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2010/09/14

耳嚢 巻之三 擬物志を失ひし事

「耳嚢 巻之三」に「擬物志を失ひし事」を収載した。

 擬物志を失ひし事

 近年菓子或は油揚の類ひに魚物(ぎよぶつ)をまのあたり似せて實に其品と思ふ程の工(たく)みあり。さる寺院にて旦那成(なる)諸侯の法會有りて參詣の折柄、右の菓子差出しけるに、魚物に似寄たる故や手を付られざりしを、あるじの法師夫は魚味にては無之、近年拵へ出し候菓子也とありければ、彼諸侯申けるは、出家はしらず、俗人は強て先祖の忌日也とて魚味を禁ずべきにあらず、さあれ共國俗すべて精進に魚物等を忌みぬるは愼みならん。我等も先祖の法會なれば退夜(たいや)より精進潔齋して、諸事心の穢れをも禁(いま)しめ參詣なせし也。然るに魚物を食する事ならずとて、其形をなせし物を用んは、心の穢れ魚物を用んよりは増るべし、難心得饗應なりとて座を破り立歸り給ひしと也。彼僧は赤面なしてありしが、其後ひたすらの歸依もなかりし由。右は松平右近將監(しやうげん)とも堀田相模守執事の時共いひし。しかとわからざりしが心得あるべき事と爰に記しぬ。

□やぶちゃん注

○前項連関:特に連関を感じさせない。

・「退夜」「逮夜」のこと。仏教で葬儀の前夜や忌日の前夜を言う語。

・「禁(いま)しめ」は底本のルビ。

・「松平右近將監」松平武元(たけちか 正徳3(1714)年~安永8(1779)年)。上野国館林藩第3代藩主・陸奥国棚倉藩藩主・上野国館林藩初代藩主(再封による)。奏者番・寺社奉行・老中。宝暦111761)に先の老中首座堀田正亮の在職死去を受けて老中首座となった。参照したウィキの「松平武元」によれば、『明和元年(1764年)老中首座。徳川吉宗、徳川家重、徳川家治の三代に仕え、家治からは「西丸下の爺」と呼ばれ信頼された。老中在任時後半期は田沼意次と協力関係にあった。老中首座は安永8年(1779年)死去までの15年間務めた』とある。卷之一「松平康福公狂歌の事」に登場。

・「堀田相模守」堀田正亮(ほったまさすけ 正徳2(1712)年~宝暦11年(1761)年)は出羽国山形藩3代藩藩主・下総国佐倉藩初代藩主。寺社奉行・大坂城代を経て老中。先に記した酒井忠恭の罷免を受けて寛延2(1749)年に老中首座となった。在職中に死去した(以上はウィキの「堀田亮」を参照した)。同じく卷之一「松平康福公狂歌の事」に登場。

・「執事」江戸幕府に於いては若年寄の異称であるが、堀田正亮は若年寄の経歴はないので、老中の謂いであろう。元来が執事は貴族・富豪などの大家にあって、家事を監督する職を言うので問題はない。岩波版長谷川氏でもそうとっておられる。

■やぶちゃん現代語訳

 擬物に志しを失うという事

 近年、菓子或いは油揚げの類いに、魚の姿を見るからに似せて作りことが流行って、中には誠(まっこと)本物の魚と見紛うほど、そっくりに造り上げる職人も御座る。

 さる寺院にて、檀家である諸侯が己(おの)が先祖の法会のために参詣致いた折りのこと、この茶菓子が振舞われた。

 魚の姿に見紛う故か、そのお大名が手をお付けになられないのを、住職の法師がこれを見て微笑みながら、

「それは勿論、魚肉にてはこれなく、近頃、流行で拵えさせた菓子にて御座いまする。」

と説明した。すると、そのお大名、相好一つ崩さず、住職を正面に見据えると、

「――出家はともかくとして、俗人は、先祖の忌日とて、強いて魚を食することを禁ずること、これ、あるべきべきことにては、御座ない――なれど、本邦に於いて古えより世俗にても精進の料理に魚肉などを避くるは、これ誠心の慎み故でもあろう。――かく不遜なる我らにても、今日、先祖の法会と思えばこそ、逮夜より精進潔斎致いて、あらゆることに気を配り、心の穢れんことを切に戒め、ここに参詣致いて御座る。――然るに――魚を食することが出来ぬからと言うて、代わりにその形を成せし食い物を食したとあっては――これ、心の穢れ――魚を食せんとせしことより、いや勝ることじゃ! 理解し難き饗応である!」

と言い放つや、憤然と席を立ち、そのまますぐにお帰りになられたとのことである。

 住僧はただただ赤面するばかりで御座ったが……その後は最早、この諸侯の帰依、これ、とんとなく、なられた由。

 この話は松平右近将監(しょうげん)武元(たけちか)殿御老中の折の話とも、堀田相模守正亮(まさすけ)殿御老中の折のものとも言う。はっきりとは分からぬものの、誠(まっこと)心得あるべきことと感心致せば、ここに記しおく。

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