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« 耳嚢 巻之三 狐附奇異をかたりし事 | トップページ | 耳嚢 巻之三 其分限に應じ其言葉も尤なる事 »

2010/09/28

耳嚢 巻之三 大人の食味不尋常の事

「耳嚢 巻之三」に「大人の食味不尋常の事」を収載した。

 大人の食味不尋常の事

 松平康福(やすよし)公へ菓子を進じけるに、或る人語りて、慶福公は菓子他制(たせい)を用ひ給はず、臺所にて仕立ざるは奇(ふしぎ)に知り給ふ由かたりぬ。夫より家來に賴みて菓子抔進じけるに、藤堂和泉守蚫(あはび)を好みて給(たべ)られけるに、或日諸侯共咄を聞て招請の折から、和泉守へ蚫を饗應ありしが、少し計(ばかり)給べて強て代(かはり)の沙汰もなかりき。依之饗應濟て、其料理人より和泉守勝手方へ、大守は蚫御好の由にて、主人心を用ひ申付られし饗應を多くも召上られざるは、いか成いわれなるやと尋ければ、彼勝手方答て、主人の料理は仕立かた大きに(こと)異也といひし故、其譯主人に語りければ、又泉州を招きて、此度は泉州の料理人を賴み料理なせしに、彼料理人來りて蚫數十はいを受て、其内にて三四はいを撰(えら)みて、右蚫の眞中を二つ切(きれ)程切りて跡を捨たり。然るに和泉守これを食味して、格別の風味御馳走の由、あくまで賞美ありしと也。大家の口中自然(おのづ)とかくも有ものやと、何れも驚歎せしとなり。

□やぶちゃん注

○前項連関:特に連関を感じさせない。こういうグルメ話は「耳嚢」には意外に少ない。――質素倹約を旨とした古武士根岸鎭衞にして、当然のことであった。

・「大人」は「うし」又は「たいじん」と読む。領主や主人、広く貴人の尊称である。身分や位が高く禄の多い人を言う「大身」(たいしん)と結果的に同義語であるから、訳ではこちらを用いた。また、この話柄、明らかに「夫より家來に賴みて菓子抔進じけるに」の部分で切れている。そのように現代語訳ではした。

・「松平康福」お洒落な狂歌をひねる卷之一「松平康福公狂歌の事に既出の、本話柄を読んでもちょいと変わった面白い殿様であったことが窺われる人物である。松平康福(享保4(1719)年~寛政元(1789)年)は石見浜田藩藩主から下総古河藩藩主・三河岡崎藩藩主を経、再度、石見浜田藩藩主となっている。幕府老中及び老中首座。官位は周防守、侍従。幕府では奏者番・寺社奉行・大坂城代を歴任、老中に抜擢された。天明元年の老中首座松平輝高が在任のまま死去、その後を受けて老中首座となっている。参照したウィキの「松平康福」によれば、『天明6年(1786年)の田沼意次失脚後も松平定信の老中就任や寛政の改革に最後まで抵抗したが、天明8年(1788年)4月3日に免職され』たとある。

・「藤堂和泉守」藤堂高豊(たかとよ)、後に改名して藤堂高朗(たかほら 享保2(1717)年~天明5(1785)年)は伊勢国津藩支藩久居(ひさい)藩第5代藩主、後、津藩第7代藩主。藤堂家宗家7代。官位は従四位下和泉守。以下、ウィキの「藤堂高朗」は『父藤堂高武の死後、その家督と7000石を継いでいたが、享保11年(1726年)に、当時久居藩主であった藤堂高治の養嗣子となる。享保13年(1728年)、高治が本家の津藩を継承することとなったため、その後を受けて久居藩主となった。ところが享保20年(1735年)、今度は本家の津藩主となっていた高治が病に倒れたため、再び高治の養嗣子となって津藩の家督を継ぎ、津藩主となった。久居藩主は弟の藤堂高雅が継いだ』。『藩政においては幕府の歓心を得るために、自ら指揮して日光東照宮の修補造営に努めたが、この出費により24万両もの借金を作ってしまった。さらに文学を奨励したため、儒学は発展したが、高朗自身が奢侈に走ったため、士風などが緩んだ。明和6年(1769年)2月9日、病を理由に四男の高悠に家督を譲って隠居し、天明5年4月7日(1785年5月15日)に69歳で死去した』とある。勿論、本話柄は津藩主となってからの話。「卷之二」の下限は天明6(1786)年までであるから隠居直前の頃か。歓心に借金に豪奢……こんなアワビの食い方してちゃ……さもあらん。

・「蚫」腹足綱原始腹足目ミミガイ科アワビ属 Haliotisアワビ(鮑)。アワビ自体がミミガイ科 Haliotidae のアワビ属 Haliotis の総称であるので、国産9種でも食用種のクロアワビ Haliotis discus discus ・メガイアワビ Haliotis gigantea ・マダカアワビ Haliotis madaka ・エゾアワビ Haliotis discus hannai (クロアワビの北方亜種であるが同一種説もあり)・トコブシHaliotis diversicolor aquatilis ・ミミガイ Haliotis asinina が挙げられる。但し、グルメの藤堂和泉守が食するとなれば、これはもう最高級種であるクロアワビであろう。棲息域は茨城県以南から九州沿岸で、藤堂和泉守の支配した伊勢国津藩は現在の三重県津市に相当し、ここはリアス式海岸が発達して岩礁域が広がる好漁場で、海女漁の伝統が根付く鳥羽・志摩にも近い。現代でも三重県はアワビ漁獲量・生産額共に全国第10位内に入る。また、藤堂和泉守が命じていると思われる薄く削ぐ調理法は、アワビの肉を外側から薄く長く剥ぎ取って乾燥して伸す、所謂「熨斗(のし)アワビ」を連想させるが、現在でも全国で唯一、神宮奉納用神饌熨斗鮑を作るところの神宮司庁所管の御料鰒調整所が三重県鳥羽市国崎にあることなどと合わせて考えると興味深い。その他、私の語りたい博物学的な知見は是非、私の電子テクスト「和漢三才圖會 介貝部 四十七 寺島良安」の冒頭を飾る「鰒(あはひ)」の注などを参照されたい。但し、このように腹足の中央部分だけを切り取って刺身にするというのは(そここそ美味というのは)私は初耳である(いや、美味には勿論違いないが)。……しかし、貝フリークの私に、鮑は外套膜辺縁部ばりばりごりごりつぶつぶの部分を好んで切り取って食う私に言わせれば、グレツなるグルメとしか言いようがない。

・「大守」古くは武家政権以降の幕府高官や領主を指すが、既に「諸侯」とし、江戸時代には通常の国持ち大名全般をこう俗称したので、これは大名とイコールで、主人と読み替えてよい。

■やぶちゃん現代語訳

 大身の味覚は常人のそれとは異にするという事

 ある折り、松平康福(やすよし)公へ、入手致いた面白き菓子を差し上げようしたところ、ある人が忠告して呉れたこと。

「康福公は自家でお造りになられた菓子ならざればお召しにはなられませんぞ。いや、それどころか、御家中にて差し上げたものにても、自家の厨(くりや)にて拵えしものにてあらざれば、不思議とそれとお見破りになられて、御口になさること、これ、御座らぬ。」

と。

 ――以後、私は当松平家御家中の家来に依頼し、松平家御家中製の御菓子を康福公には献ずることと致いて御座る。――

 ここに似たような話を今一つ。

 さても、藤堂和泉守高朗(たかほら)殿は、無類の鮑好きにてあられたによって、ある日のこと、さる大名諸侯らがこの話を聞き、和泉守殿を仲間内の、さる大名の御屋敷にお招きした折から、かの好物となされる鮑料理を、これまたたっぷりと用意致いて饗応して御座った。

 ところが和泉守殿は、出された鮑の刺身に少しばかり箸をお付けになられたかと思うと、最早、ここぞと並べられた鮑料理の皿には一切御手をお付けになられず、また更にも鮑料理御所望の御沙汰、これ、一言も御座らなんだ。

 饗応が済んで後のこと、かの屋敷の大名諸侯御抱えの料理人、相応の己が腕に縒りをかけて造った品々にてあってみれば、ほぼ丸のままに厨に料理が戻ってきたこと、これ、いっかな、不審晴れず、こっそりと和泉守殿屋敷勝手方の者へ相通じ、率直に訊ねてみて御座った由。

「……御太守にては鮑お好みの由なればこそ、我らが主人も気を遣うて、手落ちなきよう御饗応のこと、我らに申し付けられ、相応の素材、品々変われる鮑料理を御用意致いたつもりで御座ったれど……多くをお召し上がりになられず……これ、如何なる訳にて御座るか?」

すると、和泉守御家中の料理人は、

「――御主人様の料理、これ、鮑の調理の仕立て方、大きく異なって御座れば。――」

と、きっぱりと一言言うて黙った。

 一介の料理人なれば、それ以上のことは話さなんだ。

 それを聞いた男は主人大名にそのことを伝えたれば、かの大名も大いに『大きく異なれる仕立て方』なるものに興味を抱き、また、その大名の料理人も御意にてあればこそ、後日再応、和泉守殿をお招き致いて、この度は、特に例の和泉守殿御家中の料理人に事前に頼み込んで、かの招きし大名方の厨に入って貰ろうて調理致すことと相成って御座った。

 すると、厨へ参ったかの料理人、まず――笊に用意された、朝活け獲って早々に運ばせた、如何にも新鮮な粒揃いの数十杯の鮑を受け取る――と――その中でも殊に殼高高々とした、肉色黒く厚きもの――三、四杯を選び取り――かの鮑の身の、丁度眞ん中のところだけを、如何にも細く浅く、二切ほどのみ切り――残りは総て――捨ててしまった。

 呆然としている当家大名諸候方の料理人どもを尻目に、和泉守殿の料理人は、その白魚の如き、十(と)切れと満たぬ僅かな鮑の刺身を皿に盛る――と――饗応の席へと運ばせて御座った。

 和泉守殿、出て参ったこれを食味なされるや、

「――格別の風味にて! これは、これは! 誠有り難き御馳走にて御座る!――」

との仰せの由にて、大層御機嫌にてあられた、とのことで御座る。

「……いやはや……大身の御方の味覚なるもの、凡人とは違(ちご)うて……かくも自ずからあるものにて御座るのかのう……」

と当大名諸候御主人はもとより、御家中に驚歎致さざる者、これ誰(たれ)一人として御座らなんだ、という話。

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