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2010/09/03

耳嚢 巻之三 深切の祈誓其しるしある事

「耳嚢 巻之三」に「深切の祈誓其しるしある事」を収載した。

 深切の祈誓其しるしある事

 近き頃の事也しか、淺草並木邊とやらんの事成由。木藥商ひする者ありしが、藥種屋には砒霜(ひさう)斑猫(はんみやう)などいへる毒藥も、腫物其外其病症によりて施(ほどこす)事あれば、貯へ置事も有し由。然れど賣買も容易(たやす)くいたさゞる事也。其外ウズやうの小毒の藥も、人の害をなす故猥(みだり)に賣買はせざる事成が、或日其身近所へ出し留守に女壹人來りて、砒霜斑猫の類ひにはあるまじ、輕きうずやうの毒藥を望(のぞみ)しに、鄽(みせ)に居し小悴(こせがれ)何心なく商ひて、主人歸りて其事を語りけるに大きに驚き、いか成樣の者に賣りしや名所(などころ)も聞しやと尋しに、名所聞し事もなく勿論知れる人にもあらず、年頃三十計(ばかり)の女の、小丁稚(こでつち)壹人連れて調へ行しといひし故甚歎きて、兼て信ずる淺草觀音へ詣ふで、一心不亂に右藥(くすり)人の害をなさず人の爲に成やう肝膽(かんたん)をくだき祈りけるに、年頃四十計り成男、是も信者と見へて讀經などして一心に祈り、歸りの節ふと道連(みちづれ)に成しに、彼男申けるは、御身も信心渇仰(かつがう)の人也、當寺觀音の靈驗いちじるく我等數年日參の事など語りて心願の筋抔語りて尋ける故、彼木藥屋答へけるは、我等事はさしかゝる大難ありて一心に祈念なすと言しに、夫はいか成事哉、ともに力を添んとありし故、あたりに人もなければかく/\の事故と語りければ、彼男聞て其女の年頃着服格好の樣子等を聞て、御身事人の難儀をいとひかく信心なし給ふ、いかで感應なからん、我宿はいづく也、尋候へ迚(とて)立わかれぬ。さても彼男は藥種屋にわかれ、己(おの)が住居する花川戸へ歸りけるに、鄽に湯かたを干して置たり。其湯衣(ゆかた)を見たりしに、淺草におゐて藥種屋が噺せし模樣に少しも違ひなく、夫より心づきて見れば、我妻の年恰好も似寄ければ、心に不審を生じけるに、其妻茶抔運び餠菓子やうの物をやきて茶菓子とて差出しぬ。彌々(いよいよ)心に不審を生じ、よき茶菓子なれど後にこそ給(たべ)なん。某(それがし)は入湯なし來るとて浴衣手拭を持せて風呂屋へ行、彼丁稚を人なき所へ招き、今朝妻の供していづちへ行しや、道にて妻の調へものなしける事有りやと尋ければ、丁稚も隱すべき事としらねば、有の儘に淺草へ詣ふで藥種屋にて物を調へし事抔語りける故、彌々無相違と淺草を遙拜し、湯などへ常のごとく入りて立歸りければ、又々妻は茶菓子ども持ち出しけるを、彼男右菓子を女房に先づ給候樣申けるに、其身好(このま)ざる由を云ひければ、今日は存(ぞんず)る旨あれば親里へ參り可申迚、彼菓子を重に入れて人を附、離別の状を認(したた)め、右離別の譯は此重箱の菓子なりとて送り返しけるとや。夫より右之者藥種屋と兄弟のむつみなして、彌觀音薩埵(さつた)の利益(りやく)を感じ、信心他念なかりしとや。

□やぶちゃん注

○前項連関:凄まじい博徒の妻から未遂なれど夫殺し鬼妻で直連関。

・「淺草並木」浅草並木町は現在の雷門2丁目。雷門の雷門通りを挟んだ正面の通りが浅草並木町であった。底本の鈴木氏の注に『もと浅草境内からこの辺まで道の両側に松・桜・榎の並木があった』ことからの町名、とお書きになっておられる。

・「木藥商ひ」生薬屋。植物・動物・鉱物等を素材としてそのまま若しくは簡単な処理をして医薬品あるいは医薬原料に加工する商売。一般人が容易に買えるところから薬種問屋ではなく、現在の一般薬局と等しい薬種屋である。

・「砒霜」砒石(ひせき)。猛毒の砒素を含有する鉱物。砒素について、以下、ウィキの「ヒ素」から一部を引用する。『ヒ素(砒素、ひそ、英名:arsenic)は、原子番号 33 の元素。元素記号は As。第15族(窒素族)の一つ』。『最も安定で金属光沢のあるため金属ヒ素とも呼ばれる「灰色ヒ素」、ニンニク臭があり透明なロウ状の柔らかい「黄色ヒ素」、黒リンと同じ構造を持つ「黒色ヒ素」の3つの同素体が存在する。灰色ヒ素は1気圧下において 615℃で昇華する』。『物に対する毒性が強いことを利用して、農薬、木材防腐に使用される』。『III-V族半導体であるガリウムヒ素 (GaAs) は、発光ダイオードや通信用の高速トランジスタなどに用いられている』。ヒ素化合物サルバルサン (C12H12As2N2O2) 『は、抗生物質のペニシリンが発見される以前は梅毒の治療薬であった』。『中国医学では、硫化ヒ素である雄黄や雌黄はしばしば解毒剤、抗炎症剤として製剤に配合される』。『ヒ素を必須元素とする生物が存在する。微生物のなかに一般的な酸素ではなくヒ素の酸化還元反応を利用して光合成を行っているものも存在する』。『ヒ素およびヒ素化合物は WHO の下部機関 IRAC より発癌性がある〔Type1〕と勧告されている。また、単体ヒ素およびほとんどのヒ素化合物は、人体に非常に有害である。飲み込んだ際の急性症状は、消化管の刺激によって、吐き気、嘔吐、下痢、激しい腹痛などがみられ、場合によってショック状態から死に至る。慢性症状は、剥離性の皮膚炎や過度の色素沈着、骨髄障害、末梢性神経炎、黄疸、腎不全など。慢性ヒ素中毒による皮膚病変としては、ボーエン病が有名である。単体ヒ素及びヒ素化合物は、毒物及び劇物取締法により医薬用外毒物に指定されている。日中戦争中、旧日本軍では嘔吐性のくしゃみ剤ジフェニルシアノアルシンが多く用いられたが、これは砒素を含む毒ガスである』。『一方でヒ素化合物は人体内にごく微量が存在しており、生存に必要な微量必須元素であると考えられている』。『ただしこれは、一部の無毒の有機ヒ素化合物の形でのことである。低毒性の、あるいは生体内で無毒化される有機ヒ素化合物にはメチルアルソン酸やジメチルアルシン酸などがあり、カキ、クルマエビなどの魚介類やヒジキなどの海草類に多く含まれる。さらにエビには高度に代謝されたアルセノベタインとして高濃度存在している。人体に必要な量はごく少なく自然に摂取されると考えられ、また少量の摂取でも毒性が発現するため、サプリメントとして積極的に摂る必要はない』。『亜ヒ酸を含む砒石は日本では古くから「銀の毒」、「石見銀山ねずみ捕り」などと呼ばれ殺鼠剤や暗殺などに用いられていた』。『宮崎県の高千穂町の山あい土呂久では、亜ヒ酸製造が行われていた。この地区の住民に現れた慢性砒素中毒症は、公害病に認定された。症状としては、暴露後数十年して、皮膚の雨だれ様の色素沈着や白斑、手掌、足底の角化、ボーエン病、およびそれに続発する皮膚癌、呼吸器系の肺癌、泌尿器系の癌がある。発生当時は、砒素を焼く煙がV字型の谷に低く垂れ込め、河川や空気を汚染したものと考えられた。上に記した症状は、特に広範な皮膚症状は、環境による慢性砒素中毒を考えるべき重要な症状である。この症状が重要であり、長年月経過すれば、病変、皮膚、毛髪、爪などには、砒素を検出しない』。『上流に天然の砒素化合物鉱床がある河川はヒ素で汚染されているため、高濃度の場合、流域の水を飲むことは服毒するに等しい自殺行為である。低濃度であっても蓄積するので、長期飲用は中毒を発症する。地熱発電の水も砒素を含むので、川に流されず、また、地下に戻される』。『慢性砒素中毒は、例えば井戸の汚染などに続発して、単発的に発生することもある。このような河川は中東など世界に若干存在する。砒素中毒で最も有名なのは台湾の例であり、足の黒化、皮膚癌が見られた。汚染が深刻な国バングラデシュでは、皮膚症状、呼吸器症状、内臓疾患をもつ患者が増えている。ガンで亡くなるケースも報告されている。中国奥地にもみられ、日本の皮膚科医が調査している』。『1955年の森永ヒ素ミルク中毒事件では粉ミルクにヒ素が混入したことが原因で、多数の死者を出した。この場合は急性砒素中毒である。年月が経過し、慢性砒素中毒の報告もある。日本において、急性ヒ素中毒で有名なのは和歌山毒物カレー事件であり、この稿には詳細な急性中毒の報告が記載されている』。『2004年には英国食品規格庁がヒジキに無機ヒ素が多く含まれるため食用にしないよう英国民に勧告した。これに対し、日本の厚生労働省はヒジキに含まれるヒ素は極めて微量であるため、一般的な範囲では食用にしても問題はないという見解を出している』。ヒ素の化合物である『三酸化二ヒ素 (As2O3) – 急性前骨髄球性白血病(APL)の治療薬。商品名トリセノックス。海外では骨髄異形成症候群(MDS)、多発性骨髄腫(MM)に対しても使われている。その他血液癌、固形癌に対する研究も進められている』。『13世紀にアルベルトゥス・マグヌスにより発見されたとされ』、『無味無臭かつ、無色な毒であるため、しばしば暗殺の道具として用いられた。ルネサンス時代にはローマ教皇アレクサンデル6世(1431 - 1503年)と息子チェーザレ・ボルジア(1475 - 1507年)はヒ素入りのワインによって、次々と政敵を暗殺したとされる』。『入手が容易である一方、体内に残留し容易に検出できることから狡猾な毒殺には用いられない。そのためヨーロッパでは「愚者の毒」という異名があった』。『中国でも天然の三酸化二ヒ素が「砒霜」の名でしばしば暗殺の場に登場する。例えば、『水滸伝』で潘金蓮が武大郎を殺害するのに使用したのも「砒霜」である』とある。

・「斑猫」土斑猫。昆虫綱鞘翅(コウチュウ)目オサムシ亜目ゴミムシダマシ上科ツチハンミョウ科 Meloidaeに属するツチハンミョウ。この生物群はツチハンミョウ科に属し、通常の昆虫綱鞘翅(コウチュウ)目オサムシ亜目オサムシ上科ハンミョウ科 Cicindelidae のハンミョウ族とはかなり遠縁であるので注意を有する。以下、ウィキの「ツチハンミョウ」から引用する(学名のフォントを変更した)。『有毒昆虫として、またハナバチ類の巣に寄生する特異な習性をもつ昆虫として知られている』。『成虫の出現時期は種類にもよるが、春に山野に出現するマルクビツチハンミョウ Meloe corvinus などが知られる。全身は紺色の金属光沢があり、腹部は大きくてやわらかく前翅からはみ出す。動きが鈍く、地面を歩き回る』。『触ると死んだ振り(偽死)をして、この時に脚の関節から黄色い液体を分泌する。この液には毒成分カンタリジンが含まれ、弱い皮膚につけば水膨れを生じる。昆虫体にもその成分が含まれる。同じ科のマメハンミョウもカンタリジンを持ち、その毒は忍者も利用した。中国では暗殺用に用いられたともいわれる』。『「ハンミョウ」と名がついているが、ハンミョウとは別の科(Family)に属する。しかし、ハンミョウの方が派手で目立つことと、その名のために混同され、ハンミョウを有毒と思われる場合がある』。『マルクビツチハンミョウなどは、単独生活するハナバチ類の巣に寄生して成長する』。『雌は地中に数千個の卵を産むが、これは昆虫にしては非常に多い産卵数である。孵化した一齢幼虫は細長い体によく発達した脚を持ち、草によじ登って花の中に潜り込む。花に何らかの昆虫が訪れるとその体に乗り移るが、それがハナバチの雌であれば、ハチが巣作りをし、蜜と花粉を集め、産卵する時に巣への侵入を果たすことができる』。『また、花から乗り移った昆虫が雄のハナバチだった場合は雌と交尾するときに乗り移れるが、ハナバチに乗り移れなかったものやハナバチ以外の昆虫に乗り移ったものは死ぬしかない。成虫がたくさんの卵を産むのも、ハナバチの巣に辿りつく幼虫を増やすためである』。『ハナバチの巣に辿りついた1齢幼虫は、脱皮するとイモムシのような形態となる。ハナバチの卵や蜜、花粉を食べて成長するが、成長の途中で一時的に蛹のように変化し、動かない時期がある。この時期は擬蛹(ぎよう)と呼ばれる。擬蛹は一旦イモムシ型の幼虫に戻ったあと、本当に蛹になる』。『甲虫類の幼虫は成長の過程で外見が大きく変わらないが、ツチハンミョウでは同じ幼虫でも成長につれて外見が変化する。通常の完全変態よりも多くの段階を経るという意味で「過変態」と呼ばれる。このような特異な生活史はファーブルの「昆虫記」にも紹介されている』。漢方薬としては「芫青」(げんせい)名でも知られ、カンタリジン(cantharidin)を抽出出来るツチハンミョウの種としては、ヨーロッパ産のカンタリスである Litta vesicatoriaアオハンミョウ(青斑猫)や日本産の Epicauta gorhami マメハンミョウ(豆斑猫)及び中国産の Mylabris phalerata Pallas 又は Mylabris cichorii が挙げられる。薬性としては刺激性臭気、僅かに辛く、粉末は皮膚の柔らかい部分や粘膜に附着すると掻痒感を引き起こし、発疱を生ずる。古くから皮膚刺激薬・発疱剤(肋膜炎・リウマチ・神経痛に適用)・発毛促進剤・利尿剤(稀な内服例)として用いられた。急性慢性毒性としては経口摂取による咽喉の灼熱感・腹痛・悪心・嘔吐・下痢・吐血・無尿・血尿・低血圧・昏睡・痙攣・排尿時劇痛等の諸症状が見られ、呼吸器不全や腎障害(尿毒症等)を惹起して死に至ることもあるとする。実は本剤はスパニッシュ・フライという名で媚薬としても知られており、一定量を内服すると尿道が刺激されて男性性器の勃起を促進する効果があるという。但し、有毒成分が排出される際に高い確率で腎臓炎や膀胱炎を誘発し、少量でも反復使用すると慢性の中毒症状を引き起こす危険性があるという(以上、後半のカンタリジンの薬理に関しては「医薬品情報21(代表古泉秀夫氏)の「芫青の毒性」の項を参考させて頂いた)。

・「ウズ」漢方薬で被子植物門双子葉植物綱キンポウゲ目キンポウゲ科トリカブト属 Aconitum の総称であるトリカブトの根茎を言う。以下、ウィキの「トリカブト」から引用する。トリカブト(鳥兜・学名Aconitum)は、『キンポウゲ科トリカブト属の総称。日本には約30種自生している。花の色は紫色の他、白、黄色、ピンク色など。多くは多年草である。沢筋などの比較的湿気の多い場所を好む』。『塊根を乾したものは漢方薬や毒として用いられ、附子(生薬名は「ぶし」、毒に使うときは「ぶす」)または烏頭(うず)と呼ばれる)。ドクゼリ、ドクウツギと並んで日本三大有毒植物の一つとされる』。『トリカブトの名の由来は、花が古来の衣装である鳥兜・烏帽子に似ているからとも、鶏の鶏冠(とさか)に似ているからとも言われる。英名は「僧侶のフード(かぶりもの)」の意』。以下、「主な種」が掲げられている(一部の注釈記号を省略し、学名のフォントを変更した)。

ハナトリカブトAconitum chinense

カワチブシAconitum grossedentatum

ハクサントリカブトAconitum hakusanense

センウズモドキAconitum jaluense

ヤマトリカブトAconitum japonicum Thunb.

ツクバトリカブトAconitum japonicum Thunb. subsp. maritimum

キタダケトリカブトAconitum kitadakense

レイジンソウAconitum loczyanum

ヨウシュトリカブトAconitum napellus 模式種

タンナトリカブトAconitum napiforme

エゾトリカブトAconitum sachalinense - アイヌが矢毒に用いた。

ホソバトリカブトAconitum senanense

ダイセツトリカブトAconitum yamazakii

『化学成分からみて妥当な分類としてトリカブト属が30種、変種が22種、計52種という多くの種類が存在』するとある。以下、「毒性」の項。トリカブトの毒の一つアコニチンは『比較的有名な有毒植物。主な毒成分はジテルペン系アルカロイドのアコニチンで、他にメサコニチン、アコニン、ヒバコニチン、低毒性成分のアチシンの他ソンゴリンなどを』『全草(特に根)に含む。採集時期および地域によって毒の強さが異なる』『が、毒性の強弱に関わらず野草を食用することは非常に危険である』。『食べると嘔吐・呼吸困難、臓器不全などから死に至ることもある。経皮吸収・経粘膜吸収され、経口から摂取後数十分で死亡する即効性がある。トリカブトによる死因は、心室細動ないし心停止である。下痢は普通見られない。特異的療法も解毒剤もないが、各地の医療機関で中毒の治療研究が行われている』。

『芽吹きの頃にはセリ、ニリンソウ、ゲンノショウコ、ヨモギ等と似ている為、誤食による中毒事故(死亡例もある)が起こる。株によって、葉の切れ込み具合が異なる』。『蜜、花粉にも中毒例がある。このため、養蜂家はトリカブトが自生している所では蜂蜜を採集しないか開花期を避ける。以下、「漢方薬」の項。『漢方ではトリカブト属の塊根を附子(ぶし)と称して薬用にする。本来は、塊根の子根(しこん)を附子と言い、「親」の部分は烏頭(うず)、また、子根の付かない単体の塊根を天雄(てんゆう)と言って、それぞれ運用法が違う。強心作用、鎮痛作用がある。また、牛車腎気丸及び桂枝加朮附湯では皮膚温上昇作用、末梢血管拡張作用により血液循環の改善に有効である』。『しかし、毒性が強い為、附子をそのまま生薬として用いる事はほとんど無く、修治と呼ばれる弱毒処理が行われる』。『炮附子は苦汁につけ込んだ後、加熱処理したもの。加工附子や修治附子は、オートクレーブ法を使って加圧加熱処理をしたもの。修治には、オートクレーブの温度、時間が大切である。温度や時間を調節する事で、メサコニチンなどの残存量を調節する。この処理は、アコニチンや、メサコニチンのC-8位のアセチル基を加水分解する目的で行われる。これにより、アコニチンは、ベンゾイルアコニンに』、『メサコニチンは、ベンゾイルメサコニンになり、毒性は千分の一程度に減毒される。これには専門的な薬学的知識が必要であり、非常に毒性が強いため素人は処方すべきでない』。以下、「附子が配合されている漢方方剤の例」として葛根加朮附湯・桂枝加朮附湯・桂枝加苓朮附湯・桂芍知母湯・芍薬甘草附子・麻黄附子細辛湯・真武湯・八味地黄丸・牛車腎気丸・四逆湯が挙げられている。また、トリカブトの花は実際にはかなり美しく、『観賞用のトリカブトハナトリカブトはその名の通り花が大きく、まとまっているので、観賞用として栽培され、切花の状態で販売されている。しかし、ハナトリカブトの全草にも毒性の強いメサコニチンが含まれているので危険である』。『ヨーロッパでは、魔術の女神ヘカテを司る花とされ、庭に埋めてはならないとされる。ギリシャ神話では、地獄の番犬ケルベロスの涎から生まれたともされている。狼男伝説とも関連づけられている』。『富士山の名の由来には複数の説があり、山麓に多く自生しているトリカブト(附子)からとする説もある。また俗に不美人のことを「ブス」と言うが、これはトリカブトの中毒で神経に障害が起き、顔の表情がおかしくなったのを指すという説もある』とある。

・「小悴」岩波版長谷川氏注には「小僧」とするが、私はそのまま主人の倅で訳してみた。その方が面白いと判断したからである。辞書には若い男子を罵って言う語としての「小悴」の意味はあるが、所謂、商店の丁稚や小僧を言うという記載は見出せなかったからでもある。

・「花川戸」現在は東京都台東区に花川戸一丁目と花川戸二丁目で残る。ウィキの「花川戸」によれば、『台東区の東部に位置し、墨田区(吾妻橋・向島)との区境にあたる。地域南部は雷門通りに接し、これを境に台東区雷門に接する。地域西部は馬道通りに接し、台東区浅草一丁目・浅草二丁目に接する。地域北部は、言問通りに接しこれを境に台東区浅草六・七丁目にそれぞれ接する。当地域中央を花川戸一丁目と花川戸二丁目を分ける形で東西に二天門通りが通っている。また地域内を南北に江戸通りが通っている。またかつて花川戸一帯は履物問屋街としても知られていた。現在でも履物・靴関連の商店が地域内に散見できる』とあり、この話柄の後半に登場する男の商売(職種は示されていない)も履物問屋であった可能性が高いか。問屋であれば、店先に洗い張りの浴衣が干してあっても不自然ではない気がする。

・「給(たべ)なん」は底本のルビ。

・「觀音薩埵」観音菩薩。「薩埵」は梵語“sattva”の漢訳で、原義は「生命あるもの・有情・衆生」であるが、後に「菩提薩埵」(ぼだいさつた)の略、如来にならんとして修行する者を意味する「菩薩」の意となった。

■やぶちゃん現代語訳

 心からの祈誓には必ず効験がある事

 最近の話の由にて、浅草並木辺りにての出来事らしい。

 生薬を商(あきの)うておる者があった。

――注しておくと、薬種屋には砒霜(ひそう)や斑猫(はんみょう)なんどと申すいわゆる猛毒にても、質(たち)の悪い腫れ物やその他の悪しき病いの病状によっては、これらを処方することもあるので、薬剤の一種として品揃え致いて御座る由。然れども、容易に販売するようなこと致さぬは勿論である。また、その他にも烏頭(うず)といったような、砒霜や斑猫に比べれば比較的軽度の毒物にても、当然、その量によっては十分に人の命を奪うような害ともなるため、妄りに売買することは、これ、御座らぬは常識である。――

 ところが、ある日のこと、その生薬屋の主人が、僅かの間近所に出ていた留守に、一人の女が店を訪れ――流石に砒霜や斑猫の類ではなかったようであるが、所謂、烏頭程度の危険毒は持った――さる毒性薬物を売って欲しいと望んだ。偶々店を預かって御座った小倅、未だ薬種屋商いのいろはも学んで御座らぬに、軽率にもその毒物を売ってしまった。

 親なる主人が帰ったので、倅は何心なくこのことを告げたところ、主人、大いに驚き、

「如何なる年格好の者に売った!? 名や住所は訊いたのか!?」

と糺すと、

「……名や住所なんぞは聞かなんだよ……普段、お父(とっつ)あん、そんなことするとこ、見たこともないもんで……全然知らん人じゃったなあ……年の頃は三十ばかりの女で……若い丁稚を一人連れて買い上げて行ったよ……」

と、自分の成したことが如何に大変なことであるか、全く以って分かっておらぬ故、如何にも長閑に答えて平然として御座った。

 聞いた主人は一人、最悪の事態を想像して、深く歎き苦しみ、ともかくも兼ねてより深く信心致いて御座る浅草観音へ詣でると一心不乱に、

「……かの薬、人の害となりませぬように!……どうか! 人の為になりますように!……」

と心胆を砕く思いで祈って御座った。

 さても、その折り、年の頃四十(しじゅう)ばかりの男で、これも観音の信者と見えて、読経など懇ろに致いて一心に祈って御座ったが、帰る際に、ふと道連れになった。

男が、

「御身も、如何にも観音へ、信心深く尊崇するお方とお見受け致いた。当浅草寺観音の霊験は、これ著しきものにて御座れば、我らも、ここ数年の間日参致いて御座る。」

などと主人に語りかけ、

「……最前のご祈念、何やらん、切羽詰ったものとお見受けしたが……失礼ながら、もしよろしければその心願の筋……お聴きしてはまずかろうものか……」

と訊ねる故、生薬屋主人は、

「……我らことは……差し迫ったる大難あればこそ……一心に祈念致いて御座った……」

と応えたので、

「……それはまた……如何なることにて御座る?……立ち入ったことを申すようなれど……僅かなりとも、観音の心を共に致す我ら、共に力になれること、これ、ないとは限らぬ。……一つ、お話し下さらぬか?……」

との謂いに――辺りに人もなし――生薬屋にても――藁にも縋る思いにて――かくかくのことにて、と語ったところ、連れとなった男は、事細かに女の年頃・着衣・格好など様子を細かに聴いた上、

「……御身は見ず知らずの他人が受けるかも受けぬかも知れぬ難儀を……そのように深く悔いて心に懸け……かく観音菩薩を信心なさり、祈念なさっておる……このこと、どうして感応せざること、これありましょうぞ! 必ずや、その至誠、観音菩薩に通ずること、これ間違い御座らぬ! 我らが住まいは花川戸にて○○という店を開いて御座る。お近くへお出での折りは、どうか一つ、是非お訪ね下されよ。」

と言うて二人は別れる。――

 さて、この生薬屋と連れになった男、別れて後、己が(おの)が住居せる花川戸へ帰って御座ったところ、ふと見ると――自分のお店(たな)の入り口の脇に、浴衣が洗い張りして干して御座った。――その浴衣を見たとたん、男はあることに気づいた。

――その浴衣の柄――それは、かの浅草にて、かの生薬屋から聞いた、かの女の着て御座ったという柄模様と――

――これ、少しも違いなきものなので御座った――

『……いや……そういわれて見ると……妻の年格好も……これ、似寄るわ……』

と心に不審の種を播いて御座った。――

 男が家に入るや、妻がかいがいしく男を迎えたかと思うと、何時もに似ず、茶なんどを運び、

「……さっき、餅菓子染みたもの、ちょいと焼いて拵えましたから、……さ、茶菓子に、どうぞ……」

と添えて、差し出す。

 いよいよ不審が芽を吹いた。

「……うむ。美味そうな菓子じゃ。じゃが、後で頂こうかの。……そうさ、我ら、先ず一(ひとっ)風呂浴びて参る。」

男は丁稚に命じて浴衣手拭いを持たすと湯屋(ゆうや)へ向かった。

 途中、その丁稚を人気のないところに呼び寄せると、

「……つかぬことを訊くが……お前、今朝、妻の供して何処へ参った? 途中、妻が何処ぞで買い物なんど致いたりはせなんだか?」

と訊ねたので――勿論、丁稚もそれが隠すようなことだとも思わねば、

「へえ、浅草へ詣でて、帰りに、生薬屋へ寄って何やらお買いになっておられました。」

ことなど、ありの儘に話した。――

「……いよいよ、これ、相違ない!……」

と男は一人ごちると、思わず浅草の方に向こうて手を合わせて御座った。

 その後(のち)、常の如く湯屋(ゆうや)に入(い)って宅(うち)にたち帰る

――と――

またしても妻は例の茶菓子どもを持ち出して、

「さ、お召しになられよ。」

と切に勧める。そこで男、その菓子を妻の眼前に突き出し、

「……先ずは一つ、お前がお食べ……。」

と申したところ、

「……!……い、いえ、……あ、あたしは、あ、あんまり、好きなもんじゃあ、御座んせんから……」

と、何やらん、しどろもどろに答えたので、男は、

「――相分かった。今日は我ら存ずる旨(むね)あればこそ、そなたは親里方へ帰るがよい――」

と静かに言うや、かの菓子をお重に納めさせ、即座に三行半を認(したた)めて、一番に信頼して御座った下男にそれらを持たせて妻に付き添わせ、

「――離縁の訳は――この重箱の菓子じゃ――」

とやはり静かに言い放って妻を里へ送り返したとかいうことで御座る。

 さてもそれより、この男、かの生薬屋に訳を話した上、兄弟の如く交わりをなし、また、いよいよ観音菩薩の御利益に感じ入って、異心なく信心深くして御座ったということである。

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