耳嚢 巻之三 生れ得て惡業なす者の事
「耳嚢 巻之三」に「生れ得て惡業なす者の事」を収載した。
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生れ得て惡業なす者の事
神田邊に裏借屋の者有しが、彼悴十歳計(ばかり)の此(ころ)遊びに出て歸りけるが、流しの下の地を掘り何か埋る躰(てい)也。母是を見ていか成品やとひそかに見しに錢也。其後亦々埋る躰故見たりしに、錢百文計を埋置ぬ。これに依て捕候て嚴敷(きびしく)折檻なしけるより、小兒の事なれば其手意(しゆい)もわからず、重(かさね)てかゝる事あらば其通りならずと、或は怒り或は悲しみて是を制しぬれば、暫くは止(やみた)る樣なれど亦々右やうの事あり。十四五歳に成ては彌々つのりて詮方なく追出しぬれば、晝盜(すり)の仲間入して果は御仕置に成しと也。孟子の性善の論、誠に名教と思ひ居しに、予がしれる人の子に、聰明にして手蹟は關思恭(せきしきやう)が門に入て同門に異童の名をあげ、書を讀むに一を聞て二を悟る程にありしが、盜みの癖有りて壯年に及び兩親も捨置がたく、一子を勘當なしけるをまのあたり覺へたり。其の氣質のうけたる所多くの人間の内には又ある事にや。
□やぶちゃん注
○前項連関:犯罪者絡みで連関。先行する身を持ち崩す若者のケース・スタディの一つでもある。特に後半の一件は根岸の直接体験過去として苦く記されている点、印象的である。
・「手意」底本では右に『(趣意)』と注する。
・「關思恭」関思恭(せきしきょう 元禄10(1697)年~明和2(1766)年)は書家。以下、ウィキの「関思恭」より引用する。『字を子肅、鳳岡と号し他に墨指生と称した。通称は源内。本姓は伊藤氏。水戸の人』。『先祖は武田信玄の家臣とされ、曽祖父の伊藤友玄の代になって水戸藩に仕え祖父の友近もやはり水戸藩に仕官。しかし父の伊藤祐宗(号は道祐)は生涯仕官していない。思恭はこの父と母(戸張氏)の第四子として水戸に生まれ故あって関氏を名乗る。幼少から筆や硯を遊具の代わりとするほど書を好んだ。16歳のとき江戸に出て、細井広沢にその才能を見いだされ入門。その筆法は極めて優れ、たちまち広沢門下の第一となった。広沢が思恭に代書させるに及んでその評判は高まった。因みに浅草待乳山の歓喜天の堂に掲げられる『金龍山』の扁額は広沢の落款印があるものの思恭が代筆したものである』。『経学を太宰春台に就いて学び、詩文は天門から受けた。また射術に優れた。27歳で文学を以て土浦藩に仕え禄を得た。広沢没後、三井親和と並称されその評判はますます高まり門弟およそ5千人を擁したという。40歳で妻帯し3女をもうける。60歳頃より神経痛を患い歩行が困難となり家族に介護されるもその運筆は衰えなかった。享年69。江戸小石川称名寺に葬られる。門人に関口忠貞がいる。娘婿の其寧が跡を継ぎ、孫の克明、曾孫の思亮、いずれも書家として名声を得た』。『宋の婁機『漢隷字源』を開版している』。
■やぶちゃん現代語訳
生まれ乍ら悪行を為すことを定められし者の事
神田辺の裏通りの貸家に住んでおる者があった。
彼の倅(せがれ)が、未だ十歳ばかりの頃、遊びに出て帰って来たところ、厨の流しの下の地面を掘って、何やらん、埋めている様子。母親がこれを見、一体、何を埋めているのだろうとそっと覗いてみると――銭である。
その後も度々埋めている様子であったので、ある時、掘り返してみたところが――銭百文ほども埋めてある。
このことから父母、倅を捕まえ、厳しく折檻致いたのじゃが、何せ子供のことなれば、叱られている理由(わけ)が、そもそも、よく分からぬ。
「……ともかくも、じゃ! またこんなことがあったら、の! こんなこっちゃ、済まんから、の!……」
と或いは怒り、或いは情けなさに泣きながら、向後かくなること厳しく禁ずる旨、言い含めおくと、暫くの間は止んでいる……が……また暫くすると、また同じことを繰り返し、父母も同じように折檻する……という繰り返し……
……結局、十四、五歳のいっぱしの大きさになって仕舞えば、いよいよ言うことも聞かず手に負えなくなって、詮方なく家から追い出したところが……瞬く内に掏摸の仲間入り、罪を重ね重ねて……果ては捕縛され、処刑されたとのことである。……
――私はかねてより、孟子の性善説について、これは誠に優れた教えである、と思って御座ったのじゃが――
……私の知人の子に、誠(まっこと)、聡明にして、その手跡なんどはかの名筆関思恭(せきしりょう)の五千人の門人の中にあっても、なお一人『異童』の名を恣(ほしいまま)にし、書を読めば、一を聞いて二を悟るほどの神童で御座った……が……この者……盗みの癖があって……その悪癖、いっかな、壮年に成りても、これ、治らぬ……流石に両親もその悪習、視て見ぬ振りをしている訳にも参らず……遂には……その一子、勘当せざるを得なくなった。私は、その、実際に縁を切る、その場に目の当たりに居合わせて御座ったのだ……。
――さても――そうした、生来、盗みの気質を持ったる者も――多くの人間の中(うち)には、また、これ、あるものなのであろうか……。