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2010/09/15

耳嚢 巻之三 音物に心得あるべき事

「耳嚢 巻之三」に「音物に心得あるべき事」を収載した。

 音物に心得あるべき事

 或日諸侯方より權門(けんもん)へ月見の贈り物ありしに、右權家(けんか)にて忌み禁ずるの品にて甚無興なる事ありしと也。いづれ平氏の諸侯へ平家都落の屏風等送らんは禮にも違ひ、恥しめるの壹つならん。夫に付おかしき咄あり。寶暦の頃、權家へ兼て申込にて屏風一双名筆の認しを送る諸侯有しに、彼權家より移徙(わたまし)の祝儀と時めける權門大岡公へ送り物の評議最中なれば、幸ひの事也、右の屏風を通すべし、しかし移徙は時日も極りあればいかゞあらんと評議せしに、留守居成(なる)者取計(とりはららひ)、彼諸侯へ、とてもの御贈り物に候はゞ幾日迄に贈り給はるべきやと談じけるに、安き事とて彼諸侯家にても大に悦びける故、權家にても其日に成(なる)と今や來ると待ぬるに、日も晩景に及べど沙汰なければ、如何間違しやと主人も氣遣ひ、懸合の家來は誠に絶躰絶命の心地しけるに、無程使者を以右屏風を贈り、厚く禮謝なして使者の歸るを待兼て、直に使者を仕立右屏風を大岡家へ贈りけると也。然るに主人其屏風の模樣仕立等を家來に尋けるに、餘りに取急てあわてけるにぞ、中の繪樣仕立等も不覺、主人の尋にて始て心付當惑なしけるにぞ、繪がら其外大岡家の禁忌も難計(はかりがたく)、移徙の忌み品にはなきやと、上下一同又當惑の胸を痛めける。餘りの氣遣ひさに大岡家へも人を以(もつて)存寄(ぞんじより)に叶ひしやを内々にて承り合、細工人抔を糺して其樣を聞て、始て安堵をなしけるとや。深切の音物(いんもつ)ならず、麁忽(そこつ)の取計(とりはからひ)にはかゝる事のあるものなれば、心得に爰に記しぬ。

□やぶちゃん注

○前項連関:特に連関を感じさせない。大名諸侯絡みではあるが、前項はポジ、こっちは皮肉なるネガ。

・「權門」官位が高く権力・勢力のある家柄、また、その人。ここではその意味ながら、この語には、まさにこの話柄で問題となる「権力者への賄賂」の意味もある。 

・「音物」「いんもつ」又は「いんぶつ」と読む。贈り物。進物。

・「寶暦」宝暦年間は西暦1751年から1764年。

・「移徙(わたまし)」は底本のルビ。「徙」は「移」と同義。「渡座」とも書く。貴人の転居・神輿(しんよ)の渡御を敬っていう語。

・「大岡公」大岡忠光(宝永6(1709)年~宝暦101760)年)九代将軍徳川家重の若年寄や側用人として活躍した。上総勝浦藩主及び武蔵岩槻藩初代藩主。三百石の旗本大岡忠利の長男(以上はウィキの「大岡忠光」を参照した)。卷之一「大岡越前守金言の事に登場。

・「留守居」留守居役。ここでは諸大名がその江戸屋敷に置いた職名。幕府との公務の連絡や他藩(の留守居役)と連絡事務を担当。聞番役。

・「とてもの御贈り物に候はゞ」これはその権家が、具体的にその屏風を大岡公移徙御祝儀に致す、ついてはその旧蔵はこれこれの御大名のものなりという出所も明らかに致すによって、別して御大名家の名聞も立つと申すものにて、といったような会話がなされたものを省略した表現と私は採った。識者の御意見を乞う。

・「餘りの氣遣ひさに大岡家へも人を以存寄に叶ひしやを内々にて承り合、細工人抔を糺して其樣を聞て、始て安堵をなしけるとや」の部分で権家が、絵柄や仕立てもよく分かっている旧蔵者の大名諸侯に、その屏風の仔細を聞かなかったのは、何となく分かる気がする。これはもう、万一の時は権家だけではなく、災いが旧蔵者であるその大名にも及ぶ危険性があるからで、とても口には出せなかったのであろう。

■やぶちゃん現代語訳

 進物には細心の注意が必要である事

 とある諸侯が権門(けんもん)に秋の月見の進物を致いたところが、それが当の権家(けんか)にては古えより忌み禁ずる品であったがため、甚だ不興を買ってしまったということがあったという。いずれにしても、平姓の諸侯方に平家都落ちを描きし屏風なんどを贈るは、これ、礼を失するばかりか、相手を侮辱することになる一例で御座る。

 さても、これに就きて、面白い話が御座る。

 宝暦の頃、とある大名が、さる権家へ、その大名家の所蔵に係る名筆の手になった一双の屏風を贈答致すという約束をかねてより交わして御座った。

 一方、その権家にては、丁度その頃、世を時めいて御座った権門大岡忠光公御転居の御祝儀の進物に、何がよろしきかと評議を致いている真っ最中であったが、

「もっけの幸いじゃ! その屏風を贈ろうではないか。」

「しかし、御転居の儀、これ、時日が迫って御座れば、如何なものか?」

という話となり、留守居役の者が取り計らい、早速に当の大名方へ走り、

「先の御約束の屏風で御座るが……有体に申しますれば、かの大岡忠光公御転居の御祝儀として本家より進ぜんと考えておりますればこそ……その……厚かましきこと乍ら、○月○日迄に、かの屏風、お贈り戴けるようお取り計らいの儀、御願い出来ませぬか?」

と正直に申したところ、大名も大岡忠光公の名を聞いて、

「それはそれは! 易きことじゃ!」

と大喜びして請け合って御座った。

 さても大名から権家への送り渡しの当日と相成った。

 権家方にては、贈答の好機が迫りに迫って御座ればこそ、今来るか、今来るかと首を長くして待って御座った。

 ところが、日が暮れ方になっても、屏風が届かぬ――

「……何ぞ手違いでもあったではなかろうか!?……」

と権門家主人も、これ、気が気ではない。

 交渉に当たった家来ども、特にかの留守居役なんぞに至っては、最早、絶体絶命――腹を切らずば済まされまい――との心持ちで御座ったところ――暗くなって程なく、大名家の使者が件(くだん)の屏風を持って権家の玄関に現れた。

 権門家では厚く謝礼をなし、その使者が帰るのを待ちかね、直ちに使者を仕立てて、この屏風を右から左と、大岡家へ贈り届けたということで御座る。

 ――ところが――

 さて、その夜のこと、権門家の主人が、家来に屏風の絵柄や、大名が新たに表装し直したという仕立てなんどにつき、訊ねたところが……

――いえ……何にせよ、あまりに取り急ぎのことにてあれば……

――その……家来の者どもは……誰(たれ)一人として……

――何?……誰も屏風を……見ておらぬと?……

――こ、この儂に尋ねらるるまで……だ、だれ一人か!?……

――今の今まで……そ、そ、そのことにさえ気づいて、お、ら、な、ん、だ、と……申すカッ!?……

ということに今更皆々気がついて、一同、愕然と致いた。

 絵柄その他、そもそも贈答せんがことに汲々と致して御座ったれば、大岡家の禁忌のことも迂闊にも全く調べて御座らねば、それどころか、もしや転居祝そのものの忌み物にはあらんかと、権家一同、上から下までずずいずいと、当惑疑惑七転八倒、胸痛腹痛片頭痛、餓鬼畜生地獄煉獄阿鼻叫喚の責め苦を味わうはめと相成って御座ったのである。

 あまりの懊悩故、まず大岡家へもそれとなく人を遣わし、お気に召されたかどうか、極内々にて聴き合わせ、……またかの大名から、かの屏風の仕立て直しを請け負った細工職人なんどから、これまた、それとのう聞き出しては、彼らより、その絵柄や模様なんども分かって御座ったれば……その上で、初めて……ほっと一息、安堵をなしたとかいうことで御座る。……

 さてもこれ、心を尽くした進物にてもなく、また、かくまで杜撰な仕儀に於いては、こうしたこともある、ということで御座る。方々の注意を喚起せんがため、ここに記しておくものである。

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