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2010/10/23

耳嚢 巻之三 雷公は馬に乘り給ふといふ咄の事

「耳嚢 巻之三」に「雷公は馬に乘り給ふといふ咄の事」を収載した。

以前にフライング公開した僕の好きな一篇。

 雷公は馬に乘り給ふといふ咄の事

 巣鴨に大久保某といへる人有りしが、享保の頃、騎射の稽古より同門の許へ咄に立寄、暮前に暇を乞しが、未迎ひも揃はず、殊に雨も催しぬれば主人も留めけるが、雷氣もあれば母の嫌ひ、かれこれ早く歸りたしとて馬に打乘、騎射笠(きしやがさ)に合羽など着て歸りけるが、筋違(すじかひ)の邊よりは日もくれて、夕雨しきりに強く雷聲も移しければ、一さんに乘切て歸りけるに、駒込の邊町家も何れも戸を立居けるに、一聲嚴敷(きびしき)雷のしけるに乘馬驚きて、とある町家の戸を蹴破りて、床(ゆか)の上へ前足を上(あげ)て馬の立とゞまりけるにぞ、尚又引出して乘切り我家に歸りぬ。中間共は銘々つゞかず、夜更て歸りける由。然るに求たる事にはあらねど町家の戸を破り損ぜし事も氣の毒なれば、行て樣子見來(みきた)るべしと家來に示し遣しけるに、彼家來歸りて大に笑ひ申けるは、昨夜の雷駒込片町(かたまち)の邊へ落(おち)しといへる沙汰あり。則(すなはち)何軒目の何商賣せし者の方へ落し由申ける故、何時頃いか樣成事と尋ねけるに、五ツ時前にも有べし、則雷の落し處は戸も蹴破りてある也、世に雷は連鼓(れんこ)を負ひ鬼の姿と申習はし、繪にも書、木像にも刻(きざみ)ぬれど、大き成僞也、まのあたり昨夜の雷公を見しに、馬に乘りて陣笠やうの物を冠り給ふ也、落給ひて暫く過て馬を引返し、雲中に沓音(くつおと)せしが、上天に隨ひ段々遠く聞(きこえ)しと語りし由申ければ、さあらば雷の業(わざ)と思ふべき間、却て人していわんは無興(ぶきやう)なりとて濟しけると也。

□やぶちゃん注

○前項連関:バリバリバリバリ!!! ズゥゥゥゥン! ドォオォォン!!!――神鳴り直撃雷神来臨直連関! 映像的二連射、人々の生き生きとした表情、心根の暖かさが、伝わって来る。本作も私の頗る付きに好きな一篇である。しかし……前の「孝童自然に禍を免れし事」といい、この暖かい世間話といい――この、完膚なきまでに神経に落雷を受けてしまった今の世の人の心には、もう、なかなか生まれてこないような気もして、逆に淋しくなってくるのである。

・「雷公」雷神の尊称。ウィキの「雷神」より一部引用する。『日本の民間信仰や神道における雷の神である。「雷様(かみなりさま)」「雷電様(らいでんさま)」「鳴神(なるかみ)」「雷公(らいこう)」とも呼ばれる』。『菅原道真は死して天神(雷の神)になったと伝えられる。民間伝承では惧れと親しみをこめて雷神を「雷さま」と呼ぶことが多い。雷さまは落ちては人のヘソをとると言い伝えられている。日本の子どもは夏に腹を出していると「かみなりさまがへそを取りにくるよ」と周りの大人から脅かされる』ことが多かったが(今やそんな言い方をする若い親はあるまい。何か寂しい気がする)、これには脚注で『寒冷前線による雷雨の場合、前線通過後、気温が急激に下がることが多い。このとき子どもが腹を出していると、下痢を起こしやすくなることから、それを戒めるため、こうした伝承が生じたといわれている。』という目から鱗の理科雄ばりの薀蓄が示されている! 脱帽だ! 『雷さまから逃れるための方法は、蚊帳に逃げ込む、桑原(くわばら:菅原道真の亡霊が雷さまとなり、都に被害をもたらしたが、道真の領地の桑原には雷が落ちなかったと言う伝承から由来)と唱える、などが伝えられる』。『対になる存在としては風神が挙げられる』。『日本では俵屋宗達の風神雷神図(屏風)を代表例に、雷さまは鬼の様態で、牛の角を持ち虎の革のふんどしを締め、太鼓(雷鼓)を打ち鳴らす姿が馴染み深い。この姿は鬼門(艮=丑寅:うしとら)の連想から由来する。雷が落ちる時「雷獣」という怪獣が落ちてくるともいう。大津絵のなかでは雷さまは雲の上から落としてしまった太鼓を鉤で釣り上げようとするなどユーモラスに描かれている』とある。

・「大久保某」嘉永年間の江戸切絵図の巣鴨近辺には武家の大久保姓は見当たらない模様。但し、以下の叙述から相応の武士とお見受けする。雷公ともなればこそ、立身出世致いて田舎(巣鴨は嘉永年間でも田畑が多い田舎である)から大身の御屋敷へと落雷、基、栄転転居でも致いたものか。

・「騎射」馬上から弓を射るの技術の謂いであるが、武家にあっては「騎射三物」(きしゃみつもの)を指す。即ち、騎乗して弓を扱う技法としての犬追物・笠懸・流鏑馬の総称である。以下、ウィキの「騎射三物」から一部引用する(記号を一部変更・読点の追加をした)。『元々は武者が騎乗から敵を射抜くための稽古法で、それぞれ平安時代〜鎌倉時代に成立する。武士の中でも騎乗が許されるのは一部の武士のみということもあり、馬上の弓術「騎射」は武芸の中でも最高位のものとされ、中世の武士達は武芸練達のために様々な稽古をした。「騎射」稽古で上記3つは代表的な稽古法であり、総称してこう呼ばれる。近代までにそれぞれ独立した競技、儀礼的神事として作法や規則が整備された。』「犬追物」とは『40間(約73m)四方の馬場に、1組12騎として3組、計36騎の騎手、検分者(審判)を2騎、喚次役(呼び出し)を2騎用意し、犬150匹を離し、その犬を追いかけ、何匹射たかを競う。矢は神頭矢と呼ばれる刃の付いていない矢を使用する。手間や費用がかか』った。勿論、現在は『動物保護の観点から』『行われていない』。「笠懸」とは『的の配置に左右、高低、大小と変化を付けた的を、馬を疾走させつつ、射抜く。流鏑馬より難易度が高く、より実戦的』なものである。武田流・小笠原流といった流派が現存しており、京都上賀茂神社笠懸神事や神奈川県三浦の道寸祭りなどで実見することが出来る。「流鏑馬」は『距離2町(約218m)の直線馬場に、騎手の進行方向左手に3つの的を用意する。騎手は馬を全力疾走させながら3つの的を連続して射抜く。現在でも日本各地の流鏑馬神事として行われている』。

・「未迎ひも揃はず」後に「中間共は銘々つゞかず、夜更て歸りける」という叙述が現れるので、この人物は相応な地位の武士であったものか、稽古の後、その帰りの供回りが(同伴者以外に、自宅から迎えの者が呼ばれているのである(但し、その必要性が近世風俗に暗い私には今一つ分からない。識者の御教授を乞う)。話柄から見ると、この同門の朋友の屋敷に寄った時点で、恐らく迎えの者が呼ばれたものと思われ、すると、迎えの者が呼ばれたのは雨が降りそうな気配があったための、現在の供回りに携えさせている手持ちの合羽だけではなく、よりちゃんとした雨具及び馬の雨具、更に雨天時の荷物持ちとしての補充要員であろうか(騎射の稽古場と大久保某の屋敷とが近距離であるならば、行きと帰り専用の供回りがその都度呼ばれ、行ったり来たりるしても不自然ではないが、この話の後半の地理関係を読むに、かなり離れている)。

・「騎射笠」騎射や騎馬で遠乗りする際に武士が用いた竹製の網代(あじろ)編み(細く薄い竹板を交互にに潜らせた編み方)の笠。

・「筋違」江戸二十五門の一つであった筋違御門のこと(現在の千代田区神田須田町1丁目)。神田川に架かる昌平橋の下流約50mにあった筋違橋の左岸部分を構成していた門で、底本の鈴木氏注に『内神田と外神田の通路にあり、非常の場合のほかは昼夜閉鎖することはなかった』とある。江戸切絵図を見ると、現在の万世橋のように見えるが、続く鈴木氏の注に『門は明治五年に取りこわし、橋も現存しない』とある。そのやや下流に現在の万世橋が掛かっているというのが正しい。

・「中間共は銘々つゞかず、夜更て歸りける」勿論、御承知のことと思うが、供回りは皆、徒歩立ちで、騎乗した主人の後を走って追い駆けるのである。この場合、初めから続けるはずがないのである。

・「駒込片町」現在の文京区本駒込1丁目。明石太郎 "珈琲"氏のブログ「珈琲ブレイク」の「駒込片町 白山通・本郷通(9)」に、昭和411966)年 までは駒込片町の呼称が生きていたことが記され、更に『江戸時代初期この地は、三代将軍家光の乳母春日局の菩提寺である湯島麟祥院が、寺領として所有していた農地であった。元文2年(1737)この地にも町屋が開かれ、現在の本郷通り、当時の岩槻街道をはさんで吉祥寺の西側の片町側であったため駒込片町と呼ばれるようになった』。『明治5年までには、目赤不動のあった駒込浅嘉町の一部と、養昌寺や南谷寺の敷地を包含するようになった』。『この地名の変遷を見ても、江戸時代以前はのどかな農村であったのが、江戸幕府の発展、お江戸の町の発展とともに、徐々に都市化されていく様子がうかがえる』と当時の風景を伝えてくれている。

・「五ツ時前」不定時法であるから、これを夏の出来事と考えれば、凡そ午後7時半から午後8時以前と考えられる。

・「連鼓」「れんつづみ」と読んでいるか(「れんこ」でも問題はない)。所謂、俵屋宗達の「雷神風神図」(以下はウィキの「雷神」のパブリック・ドメイン画像)などでお馴染みの繋がった太鼓のこと。

■やぶちゃん現代語訳

 雷公は馬にお乗りになっておらるるという話の事

 享保の頃のこと、巣鴨に大久保某という御武家が御座った。

 武蔵野近郷での騎射稽古からの帰り、一緒に汗を流した同門の者の屋敷へ立ち寄って雑談致し、日暮れ前に暇(いとま)を乞うた。

 未だ迎えの者も揃うておらなんだ上に、生憎、雨も降り始めて御座ったれば、屋の主人も引き止めんとしたのじゃが、

「……雷気(らいき)も御座れば――我が母上、殊の外の雷嫌いにて。かかればこそ、早(はよ)う帰らねば――」

と馬にうち乗って、騎射笠に、今連れて御座る供に命じて出させた合羽などを着て、帰って御座った。

 筋違御門(すじかいごもん)の辺りまで辿り着いた頃には、とっぷり日も暮れてしまい――沛然たる夕立――夥しき雷鳴――なればこそ、一息の休む余裕もなく、一散に馬を奔らせる――

 駒込の辺りの町家――これ、いずれも硬く雨戸を立て御座った――

――と!――

――突如!

――バリバリバリバリ!!! ズゥゥゥゥン! ドォオォォン!!!――

――一際、凄まじい雷鳴が轟く!

――大久保の乗馬、それに驚き!

――バリバリ!!! ズドォン!!!――

と! 大久保を乗せたまま、とある町家の戸を蹴破り、家内へと闖入致いた。

 馬は――上がり框(かまち)から床(ゆか)の上へと――ばっか! ばっか!――と前足を乗せたところで――大久保、綱をぐいと締め、辛くも立ち止まる。――

 それから馬上、手綱にて導き、家内より馬を引き出だすと――そのまま、再び一散に己(おの)が屋敷へと立ち帰って御座った。――

 因みに、息咳切って従って御座った中間どもは、とっくの昔、筋違御門に大久保が至らぬ前に、伴走し切れずなって、夜も更けてから屋敷に帰ったとのことで御座った。

 ――――――

……さても翌日のこと、敢えてしたことにてもあらねど、町家の表戸を破り損じたことは、これ、当の主人にとって如何にも気の毒なことなれば、大久保、詫びと見舞を念頭に、

「……ともかくも、ちょっと行って様子を見て参るがよい。……」

と家来に申しつけ、駒込へと走らせた。

 ところが、この家来、屋敷に立ち帰って参るや否や、大笑い致しつつ、申し上げることに、

「……はっはっは! いやとよ! これは御無礼を……されど、これを笑わずには……主様とても……おられぬと存ずる……

――『昨夜の雷(かみなり)駒込片町の辺りへ落ちた』――

と専らの評判にて、即ち、

――『駒込片町○件目○○商い致しおる者の家へ落ちた』――

というので御座る。

 そこで、その家を訪ねてみました。

 そうして、その屋の主人に――それは何時頃のことで、落雷の様子は如何なるものであったか――と訊ねてみましたところが、

『……昨夜は五つ時前のことで御座ったろう――即ち!――雷の落ちた所は戸が木っ端微塵に蹴り破られて御座っての!……』

『……さてもさても! 世に「雷神は連鼓(れんつづみ)を背負い鬼の姿を致いておる」なんどと申し習わし、絵にも描き、木像にも刻まれて御座ろうが?――なんのなんの!――これ! 大いなる偽りで御座るぞ!……』

『……我らこと! 目の当たりに、昨夜来臨なされた雷公さま、これ! 拝見致いたじゃ!……』

『……それはの!――馬にお乗りになられの!――陣笠の如き冠(かんむ)りをお被りになられて御座ったじゃ!……』

『……お落ちになられてから――まあ! ほんのちょっとのうちに!――かの雷馬を美事!乗りこなし――引き返しなさったんじゃ!……』

『……雲中貴き御蹄(ひずめ)の音をお響かせになられたかと思うと――昇天なさるるに従ごうて――その音(ね)も段々と――虚空高(たこ)う厳かに遠くなって有難くなって御座ったのじゃ…………』

という次第にて、御座いました。……」

 これを聴いた大久保も、破顔一笑、

「――ふむ! さあらば――畏れ多き雷神の業(わざ)と思うておるのであればこそ――却って人をして我らがこと告ぐるは、これ、興醒めというものじゃ、の!――」

と、そのままに済まして御座った、とのことで御座る。

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