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2010/09/11

耳嚢 巻之三 守財の人手段別趣の事

「耳嚢 巻之三」に「守財の人手段別趣の事」を収載した。

 守財の人手段別趣の事

 唐に守錢翁と賤しみ我朝にて持(もち)乞食と恥しめぬる、いづれ金銀を貯、黄金持(こがねもち)といわるゝ者の心取は別段也。我知れる富翁の常に言ひしは、世に貧しき人はさら也、其外通途の者も實に金を愛(あいせ)ざる故金を持(もた)ぬ也。金を愛しなば持ぬといふ事あるべからず。其譯は各は金銀あれば何ぞ衣食住其外器物(の品)を(買んと思ふ。是金銀よりは衣類器物を)愛する也。我器物其外其身の用にあらざる品は金銀に代ん事を思ふ。是器物より金銀を愛する所甚しき也といひし。又或人の諺に咄しけるは、金錢を貯へ度思ふや、何程ほしきと尋ければ、多くも望なし、千兩ほしきといひける者ありければ、いと安き事也とて千兩箱をとり寄、右の内はからものなれど、蓋を丁寧になして封印などして是を藏の内に置給へといひける故、心得しとて藏に入置ぬ。さて金は如何して出來るやと問ひければ、御身則千兩を封じて藏の内へ入置ぬれば則千兩の金持也といひけるにぞ、かの男大に憤り、右重箱を千兩封じて置たればとて、右から箱を以物を調ふる事もならず、誠に物の用に立ざる戲れをなして人を嘲弄なしぬるかと申ければ、さればとよ、金銀遣はんとおもふては金は持たれぬ物也といひし故、金を持て遣ふ事ならざれば金持も羨しからずと彼人悟りを得しと也。本所六間堀に金を借して渡世する者ありし由。其身賤敷(いやしき)者なれ共金銀の爲に諸侯歴々よりも重き家來等を遣して調達を賴けるに、或家士纔か百金計(ばかり)借用申込、承知に付日限を約束し、其日に至り罷越金子借受の事を談じければ、承知の由にて其身麻上下を着し藏の内へ入けるが、暫く有て立出で、折角御出あれ共今日は歸り給はるべし、明日御出を待由申けるにぞ、彼家士申けるは、成程明日にも參るべし、足を厭ひ候にはなけれど、金銀の遣ひ合せは片時を爭ひ候事も有れば、何卒今日借用いたし度と賴けれ共、何分得心なさゞりしかば、いか成故哉と尋しに、金の機嫌不宜、今日はいやと被仰せ出候故難成旨申ける故、右武士も大きに驚き歸りけるに、傍成者、金のいやと可申謂(いはれ)なし、いか成故哉(や)と有ければ、金銀は口なしといへども、我等が心にいかにも今日出來る否(いや)におもふは、則金のいやに思召也と語りし由。是等は誠に守錢翁といふべき者ならん。

□やぶちゃん注

○前項連関:金欲から吝嗇(りんしょく)で連関。本話は三つの全く異なったタイプのソースから構成されたもので、「耳嚢」の中では異色なオムニバスを感じさせる一篇であると私は思う。

・「いわるゝ」はママ。

・「(の品)」底本では右に『(尊本)』とあり、尊経閣本によって補ったという意味の注記がある。これを採る。

・「(買んと思ふ。是金銀よりは衣類器物を)」底本では右に同じく『(尊本)』とあり、尊経閣本によって補ったという意味の注記がある。これを採る。

・「本所六間堀」底本の鈴木氏注に『六間堀は本所竪川と小名木川とを結ぶ川』『で、これに沿って六間堀町、北六間堀町、南六間堀町ができた。いま江東区森下町一丁目、同区新大橋三丁目の地。』とある。但し、鈴木氏は六間堀に補注され、昭和241949)年に埋め立てられて現存しない旨の記載がある。東京大空襲の瓦礫が多量に流れ込んだためとも言われる。

・「今日出來る」底本では『尊本「出す事」』とある。こちらを採る。

■やぶちゃん現代語訳

 蓄財せる人には素人の思いも寄らざる別趣手段のある事

 唐土(もろこし)では「守銭翁」と賤しみ、本邦にては「持ち乞食」なんどと恥ずかしめらるるところの、金銀を貯え、黄金持ちと言わるる者の考えることは、これ到底、常人の重いの及ぶものにては、これ、御座ない。私の知れる裕福なる老人が常日頃申すことには、

「……世にある貧しき者は言うに及ばず、その外、尋常に暮らして御座る者にても――誠、金を愛さざる故――金を持てぬので御座る。――金を心底愛さば、金を持たぬなんどということは――これ決して、あろうはずが御座らぬ。――その訳はと申せば――ああした常人の者ども――金銀があれば衣食住その他調度什器を買わんと思う――そこで御座る。――これは、金銀よりも衣服器物を愛して御座るのよ。――ところがで御座る――我は器物その外、生くるがためにはこれといって用に立たざる品々は、悉く金銀に替えんことを思う。――これ、我が――器物より金銀を愛し、二心なきことの証しにて、御座る……」

と。

 さてもまた次は、ある人が俚諺(りげん)の由にて話して呉れたもの。

 ――――――

甲「お前さん、たんと金が欲しいか? 幾ら、欲しい?」

と訊いたので、

乙「……そうさな……多くは望まねえが……千両欲しい。」

とほざいた者がおる。すると、

甲「そりゃ、お易い御用じゃ。」

と言うなり、千両箱を取り寄せた。その中身は空っぽのものなれど、蓋を丁寧になし、封印なんどもしっかり致いた上、

甲「さ、これを蔵の内に置きなされ。」

と言うので、

乙「心得た。」

と蔵の中へ置く。――

乙「……さても、あの千両箱に入れる金は、いつ出来るんでえ?」

と問う。すると、

甲「お前さんは今、則ち、千両を封じて蔵に入れ置いたから、則ち、千両の金持ちじゃ。」

と答えた。

 かの男、大いに憤って曰く、

乙「あ、ありゃ、空箱ぞ?!……い、いや、千両封じて置いたからとて……そもそもが! 蔵に置いておいたんじゃ、千両箱であろうと、何の物も買うこと、これ、出来ん! 人を馬鹿にするのも、い、いい加減にせい!」

と怒鳴りつけた――と――

甲「そこじゃて。――よいかの。金銀を使わんと思うてはのう、金は持てぬものなのじゃ。」

と答えた。それを聴いた男は、ぽんと膝を打ち、

乙「そうか! 金を持っておったとしても、それを使(つこ)うてはならぬと言うなれば、金持ちなんどというものも、これ、羨ましゅうは、ない!」

と俄然、悟りを得た、ということである。

 ――――――

 最後にもう一つ。

 本所六間堀に金を貸して渡世致いておる者が御座った。

 元来は賤しい身分の出の男なれど、その持てる金銀を頼みに、お歴々の諸侯までもが、わざわざ家内でも位の高い家来を遣わして、その調達を依頼するという繁盛振りで御座った。

 さて、ある時、ある家士、僅か百金ばかりの借用をこの男に申し込んだところ、承知の趣きにつき、日限を約し、その取り決めた日になって、家士はこの男の屋敷を訪ねた。

 金子借り受けに参りしことを告ぐると、男は、

「承知致いた。」

と応じた。

 男はその身に麻上下を着すと、何やらん如何にも厳かに蔵の内へと入って御座った。

が、暫くして、手ぶらで出て参った。

「……せっかくのお出でなれども……今日はお引き取り下されい。明日のお越しをお待ち申し上ぐればこそ……。」

と言うので、家士は、

「……なるほど……では明日、また、参ろうかの。……しかし、その……再度、足を運ぶを厭うておる訳では御座らぬが……その、金銀の要り用に就きては……その、一時を争うて御座るものにても御座れば……その、何卒、今日借り受け致いたいのじゃがのぅ……」

と下手に出てまで頼み込んだが、いっかな、男はだめの一点張り。たかが百金のことなれば――と言うて、その百金も手元にない訳で御座るが――流石に家士は、

「如何なる故に不承知で御座る?」

と訊ねた。

 すると男は、

「――金の機嫌が宜しく御座らぬ。――『今日は嫌』――と仰せられて御座れば、蔵を出でんこと、これ、成り難きことにて御座る。――」

と返答した。

 かの家士も呆れかえって、そのまま何も言わずに帰って行った。

 偶々その場に居合わせて御座った男の知人が、好奇心から彼に訊ねた。

「……金が『嫌』なんどというはずは御座るまい。……本当(ほんと)の理由は何です?」

と、男曰く、

「――金銀は口なしと雖も――その金の持ち主たるところの、この我らが心が――どうしても『今日金を貸し出すのは嫌じゃ』と思うておるのじゃ!――その理由は我らも分からぬ――分からぬ――さればこそじゃ! これ、則ち、金が『嫌じゃ』だと思し召しになっておられる、ということなのじゃ!――」

と語ったとのことで御座った。

 こういう連中をこそ、誠(まっこと)、守銭翁と呼ぶべき者と言うてよかろう。

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