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2010/09/09

耳嚢 巻之三 樹木物によつて光曜ある事

「耳嚢 巻之三」に「樹木物によつて光曜ある事」を収載した。

 樹木物によつて光曜ある事

 本所御船藏(おふなぐら)の後に植木屋多くありし。或日老人壹人一兩僕召連て右樹木店を見歩行せしが、ひとつの古石臺(せきだい)に松の植有しを見て暫し立止り價ひなど聞しに、頻に懇望なる事を見請しゆへ殊の外高料(かうりれう)に答へぬれば、左ありては望なしといひて立去りぬ。又翌日彼老人來りて猶價ひを増して申請たきと好みしが、何分最初の直段(ねだん)にあらずしてはと彌々不賣(うらざる)氣色なしければ、猶亦暫く詠(なが)めて立歸りぬ。かゝる事一兩度ありければ、亭主能々右松を見しに、枝ぶりも面白からず、兼て高科(かうれう)にも賣べきとも思はざる品ゆへ手入も等閑(なほざり)也ければ、哀(あはれ)かの老人の日毎に來りて直増(ねまし)等なすは見る所こそあらめ、景樣(けいやう)をも直さんと石臺をも新らしく美麗に仕直しかの松を植替けるに、右松の根より一ツの蟇(ひき)出ける故、追失ひて跡の松を立派に植置、明日禪門來りなば我(わが)申(まうす)價ひよりも直増して調へ給はんと自讚なしけるに、翌日老人果して來りて、此程の松を見たきとて立入し故、案内して右松を見せけるに、老人大に驚き、いかなればかく植替しや、右松の根より出し物もあるべし、今日の有樣にては一錢にても此松好なしと言て歸りしと、其最寄の老人原某咄しぬ。

□やぶちゃん注

○前項連関:生き物絡みの奇石奇木賞玩で直連関。

・「本所御船藏」浜町公園の向かい、隅田川東岸、現在の江東区新大橋1丁目附近にあった幕府の軍事船艇の保管庫のこと。この附近を別名安宅(あたけ)とも呼称したが、これはその船蔵に、昔、係留されていた大型木造艦の一種「安宅船」(あたけぶね)という軍船の船種名に由来する。明石太郎:珈琲氏のブログ「珈琲ブレイク」の「御船蔵跡 歴史散策 墨東 森下・清澄 (1)」によると、この種の軍艦は戦国時代から江戸時代前期にかけて建造されたものの一つで、『寛永9年(1632)以来、そうした当時の戦艦を係留する場所のひとつがこの地であった。安宅船は、当時としては最大限の工夫をこらして建造した大型戦艦ではあったが、龍骨がなく、構造的に弱さがあり、大きすぎて機動性に欠けて、実は役に立たない船であった。そういうこともあり、半世紀のちの天和2年(1682)ここに係留していた安宅船は解体されることになり、この地は御船蔵跡となった』とある。旧北条氏の所有に係り、伊豆にあったものを、幕府が接収して三崎を経由してここへ運ばれたものであるらしい。この安宅船は船長38間(約65m弱)の巨大戦艦であったが、上記引用にあるように、実に50年もの永きに亙ってここに無為につながれてお払い箱になったわけである。明石氏は最後に『江戸の主要な幹線水路である隅田川が、江戸時代の平和が続くことで、軍事拠点から経済拠点に変遷していった歴史の一部と理解することもできるのである』と印象的な言葉で締め括っておられる。

・「石臺」長方形の浅い木箱の四隅に取っ手を附けたもので、盆景に使用したり、盆栽を植えたりする植木鉢の一種。

・「直増(ねまし)」は底本のルビ。

・「禪門」先の老人。隠居し、法体(ほったい)して僧侶のような身なりをし、禿げていたか、実際に剃髪していたから、かく言うのであろう。

■やぶちゃん現代語訳

 樹木が妖しき『モノ』によって却って不可思議なる光輝を持つことありという事

 本所御船蔵の裏手に植木屋が多くあった。

 ある日のこと、一人の老人が一人の従僕を召し連れてこの連なった植木屋を覗き歩きしておった。

 すると、ある古ぼけた石台(せきだい)に松の植えてあるのを見、暫し立ち止まった後、店主にその値いを訊ねた。

 店主は、その老人が、喉から手が出る程欲しがっておることがはっきりと見てとれたので、とんでもない高値をふっ掛けて答えた。すると老人は、

「……いや、それ程の値にては……とても、手が出ぬわ……」

と言って、如何にも残念な様子で立ち去ったのであった。

 ――ところが翌日のこと、またしても、かの老人が訪ねて参り、

「……そなたの言い値にては、とてものこと乍ら……一つ、昨日よりは払い申そうず値いも、いや増しては御座れば……一つ、売っては下さらぬか……の……」

と切に願って参った。ところが主人は、

「いや! 駄目、駄目! 最初に言うた値段でなけりゃ!」

と、けんもほろろ、いよいよ言い値ちょっきりでなくては売らぬ体(てい)で突っぱねる。

 すると――かの老人はやっぱり、かの松を暫く凝っと眺めて後、帰って行った。

 こうしたことが何度か続いた。

 そこでこの主人、しけじけこの松を眺め乍ら、考えた。

「……枝振りも面白うない……端(はな)っから高値で売れるシロモンとも思っちゃおらんかったから……手入れも等閑(なおざり)にしておったれば……まあ、何とみすぼらしいこと……じゃが!……ほんに!……あの爺(じじい)、日ごと来ては……次から次へと、金を積んで乞うて来る……ちゅうことはじゃ!――どこぞにこれは見所がある――ちゅうことじゃが!……いっちょ、景色を直いてみるかい!」

と思い立つったら、江戸っ子――即座に新しい美麗なる石台を用意し、懇ろに植え替えた。

――と、古い石台から松を抜いたところが、その根方の底より――きびの悪い、一匹の年経た蟇蛙が――のっそり――這い出てきた。――

早々に川っ縁(ぷち)へと追い払い、首尾よく立派に松を凛々しく植え替えて御座った――そうして、

「……明日(あした)、あの坊主が来たら……へっへ! 儂が最初に言うた値段よりも……自ずと値を重ねて……お買い上げ戴ける、っちゅうもんよ!……てへっへっへ!!」

と、新たな盆景を前に自画自賛しておった。

 翌日、果たしてあの老人がやって来ると、再び、

「……また、あの松を見とう御座って、の……」

と、いつもの聊か狂気染みた、あの垂涎の眼(まなこ)にて店に入って来た。

 主人は意気揚々と案内して、松を見せた――

 ――と――

「――!!!――」

老人は訳の分からぬ叫び声を挙げて驚いた。

 ――暫く呆然とした後、主人に亡霊の恨み言のように、

「……いかなれば……かくも……植え替えた……この松の……根より出できたる『モノ』が御座ったであろ……いいや、何を言うても……最早……終わりじゃ……今日の……この……こんなモンに……ビタ一銭たりとも……払、え、る、カ、イ!!!……」

と吐き捨てて帰った。――

 ――――――

……と、その近辺に住んで御座った老人の原某が、私に語ったことで御座る。

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