泥溝。山崎美成の『海録』に巻三に「今浅草に土婦店といふ所あり、此所古くは新地といへり。その比は今の和泉橋通大寒屋鋪ちいへる所を、土婦店といひし也。又南畝翁云、文政四、「旧記に、土婦店を酴醿店とかけり、此字おもしろし」といはれたりき。」酴醿は、重ねて醸した酒、また滓を取らぬ麦酒と辞書にある。溝や水溜りからブツブツとメタンガスなど出ていようという水はけの悪い低湿地の形容として似合わしいという意見であろう。』と、面白い注を施されている。「酴醿」は「とび」と読む。これぞ、あるべき注の真骨頂!

・「陰嚢を強く〆て始終放ざりし故、盜賊ついに命を失ひし」とある。実際に睾丸を握り潰して人を殺すことが可能かどうか、不学にして確信出来なかったが、まさかと思いきやウィキに「金玉潰し」という項が存在した。無関係な部分にかなり性的な内容を含む記載なので、特例としてリンクを避けることを御赦し頂きたい。その「機能喪失」の項に以下のようにある『睾丸の機能を潰すことを目的で行われる行為は、大部分が拷問や私刑の一環として古くから行われてきた、相手に対する暴力行為である。強靭な握力で握り潰す場合もあるが、大抵は万力などを始めとする道具を用いて物理的に睾丸を潰してしまうことが多く、そのための専用の道具も存在する。平均的な睾丸は、5060キログラムの圧力がかかると破裂してしまう。これは、成人男性の握力をもってすれば、睾丸を破裂させることはそう難しくないことを示唆する。限界を超える加圧が起こると、睾丸の表面を形作っている強靭な膜、白膜(はくまく)が裂け、睾丸内部に詰まっている精細管などの実質が、その裂け目から陰嚢(金玉袋)の中に飛び散る。白膜が裂けてしまった場合、早急な医療処置をとらなければ、最悪の場合、睾丸を摘出する必要も出てくる』。『睾丸には多くの血管が通っており、睾丸を潰した後には適切な止血措置を行わないと死亡に至ることが多い』。ナットク。

■やぶちゃん現代語訳

 老僕盜賊を殺す事

 浅草六軒町にある、通称下谷どぶ店(だな)という所に華蔵院という寺があったが、この寺へ盗賊が入った。寺に永年仕えておった老僕が見つけて、

「盗っとじゃ!」 

と叫んだのじゃが、盗賊はこの老僕とむんずと組み合い、もとより老人なれば、難なく引き倒してとり押さえ、馬乗りになると、老人の口にぐいと手拭いを押し込んだ。

……ところが……

……盗賊はそのまま……老僕に跨ったままに悶絶して死んでおった……

……何やらん妙な物音に眼を醒ましたその他の者ども、おいおい灯明なんどを点して窺ってみたところが……

……如何にも大兵肥満の大男が……かの老人を押し倒して、その上に馬乗りになったままに……死んでおった……

……そこで早速、老人を引き起して見たところ、取り組んで押えられた際、彼は両手を以って盜賊の陰嚢を思いっきり、ぎゅ~うっと摑んで始終放さなかったために……盜賊、遂には金玉が潰れ、惨めなる死にを致いたので御座ったよ。……

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