芥川龍之介 越びと 旋頭歌二十五首 一首 注増補追加
「やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注」の、「越し人」の注に片山廣子堀辰雄宛書簡の一部を引用し、解説を追加した。
重大な追加であるので、以下に該当部を抽出して示しておく。
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ひたぶるに昔くやしも、わがまかずして、
垂乳根(たらちね)の母となりけむ、昔くやしも。
[やぶちゃん注:「わがまかずして」は、私と寝ることもなく、まぐわうことなく、の意――片山廣子は第一次芥川龍之介全集の編者で極めて親しかった堀辰雄に、「越しびと」を全集に載せる際、芥川龍之介のためにも、ある一首だけは削除して欲しいと懇請している。2005年講談社刊の川村湊「物語の娘 宗瑛を探して」に所収する昭和3(1929)年1月19日附片山廣子堀辰雄宛書簡を以下に引用する(但し、私のポリシーに則り、漢字を恣意的に正字に変えた)。
それから「越しびと」の件はいろいろ御心配をかけてすみません むろんわたくしの名をおつしやつて下さるともあるひは「越しびと」と自分で信じてゐる人からたのまれたとおつしやつてもそれは御隨意です よろしくおとりはからひ下さい、あのうたを一つぬきたいといふわたくしの心持はけつして自分一人のためではないつもりです あのうた全部をよりよいものにしたいと思ふ心持もあるのです 作者は死ぬことを考へてゐたときにわたくしの事や「越しびと」のうたのことを考へる餘裕は持つてゐなかつたでせう、ですからわたくしが自分で考へるのです、あなたが心配して下すつてそれがうまく行かなかつたらそれはそのときの事です、玉は玉で石は石でごみはごみです、わたくしの眼にはなくなつた方のものがすベてがおんなじには見えません
川村氏も同書で推定されているように、その一首とは――私も恐らくは、この一首であったものと思っている。勿論、この願いは聞き入れられなかった。当然である。既に世に公表されている歌群から、歌柄に読まれた当事者からとはいえ、それがその当事者の名誉毀損になるのが顕在的であるならまだしも(二人の関係が周辺者によって暗黙の内にある程度知られていたにしても――実際には芥川の廣子への恋情や二人の関係を十全に理解し、よく知っていた当時の人物は、堀辰雄や室生犀星などの数人を除いて、殆んどいなかったと私は思っている――本歌群の対象が直ちに片山廣子であることが大多数の当時の大衆に知れてしまうというようなことは当然なかった)、自身への露骨な性的願望が示されているから(この場合、芥川龍之介が片山廣子を熱愛していた事実はっきりしており、また廣子が芥川を愛していた事実も明白である以上、セクシャルハラスメントとしての立件も難しい。それでも廣子が芥川龍之介死後の自身の恥辱に堪えられないから、全集からの合法的な削除を要請するというのであれば――その前に、これが載った雑誌『明星』の出版差し止めや回収請求が起こされねばならぬことになる)、素晴らしい歌群の「ごみ」=瑕疵であるから削除して欲しいというのはいっかな通らぬ謂いである。同じく川村氏が述べておられるように、これは逆に廣子の芥川への思いの中にも、プラトニックなものばかりではなく、秘めておきたい性的な願望(それは勿論、無意識的なものであって、これも川村氏と同じく、私は芥川龍之介と片山廣子との間に、そのような実際的な肉体関係があったとは全く思っていない)があったことを示しているものと言えるのである。]