耳嚢 巻之三 天作其理を極し事
「耳嚢 巻之三」に「天作其理を極し事」を収載した。
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天作其理を極し事
佐渡の國は牛馬猫犬鼠の類の外獸物なし。田作を荒すべき猪鹿もなく、人を犯し害をなせる狐狼の類(たぐひ)もなければ、庶民も其愁ひをまぬがれぬ。しかるに金銀山の稼(かせぎ)有故鞴(ふいご)は夥しく遣ふ事なるに、鞴には狸の皮なくては成がたし。しかるに外獸物はなけれ共佐州に狸計(ばかり)はある也。古へおふやけより命ありて放し給ふとも言へども、左あるべき事にもあらず、自然と狸はありて其國用を辨じけるも又天の命令の然る所ならんか。
□やぶちゃん注
○前項連関:佐渡狸(佐渡ではムジナと呼称することが多い)奇譚連関。前項でも引用した佐渡在住のlllo氏の『佐渡ヶ島がっちゃへご「ガシマ」: 佐渡の伝説』は必読。氏の記載に依れば、根岸が否定しているのに対して、佐渡には元来、タヌキもキツネも棲息しなかったが、慶長6(1601)年に佐渡奉行となった大久保石見守が金山で使用する鞴(ふいご)の革素材にするためタヌキを移入したのが始まりであるとある。
・「鞴(ふいご)」は底本のルビ。吹子。「吹革」(ふきがわ)が「ふいごう」となり、それが転訛した語。金属の精錬や加工に用いる火をおこすための送風器。古くは獣皮を縫い合わせた革袋が用いられた。足で踏む大型のものは特に踏鞴(たたら)と呼ぶ。
■やぶちゃん現代語訳
天工はその理を窮めてあらせられるという事
佐渡国には牛・馬・猫・犬・鼠の外には獣の類いはおらぬ。田畑を荒らすところの猪や鹿もおらず、人を欺き害をなす狐や狼もおらぬから、そういう点では庶民もいらぬ心配をせずに済んでおる。
ところが金山銀山の精錬をこととする故、鞴(ふいご)は夥しく用いねばならぬこととなっておるが、鞴は狸の皮でなくしては作ること、これ、難しい。しかるに今述べた通り、佐渡にはこれといった特殊な動物はおらぬのにも拘わらず、狸だけは、おるのである。これについては、昔、御公儀より鞴御用の向きにつき御命令があって、狸をお放ちになられた由、言われては御座るが、まさかそんなことがあったとも思えぬ。
むしろ、古(いにしえ)より自ずから狸はここ佐渡におって、その国がゆくゆく必要とすることになるものを賄(まかの)うようになって御座ったは、既に已に天が元より、天が玄妙なる配剤をなさっておられたという証しでは御座らぬか。