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2010/09/19

耳嚢 巻之三 其業其法にあらざれば事不調事

「耳嚢 巻之三」に「其業其法にあらざれば事不調事」を収載した。

 其業其法にあらざれば事不調事

 予が知れる者に虚舟といへる隱逸人ありて御徒(おかち)を勤しが、中年にて隱居なして俳諧など好みて樂みとし、素より才力もありて文章もつたなからず。或時義太夫の淨瑠理を作り見んと筆をとりて、八幡太郎東海硯といへるを編集し伎場の者に見せけるに、彼者大きに奇として、かゝる作意近來見不申、哀れ芝居に目論見(もくろみ)なんと持歸りしが、程なく肥前といへる人形操(あやつり)の座にて右淨瑠璃理芝居を興行せし故、見物に行て右狂言を見しに、大意は相違なけれど所々違ひし處も夥しく、虚舟かなめと思ひし所をも引替たる所有ければ、彼最初附屬せしものを以、座本淨瑠理太夫などに聞けるに、さればの事にて候へ、右作いかにも面白く能(よく)出來たる物なれ、しかし素人の作り給へる故舞臺道具立人形のふりの附かたことごとく違ひて、右作にては狂言のならざる所あり、此故に直しけると語りし由。いづれ其家業にあらざれば理外の差支等はしれざる事とかたりぬ。

□やぶちゃん注

○前項連関:特に連関を感じさせない。

・「虚舟」後掲する「八幡太郎東海硯」の作者東武之商家一二三は彼のペン・ネームか。底本の鈴木氏注では三田村鳶魚の注を引いて『「虚舟、蓼太門、小島氏とあり、この人には」とある。』とし、更に『光文二年十一月、京の蛭子座で上演された八幡太郎伝授鼓(三番続)の作者小島立介・伊藤柳枝らとある立介がそれであろう。外題も上演に際して改めたものであろう。内容は甲陽軍記の世界の人物をとって、お家物に仕立てた顔見世狂言。(ただし寛政譜の中からは、享保ごろまでに致仕した小島姓の人物を検出することはできない。)』と丁寧な注が附されている。ただ岩波版長谷川氏注では未詳の一言なので、この鈴木氏注はハズレと長谷川氏は判断されているということか。

・「御徒」とは「徒組」「徒士組」(かちぐみ)のこと。将軍外出の際、先駆及び沿道警備等に当たった。

・「義太夫」義太夫節のこと。浄瑠璃(三味線伴奏の語り物音曲)の流派の一つで、貞享年間(16841688)に大坂の竹本義太夫が人形浄瑠璃として創始した。豪放な播磨節、繊細な嘉太夫節その他先行する各種音曲の長所を取り入れてある。浄瑠璃作家近松門左衛門、三味線竹沢権右衛門、人形遣辰松八郎兵衛らの多角的な協力が加わって、元禄期(16881704)に大流行、浄瑠璃界の代表的存在となった。単に「ぎだ」とも言う。また広義に、特に関西で浄瑠璃の異名ともなった。

・「八幡太郎東海硯」東武之商家一二三作。廣田隼夫(たかお)氏の『素人控え「操り浄瑠璃史」』の記載によれば、江戸の操り浄瑠璃界に新風を巻き起こした初めての江戸前作家による記念的作品であったことが窺える。当時、『豊竹・竹本両座の退転で混乱状態に陥った大坂に対して、この明和期から安永~天明期という約20年間、江戸では対照的な珍しい現象を引き起こしていた。突如として現われた江戸浄瑠璃の新作が江戸っ子の人気をえて、予想もしない活況に沸き返った』。『そのきっかけとなったのが、最初の江戸作者の出現であった。明和から10年ほど前の寛延4年(1751)に肥前座で「八幡太郎東海硯」なる作品が上演された』。『作者は「東武之商家一二三」で、単独作。「東武之商家一二三」の読み方は正確に分からないが、「東武」とは武蔵の国―つまり江戸のこと、「商家」とは商い―作者のこと、「一二三」は最初の数字の意味にとれば、自らが「江戸の最初の作者」ということをふざけて表現したことになる。名前からしてアマチュアであることに間違いない』と記されておられる。大きな改変が座付作家によってなされていることが本文から分かるが、このような奇妙なペンネームからは、虚舟なる人物のペン・ネームと考えて問題ないように思われる(もしそうでないとすれば虚舟は改変云々の前に、まずそこに文句を言うであろうから)。内容は私は不学にして未詳。先に示した「八幡太郎伝授鼓」(はちまんたろうでんじゅのつづみ)は現在でも上演されているので、識者の御教授を乞うものである。

・「附屬」「付嘱」(ふしょく)に同じ。言いつけて頼むこと。依頼。

 

■やぶちゃん現代語訳

 如何なる仕儀もその本来の技法に従わざれば事成らざるものなりという事

 私の知人に虚舟という隠逸人がおり、永く御徒(おかち)を勤めて御座ったが、中年となって隠居した後(のち)、俳諧なんどを好みて道楽と致いて御座った。もとより才能もあり、その文筆の冴えも一通りではなかった。

 ある折りのこと、素人乍ら、義太夫節の浄瑠璃を書かんと一念発起、筆を執って「八幡太郎東海硯」という作物を書き上げ、とある芝居小屋の者に見せたところが、かの者、大いに奇なる面白き作物と賞美の上、

「――かく斬新なる作物、近年稀に見るものにて御座りまする! これはもう、一つ、芝居にしてみんに若くはない!」

とて、台本拝借、知れる者どもの内にて持ち回って御座った。

 程なく肥前座という人形操りの芝居小屋にて、かの浄瑠璃芝居「八幡太郎東海硯」興行せんとすとの知らせ、虚舟、喜び勇んで見物に参ったところが――大筋は、確かに虚舟の描いたものと相違なきものの、所々、否、ここあそこと、自作の場面と異なって御座ること、これ、夥しく、何より虚舟がここぞ摑みと心得て御座った山場の場面すら、大きに書き換えられて御座った。

 その日のうちに、虚舟は複雑な面持ちで、引き渡した清書の外に手元に残して御座った元原稿を持ち参り、肥前座楽屋に御座った座本の浄瑠璃太夫なんどのところに顔を出して、話を聞いた。

「――されば、それは仕方のなきことにて候。この作物、誠(まっこと)、よう出来て候。――なれど、やはりこれ、素人がお創りになったものにて候間――舞台の道具立て、人形の振り付け方――ありとあらゆるところ、音曲人形、演ずるに悉く無理、これあり候。――この作物、このままにては――狂言になり申さぬところ、これあり候。――なればこそ、御不快尤ものこと乍ら、直し申し候。――」

と語ったということである。……

「……いやこそ、流石なれ! いずれ、その家業に随(したご)うておる者にて御座らねば、分からぬこと、これ、御座るものにじゃ!」

と、その虚舟本人が、如何にも得心して語って御座ったよ。

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