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2010/09/08

耳嚢 巻之三 玉石の事

 

「耳嚢 巻之三」に「玉石の事」を収載した。

昨日は、母の病院に行くエネルギも失われ、疲労困憊(これは決して「こんぱい」という生易しいものではなく「こんばい」である)してアップ出来なかった。

 

 

 玉石の事

 

 いつの頃にやありし。長崎の町屋の石ずへになしたる石より不斷水氣潤ひ出しを唐人見て、右石を貰ひ度由申ければ、仔細有石ならんと其主人是を惜み、右石ずへをとりかへて取入て見しに、とこしなへにうるほひ水の出けるにぞ、是は果して石中に玉こそありなんと色々評議して、うちより連々に研(みがき)とりけるに、誤つて打わりぬ。其石中より水流れ出て小魚出けるが、忽(たちまち)死しければ取捨て濟しぬ。其事、跡にて彼唐人聞て泪を流して是を惜みける故くわしく尋ければ、右は玉中に蟄せしものありて、右玉の損ぜざる樣に靜に磨上げぬれば千金の器物也。悼むべし/\といひしと也。世に蟄龍などいへるたぐひもかゝる物なるべしと、彼地へ至りし者語りぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:前項の後半の聡明なる少年は、その玉なるを持ち乍ら、盗み癖がために勘当の憂き目に逢い、その玉を磨き得ずに終えてしまった苦味があった。ここでは玉石を磨こうとしてうっかり取り落としてその玉なるものを永遠に取り逃がした――どことは言わぬものの、思い通りにならぬ点でも、妙に連関する印象があるから、不思議。この話は本草学者で奇石収集家であった木内石亭(享保91725)年~文化51808)年)が発刊した奇石書「雲根志」(安永2(1773)年前編・安永8(1779)年後編・享和1(1801)年三編を刊行)の中の「後編卷之二」にある「生魚石 九」に所収する話と類話である(こちらは首尾よくオランダ人がその石を入手しているが)。以下に引用する。底本は昭和541929)年現代思潮社復刻になる「日本古典全集」の「雲根志」による。挿絵も同エピソードを採っているので、採録しておいた。

 

     生魚石(せいぎよいし) 九

 

近江大津の町家(まちや)のとり葺(ぶき)屋根に置たる石へ時々鴉(からす)の來りて啄(ついば)む一石ありよつて心をとゝめて是を見るに外(ほか)の石はつゝかず只一石のみ數日(すじつ)同しあまりふしきに思ひ其家の主人にことわりて是をおろし見るに常の石に異なる事なしもとよりの何の臭(か)もなきゆへ捨置ければ鴉又來て其石を啄むいよ/\ふしぎにおもひうち破(わり)見れば石中空虚にして水五合許を貯(たくはふ)其中より三寸許の年魚(あゆ)飛出て死たり又洛の津島(つしま)先生物語に寛永の比東國に或山寺を建るに大石あり造作の妨(さまたげ)なりとて石工數人してこれを谷へ切落せり其石中空虚にして水出る事二三斛(こく)石工等大におとろき怪しむ内より三尺許なる魚躍出て谷川へ飛入失(うせ)ぬと今其石半(なかば)は堂の後半(うしろ)は下なる谷川に有石中の空虚に三人を入ると又肥前國長崎(ながさき)或富家(ふか)の石垣に積込し石を阿蘭陀人(をらんだじん)高價(かうか)に求めん事を乞ふ主人後の造作をうれへあたへす望む事しきりにやまずよつて是非なくこれをあたふ其用をきくに蠻人(ばんじん)云是生魚石(せいぎよせき)なり此右の廻(まは)りを磨(すり)おろし外より魚の透(すき)見ゆるやうにして高貴の翫(くはん)に備ふ最も至寶(しはう)なりと又伊勢國一志(いつし)郡井堰(ゐせき)村に石工(いしく)多し或石工石中に水を貯へ石龜(せきがう)を得たり大さ六寸許尋常(よのつね)の石龜にかはらず側(かたはら)の淸水に養ひたりしに數日を經て死す享保の末年遠江國濱松(はままつ)の農家に一石あり常に藁を打盤(ばん)に用ゆ自然にすれて石面光彩を生ず内に泥鰌(どぢやう)のごとき物運動(うんどう)するを見て主人しらず猶藁を打とて遂に其石を破(わり)たり所(ところ)のもの怪異の事におもひて其家に祠(やしろ)を立てかの破石を祭ると是同國本多(ほんだ)某語らる又或候家(こうか)の祕藏に鶏卵のかたちに似て稍大きなる玉の内に水を貯へ魚すめり其魚の首尾右の玉に礙(さはり)て動く事あたはず是琉球國(りうきうこく)より献ずるよし加賀國普賢(ふげん)院の物語也すべて此類の事只言(いひ)傳ふるのみにていまだ其實を見ず雲林石譜(うんりんせきふ)にも生魚石の事出たりおもふに同日の談なるへし

 

Seigyoisi

 

「とり葺屋根」とは取り葺き屋根のことで、薄く削いだ板を並べて丸太や石を押さえとした粗末な屋根を言う。「同し」「ふしき」「おとろき」「あたへす」「翫(くはん)」「談なるへし」等の清音表記はママである。「雲林石譜」は「雲根志」が習った南宋紹興三年(1133年)の序が附く宋代の杜綰(とわん)の筆になる奇石譜。

――この話、そう言えば、つげ義春の石を売る「無能の人」の話の中にも出て来ていた。

 

・「研(みがき)」は底本のルビ。

 

・「蟄龍」地に潜んでいる龍の意で、龍の種ではない(龍の種については私の電子テクスト寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類」を参照)。一般には、活躍する機会を得ずに、世に隠れている英雄を喩える語として知られる。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 玉石の事

 

 いつの頃の話であったか、長崎の町家の礎石にしていたある一つの石から、絶えず水が沁み出していた。

 

 それを見た唐人が、この石を貰い受けたい由申したので、その家の主は、何やらん、きっといわく付きの石ででもあるのであろうとて、これを惜しんで、売らずにおいた。

 

 そうして、敷石からその石を取り外すと、家内の置いてよく観察してみると、これが不思議なことにたいして大きくもないその石から――石そのものから、とめどなく水が湧き、沁み出てくるではないか。――

 

「……これは果たして、石の中に、高価にして霊的な玉が嵌まっておるのであろう――」

 

なんどと、知れる者どものと勝手に評議致いておるうちに――皆、その玉に目が眩み、ともかくもと、寄ってたかってその石を磨いて御座ったところが――誤って石を打ち割ってしもうた。――

 

 ――その石の中から――ちょろちょろっと水が流れ出かと思うと――小さな魚が出て来た――が――忽ち死んでしまったので、つまんで捨ててしまった。……

 

 その後(のち)、このことを聞いた、かの唐人は涙を流して惜しんだという。

 

 ある者がその訳を訊ねたところが、

 

「……あれハ……あの玉の中にハ……凝っと潜んでイタ『もの』が在ったノダ!……あの玉を壊さぬようニ……静かニ静かニ磨き上げたナラ……あれハ千金の値にもナロウという宝器であったノダ!……惜シイ! 全く以ッテ、惜シイ!……」

 

と嘆いたという。

 

 

「……世に『蟄龍』などと申すものも、このような類いのものなので御座いましょう。……」

 

と、かの長崎へ旅した者が、私に語った話である。

 

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